なぜだか流川には、がとてもキラキラして見えた。

このキラキラが欲しい。とすら思った。

それは少年が初めて星を見た時のように、そんな憧れに近い感情だった。



04.夜のピクニック




さん大丈夫?購買で焼きそばパン買っといたよ」
「マジ?サンキュ」
さーん!体調大丈夫だったらこれからオレらとマックいかね?奢るからさ!」
「マジ!行く行く!」

今日は土曜日のため授業は午前中だけであり、帰りのHRが終わった後教室にひょっこり戻ってきたは、なんかやたらと飯を与えられていた。
こいつらは、どこまでの事情を知っているのか。

「オメー、いつもそうなのか」

帰り支度をするために自分の席に来たに流川は声をかける。

「ん?あ、アタシのこと運んでくれたの流川だったんだってね、ありがとね」
「奢られりゃ、誰にでもついて行くのか」

噛み合わない会話。
ただ、一度どこかでそんな噂を耳にした気がするので、確認してみたくなった。
そのとき、

「な、さん。あ、あの良かったら、暇な時でいいから、あの、駅前に美味しいパン屋さん見つけたんだ。奢るからさ、オレと一緒に」

クラスの級長がに話しかけた。
この誘いも受けるんだろうな、と思っていたら、は意外な反応を示した。

「えーと、悪いし、いいよ」
「そんなことないよ!全然!だから」
「級長。日直、仕事してないのに帰っちゃうよ」
「あ、本当だ!小泉くん!ゴミ出ししてないのに帰っちゃダメだってば!」

級長は教室を出ていった小泉を呼び止めに言った。
は流川に向き直り言った。

「誰でもってわけじゃないね。そこそこ基準がある。アタシなりの」
「なんであいつはダメなんだ」
「そりゃあ……、アタシに本気だから?」

だから?と言われてもまるでわからん。と流川は思った。

さーん!行こーぜー!」
「オッケー!じゃーね流川」

は見た目には元気そうに教室を出て行った。

(あ、部活、誘い忘れた)



 今日も部活が終わり、自主トレも終わり、変な赤頭が退部したり戻ってきたりしたのを除けば、いつもどおりの1日が終わった。

(……一応、見とくか)

家に向かう道ではなく、昨日のバスケットコートがある方向へと自転車の進路を変更する流川。
もしかしたら、まだ男連中とつるんで遊んでるかもしれない。
あいつはいい加減な女だ。その可能性は十分にある。
取り越し苦労になるかもしれない。
そう思いながらも、コートに向かうのをやめなかった。



 果たしては、昨日の夜と同じように、ひとりでバスケットコートにいた。
ずっと、ひとりで。シュートの練習をしている。
コートを照らす照明は、だけを寂しく浮き上がらせた。

「おい」
「あれ、流川じゃん。どうしたの?あの人達今日はいないよ?つーかなかなか来ないよ、もう」
「いつからいる」
「え?あいつらと解散したのが3時くらいだから……あれ?今何時?」

7時だ。流川はいつも、部活の後の個人練を7時までする。

「また倒れるぞ」
「朝はごめんて。ヘーキだよ、ただ寝不足だっただけだもん」
「ちげーだろ」

会話している間も、は振り返りもせずシュートを打ち続ける。
それが妙に流川の癇に障る。
人が心配してるのに、のらりくらりと。

「……寝不足なら、帰って寝てろよ」

ここで、盗み聞きした栄養失調のことを指摘する権利は流川にはない。
の嘘に合わせてやることにした。

「んー、そだね。もうちょいしたらね」
「いつ終わんだよ」
「今日はやけに突っ掛かるね」
「ごまかすんじゃねえ」

もともとそう気の長い方ではない流川は早くも痺れを切らし、結局核心を突くことにした。
パシッとシュートを打とうとしているのボールを後ろから弾き、驚いた様子でようやくこちらを見たの右腕をそのまま掴みとる。

