私の従姉妹のちゃんは、昔から天才バスケ少女として有名でした。



107.死んだの物語




 ちゃんの話をする前に、まず、私の話をしたいと思います。
私、はごくごく平凡な一般家庭に生まれました。
父は整体師を、母は料理教室の先生をやっています。
そして、私もまた、ごくごく平凡な女の子として育ちました。
昔は父に憧れて整体師になる、なんて言って、父の真似事なんてしていましたが、やっぱり体力の関係上私には厳しそうだと思って諦めてみたり。
逆に今度は母と一緒に料理を練習したり。
やりたいことややってること、将来の夢なんかがコロコロ変わる、そんな普通の女の子として育ちました。
でも、ちゃんは、……そんな普通の女のことは少し、違って育ってきたようです。



 私の従姉妹のちゃんは、昔から天才バスケ少女として有名でした。
ちゃんと私はお父さん同士が兄弟の従姉妹です。
ちゃんのことは小さい頃から知っています。
また、私と透ちゃんも幼なじみで、これまた小さい頃から知っています。
ちゃんは、私達がいつ遊びに行っても、ずっと叔母さんとバスケの練習をしていました。
そりゃあ透ちゃんもいっつもバスケの練習をしているような子でしたが……、ちゃんのそれは、透ちゃんのそれとはワケが違う。
そう思ったのは、ちゃんが小学校に上がってしばらく経った頃でした。
小学生になったちゃんは、地元のミニバスチームに入りました。
そこで、1年生ながら時には同じチームの上級生に勝ってしまうほどの実力を見せつけたちゃんは、その年に行われたU8の大会ではほとんどスタメンで起用され、いくつかの大会では優勝も経験しました。
でも……どうしてでしょう?
バスケットの世界で華々しく活躍しているはずのちゃんが、私にはあまり楽しそうには見えませんでした。
そのころから、叔母さんの指導にもますます熱が入り、ちゃんがバスケをする時間はどんどん長くなっていきました。

『どうしてちゃんとは遊べないの?』

私が6年生になる頃には、ちゃんのお家とはすっかり疎遠になっており、私は母にそんなことを尋ねました。
母は少しだけ悲しそうに笑って、『ちゃんは特別だから。……きっと、叔母さんも期待しているのね』と言いました。
私はそこで初めて、ちゃんのお母さんのことを知りました。
ちゃんのお母さん……私の叔母さんは、昔有名なバスケ選手であったこと。
そして、海外留学が決まる直前に、大学ごとバスケ部をやめてしまったこと。
そして……、海外でプロになる、という自分が叶えられなかった夢を、ちゃんに託していること。
私は、そうなのか、と納得しました。
だって、確かにちゃんには、素人の私にもわかるくらいバスケの才能と実力がありました。
それと同時に、ただの遊びなんかじゃない、ちゃんのバスケに対する、どこか鬼気迫る姿勢の理由を理解しました。
家同士が疎遠になっても、私と透ちゃんとちゃんは、その頃はまだよく一緒に遊んでました。
というか、ちゃんが公園で自主練習をしているところに透ちゃんと押しかけて、私は2人の練習を眺めていただけなんですが。
多分、透ちゃんも本当は他の男の子と遊びたかったんだと思いますが、私達によく付き合ってくれました。
だって……そうでもしないと、ちゃん、いつか倒れてしまいそうで。

は本当にスジが良いな。背もまだまだ伸びるだろうし、オレもうかうかしていられないな』

透ちゃんは笑ってそう言いましたが、私は笑えませんでした。
だってきっと、ちゃんは本当は学校の子とかと普通に遊びたかったはずなんです。
それなのに、来る日も来る日もお母さんとバスケして、終わったら遅くになるまでひとりで練習して……。
……可哀想なちゃん。才能なんか、なきゃよかったのにね。



 それからしばらくして、ちゃんは中学生になりました。
そのころ、ちゃんは初めて私達にバスケ以外のことをやりたい、と言ってきました。
てっきり、もうバスケは嫌だとか、遊びたいとか、そんな風に言われるのかと思いましたが、違いました。

『勉強?』
『うん……、この間、初めてテストあったんだけど……成績悪かったから、パパ怒っちゃって……』

ちょうどその頃私達も受験生だったので、私と透ちゃんは快諾しました。
私の部屋で、3人でお勉強する時間が増えました。

『中学生になると、急にテストとか勉強難しくなるもんね』
『そうだな。もよくオレに泣きついてくるしな』
『そういうことはいわなくていいの!』

透ちゃんがいてくれたおかげで、ちゃんの成績はみるみる上がっていきました。
もともと飲み込みが早い方だったんでしょう。
透ちゃんも、『に教えるよりは楽だな』なんて言って、からかってきました。
……でも、その分、ちゃんは夜遅くまでバスケの練習をするようになっていきました。
二学期になったある日、流石に疲れたのか、ちゃんが私と2人で勉強している時に、ひどくぼんやりしていることがありました。

『どうしたの?ちゃん眠い?』
『……ううん』

私がちゃんの解いた問題を採点してみると、成績に悩んでいた一学期が嘘のように、ほとんど正解していました。

『わー!ちゃんすごい!中間もよかったんだよね?期末も、きっと大丈夫だよ』
『……うん』

私が褒めても、ちゃんは上の空でした。

『……どうかした?何か、困ってること、ある?』

心配になって私がそう尋ねると、ちゃんは首を振って、独り言のようにつぶやきました。

『どうしたら、パパとママが仲良くなれるか……、いま、それを考えてるの』

と。



 ちゃんのお家が引っ越したのは、それからすぐのことでした。
引っ越したと言っても、県内から県内への引っ越しだったので、前までのように会えなくなっても、私は透ちゃんと出来る限りちゃんの試合の応援に駆けつけました。
私達の受験も一段落した冬の頃、ちゃんはすっかりバスケ部のエースとして活躍していました。
冬季大会の初戦。
ちゃんはいつもの様に活躍し、チームを勝利に導いていました。

(あ、叔父さんと叔母さん来てる……)

私が、挨拶しに行こうかな、と席を立とうとした時、こんな噂が耳に入りました。

さん、相変わらず圧倒的だよねー』
『ねー』

きっと、ちゃんの中学校の3年生達が、試合を見に来てたんだと思います。

『でもさー、なんかブキミだよね』
『ねー!なんか『試合なんか眼中にない』って感じでさ!晴子もほっとけばいいのにね?』
『てかさー、後輩から聞いたんだけど、知ってる?さん、相変わらず人前じゃ着替えないらしいよ!』
『うわ!マジなんだー!誰だっけ、マイが『そのケガどうしたの?』って聞いて以来だよね!まだ続いてんだー』
『そうそう……背中の……アザだっけ』

私は気がついたら会場を飛び出していました。
そして、試合が終わって控室に戻っていくちゃん達を見つけました。

『あ、ちゃん』
さん、来てたんですね』
『ごめんね、晴子ちゃん、すぐ戻るから!』

私は、晴子ちゃんと一緒にいたちゃんの腕を掴んで、トイレへと駆け込みました。
そして、ちゃんのウェアを引っ張って、背中を確認して……すぐに、先程の噂が本当だったと確信しました。

『…………ケガなんて、バスケにはつきもんだよ』

項垂れて言うちゃんに、私は思わずこう言い返しました。

『バスケで、そんなところ怪我するわけないじゃない……!』



 私は知っていました。
ちゃんのお父さんとお母さんが、うまくいってないことも。
ちゃんのお母さんが、ちゃんのことをバスケ選手に育てたいことも。
ちゃんのお父さんが、それに反対していることも。
ちゃんが、そんなお父さんとお母さんのために、バスケも、勉強も頑張ってきたことを。
ちゃんにバスケの才能がないとわかったら、叔母さんはどんなに悲しむでしょうか。
叔母さんは、ちゃんをバスケ選手にするために小さい頃からあらゆる技術をちゃんに叩き込んできました。
ちゃんは、叔母さんを裏切るわけにはいきません。
だから、才能があってもなくても、ちゃんはバスケを続けるしかないんです。
でも、叔父さんは、昔からそんな2人を苦々しく見つめていました。