「ちょっと、何!?離してよ」
「細すぎる。こんな腕でどうやってバスケすんだ」
「別に……、やってるじゃん、フツーに。見たでしょ?」
「そーいうこと言ってんじゃねえ」
「痛いってば……!」

流川が少し本気で力を込めれば、本当に簡単に折れてしまうだろう。
それくらい、やせ細った腕だった。

「なんで家に帰らねぇ」
「家の鍵無くしたんだよ」

ムスッとした様子では答える。
大学生たちはこの嘘に付き合ってやってたらしいが、あいにく流川はそんな優しい性格はしていない。

「嘘つけ。2年間も鍵無くし続ける奴があるか」
「ホント、……だよ」

伏し目がちに呟く
もっと反論してくるかと思ったが思った以上に元気がなかった。

「……家に、帰れねえ理由があんのか」

は目を逸らしたまま何も答えない。
流川は思わず腕に力を込めてしまった。
ギリギリと、骨が軋む音が聞こえてきそうだ。

「……それが、バスケ部に入らねえ理由なのか」

それでも、は、何も答えない。

「チッ」

ようやく、流川はの腕を開放した。

「いてぇな……バカ!野蛮人!」

不機嫌そうにこちらを睨みつけながらは左手で右腕をさする。

「まだ、ここいんだろ、どうせ」
「……そーだけど」

聞くやいなや流川はコートの外にある自分の自転車にまたがり颯爽と帰っていった。

「何がしたかったんだ……あいつ」



「おふくろ、夕飯なんかに詰めてくれ。外で食う。バスケの練習しながら」
「え?どうしたの?」
「二人分くれ」

流川は家に帰るなり母親に向かってそういった。
流川の母はあまり何もわかっていなさそうだったが、息子のことがよくわからないのはいつものことなので、言われたとおりにタッパーに夕飯のおかずとご飯を詰めてあげた。

「楓、何考えてんの?二人分ってことは練習相手でもいんの?」
「そんなとこ」

既に家に帰ってきていたらしい姉貴が話しかけてくる。

「じゃあいっぱい詰めとくわね。その子よく食べる?」
「食わす」
「楓くらい食べるかしら……そしたらこれだと小さい?」
「よくわかんねー」
「あんまり遅くならないうちに帰るのよ」
「ん」

タッパーの入った紙袋を渡され、玄関まで見送られる流川。
流川はそれを自転車のカゴに載せると、再びのいるバスケットコートまで自転車を走らせていった。



「え、なに。また来たの?」

は驚いたような、呆れたような声を出した。

「飯だ」

紙袋をずいと突き出しご飯の存在をアピールする流川。

「え?なんで」
「お前の分と、オレの分。おふくろにやってもらった。休憩だ」

有無をいわさずの手を引っ張りベンチまで引きずる。

「ちょ、ちょっと待てって!マジで意味分かんないから!」

(オレだってわからん)

なぜ自分がこの自らすすんで乱れた生活を送るアホ女の世話を焼いてるのか。

ただ、昨日、ドキドキした。それだけが事実だった。



「はい、じゃ次もくじ引きでチーム分けな。高校生から選んでいいぜ」

第1ゲームが終わった後差し出された、割り箸で作られた10本のクジ。

流川が引いたのは下に赤いインクが塗られている割り箸だった。

「あ、次アタシと同じチームだね。アタシガードやりたいんだけどいい?」
「好きにしろ」

しばらくして、ショウさんたちのチーム相手に劣勢。

「タイムタイム!作戦会議!つーか何高校生相手に3人がかりで止めようとしてんの!?」
「えー……、だってその高校生超つえーじゃん……」

言っても仕方ない文句でも言わないと気が済まないタチなのか、は敵チームの作戦にケチを付けてから流川を含めたチームメンバーを集めた。

「いい?ショウちゃんたちの作戦はこうよ。さっきみたいにコイツがバシバシ得点入れるのを封じるためにトリプルチームを組んできてる」
「そりゃ見りゃわかるよ」
「最後まで聞けよ!テメーらがよえーからショウちゃんたちも『流川だけ止めときゃいーや』ってなってるんだろーがよ!」