『今更娘にバスケなんか教えてどうなる。アイツはオレにあてつけているつもりなんだ!』
『兄さん!そこまで言うことないじゃない!だいたい兄さんが……!』

母と叔父さんがそんな風に喧嘩して以来、うちの家とちゃんの家は疎遠になりました。

『どうしたら、パパとママが仲良くなれるか……、いま、それを考えてるの』

かつて、そう言ったちゃん。
そのあと、ちゃんは続けてこう言いました。

『でも、まあ……。バスケも、勉強も、あたしが結果出してる間は、パパもママも笑っててくれるから……がんばる』

でも、もう。
ちゃんの頑張りでは、どうにもならないところまで来てしまったようでした。



 私は家に帰って、その日は部活だった透ちゃんの帰宅を待って、すぐにこの事を相談しました。
でも、私たちにできることなんか、何もありません。
だからせめて、試合の応援だけは、試合だけは、毎回顔を出そうと思って。
色々差し入れを持って行ってみたり、透ちゃんも時間を許す限り協力してくれました。
でも、その頃から試合が終わる度に叔母さんは、ちゃんを激しく叱責していました。
最初の頃は『みっともない真似をするな』と怒っていた叔父さんも、いつしか先に帰ってしまうようになりました。
そして……ちゃんが中学2年生になった、夏の大会。
私はとうとう、ちゃんと叔母さんを引き離そうと、無理矢理……。

ちゃん!お願い、本当のことを話して!バスケでそんなところ怪我するわけ無いって、私知ってるのよ!?』

でも、ちゃんは私達を拒絶して、そのまま私達は叔母さんに、『二度とに近づくな』と言われました。
ちゃんが部活をやめた、と聞いたのは、それからすぐのことでした。
県大会の決勝戦が終わってしばらくした、7月のことでした。



 でも私、その話を聞いて、正直ほっとしたんです。
これで、ちゃんはもうバスケのことを考えなくて済む。
バスケから解放されたんだって。
その後のちゃんの問題行動の噂は、私の耳にもすぐ入ってきました。
それはそれで、とても心配でしたが……。
今までのことを考えると、そのほうがマシなのかもしれない、とすら思いました。
だから……高校生になったちゃんがまたバスケを始めた、と聞いた時、とても驚きました。
どうして、と思いました。
だって、ちゃんにとって、バスケットは苦しみと同義です。
そう思って今年の夏休みに、ちゃんの様子を皆で見に行きました。
そしたら、ちゃん、とても楽しそうで……。
あんなちゃん、見たことありませんでした。
でもきっと、それは楽しくバスケをやれている間だけのこと。
ちゃんはきっと、再び真剣にバスケをやりだしたら、また昔のちゃんに戻ってしまう。
だから……。
だからお願い。
ちゃんに、まともにバスケをやれ、なんて。
強要しないでほしいの……。



「…………で?」
「…………『で?』って……」

言われても……。
流川楓に睨まれたは、少し怯えるように視線をキョロキョロと動かした。
自分の言わんとしていることが通じていないと感じたのか、流川は再び口を開いたようだった。

「だから……今の話じゃ、なんであいつがバスケ部やめたのかわかんねーんすけど」
「え?」

それにしても、彼はしゃべる時も随分口を開けないなぁと思うであった。

「えぇと、だから……話したじゃない?」

困惑しつつもそう言い返すと、流川は何かが気にいらなかったらしく、一層鋭くこちらを睨んできた。

「……が実際にバスケをどう思ってる、とか。肝心なとこ、全部アンタの感想じゃ……」

その瞬間、流川の隣に座る黛の拳が一分の無駄のない動きでキレイに振り上げられ、そのまま流川の鼻っ柱に炸裂した。

「……テッ」

(う、裏拳……!?)

流川が鼻をさする。
黛も一応手加減をしていたらしく、そこまで痛そうには見えない。

「一旦インターバル、入れましょうか」

そして何事もなかったかのように彼女がそういうので、はこくこくと頷くしかなかった。