キーキーとは騒ぎ立てる。
大学生は完全にからかっている様子だ。

「ま、流川も流川で問題だけどね。アンタ、自分の価値をまるでわかってないもの」
「あ?」
「で、アタシの戦略はこうよ。『流川以外で点を取る』!」
「何?」

ここに来て自分を外すというのか、流川には信じられない作戦である。

「無理だ」
「もうちょっと現実を見よう」
「だーかーらー!戦術を聞いてから戦略を否定しろっていつも言ってんだろ!やり方はこう」

ふむふむとの作戦を聞き入る大学生たち。
のガードとしての能力はなかなか信頼されてるらしい。

「アンタってさ、ずっとひとりでこーゆー状況突破してきたでしょ」

確かに。でもどんな相手も、何人で来られようとも、そいつらを突破していく自信が流川にはあった。

「それじゃダメね、まだまだ。まあ見ときなさいって、アンタを利用して、アンタを使わずに点を入れてってあげるからさ。やるからには勝ちたいでしょ?協力しろよ?」

勝ち気な微笑みを向けられる。

「おう」

そして試合が再開する。

「リバン!とれ!アタシに回せ!」

ゴール下のプレイはうまいがミドルシュートはヘタクソだとに評された大柄の大学生は、の指示通りリバウンドからのアウトレットパスを出す。
すかさずトリプルチームを組まれる流川。
の指示は、一つだけ。

――構わず走り抜けろ、右サイドへ。

同時に逆サイドへ味方が走りだす。

「おっと!?」

流川はの言葉を思い出す。

『流川に3枚つけてる以上数的有利はこっちなんだ。頼りない仲間たちだけどそこそこいいとこもあるんだよ。アンタはトレーラーのために道を作ってあげて』

ショウさん以外の残りひとりは左サイドの走っていく相手に釣られてしまっている。
そこですかさずがミドルレーンの味方にパスを出す。
ショウさんがミドルレーンまで上がってくるのと同時に、とさっきのリバウンダーがトレーラーとして走りこんできていた。

「やべ!」

トリプルチームのひとりがヘルプに出ようと動いてしまうがその瞬間ボールマンが右ウィングにパスを出す。

「しまった、高校生か!」

(ちげぇ)

そのパスは、右ウィングまで走りこんでいるに渡すためのパスだった。

「ナイスパス!」
!勝負!」
ショウさんがにマッチアップ。

「しないよ!」

と、思いきや、ショウさんの身体の脇を通り抜けてワンバウンドパス。
パスを受け取った相手はもう一人のトレーラー、さっきのリバウンドを取ったやつだった。
ゴールしたでパスを受け取ったそいつは、チェックに入った左サイドのディフェンダーをものともせずパワーレイアップを決めた。

「いよっしゃー!いい感じ!」

喜ぶ

「なんつーセカンダリーブレイクだ……教科書みてぇ。即席メンバーでよくこんなセットプレーが出来んな」
がいる以上、そこに関して驚いても仕方ないさ。あいつのパスがチームを動かす。なんせ生粋の司令塔(PG)だからな」

その後もバタフライブレイクを主軸としたセットプレーが上手く展開する。
結果、流川にボールを回す気がないことに気づきつつあった敵チームはマークを修正しだした。

「やっぱを止めねーことには勝利はないらしいな」

ショウさんが言う。

「ショウちゃん、流川ダブルチームにして、オレ大島に着くわ。あいつさっきからローポストで調子に乗りすぎ」
「ああ、それでいこう」

大島、とはさっきのリバウンダーのことである。
にはショウさんがマークに付くことになった。
またにアウトレットパスが飛ぶが、今までのようにミドルポストまで簡単に詰めれない。
ショウさんに完全に止められたはミドルポストにいる、ダブルチームで当たられてる流川にショルダーパスを出した。

「流川っ!」
「げ!やっぱり高校生かよ!」
大島についていた大学生が流川のチェックに戻る。

流川は思った。

(なんだ、結局オレ頼みか。大口叩いてた割にはオレのディフェンスを手薄にするだけの普通の作戦だな)

と。

しかし続けては叫んだ。

「スルー!!」

流川は指示通り、というかその声に驚きボールを眼前で見送る。
流川に取られたあとの動きに移行していた3人も結局反応できなかった。
見送ったボールの先には……。
味方チームの大学生が見事なアリウープを叩き込んでいた。

(ダイレクト、パスだったのか……!なんてやつだ。このタイミングで……ローポストに仲間がいることに、気づいていたのか!)

試合、終了。
結局負けてしまったが、流川はのプレーに興奮を覚えている自分がいることを自覚していた。

「あー、さすがにあそこからの追い上げはきつかったかー。悪いね、負けちゃって。でもさ、わかったでしょ。アンタはさ、何も自分でムキになって点取りに行かなくたって、いるだけで脅威になるんだって。それはアンタの価値の一部よ。自覚すれば武器になる」

は司令塔としての癖なのか、妙に教師っぽい発言をした。
だが、流川は今、自分の心臓の音がうるさくて、の説教が耳に入らない。
まだ胸の高鳴りが止まない。
初めてだった。こんなことは。
いや、違う。
この胸の高鳴りは、まるで自分が初めてバスケの試合でシュートを決めた時のようだった。

なぜだか流川には、がとてもキラキラして見えた。

このキラキラが欲しい。とすら思った。

それが、昨日の夜の顛末だった。



「あ、このかぼちゃの煮付けおいしい。流川のおかーさんお料理上手だね」
「おー」

だというのに、今日1日だけで流川はに散々幻滅させられた。
生活は無茶苦茶だわ、同級生のナンパにはついていくわ、アホ女としか形容のしようがない。
だが、流川はもう決めてしまった。
オレはこのアホ女を見捨てない、と。
それは昨日大学生に頼まれたことでもあり、今日教師に頼まれたことでもあった。
は、細い見た目の割にはよく飯を食った。
当然だ。の体は間違いなく腹をすかせているのだから。
だが、それでもまだ足りない。

「これも食え」
「え、もういいよ。お腹いっぱい」
「そんなんじゃまた倒れるだろ。部活中に」

はこれから、高校バスケ界に殴りこみに行くのだ。
ふつうの女子が食べる量では、到底足りないはずだ。

「え、アタシ入るなんて言ったっけ」

この期に及んでまだ言うか。
しばらくは考えこむように俯いて、言った。

「ま、いっか。見学くらいなら」

が、ようやく首を縦に振った。
勧誘三日目にして大きな前進である。

その後、流川はベンチで仮眠をとったあと、を相手にディフェンスの練習をしたりオフェンスのパターンを増やす練習をした。
が「そろそろ帰ろうかな」とようやく言ったのは午前2時過ぎだった。

「お前、いつもこんな時間なのか」
「だいたいね。大丈夫?眠い?アタシひとりで帰れるから。送ってもらわなくて平気だよ」
「うるせー、乗ってろ」

寝ぼけまなこでを後ろに乗せたまま自転車をこぐ流川。
こんな時間まで起きて活動しているのは、生まれて初めてかもしれない。

「次、どっちだ」
「右」

踏切手前のマンション。そこがの家らしい。
4月の夜はまだ冷える。
ひんやりとした暗闇の世界に、ひょっとしたらオレたちはふたりきりになってしまったのかもしれない、と流川は漠然とそう思った。

「もう親、さすがに帰ってんだろ」
「だろうね。つーか寝てるっしょ」
「明日、来いよ。必ず」
「うん、行くよ。必ず」

そう言って、流川はようやく帰路についた。