今日、安西は初めてに問いてみた。
の、バスケに対する意思を。

『でもそれって、センセーのツゴウでしょ?』

微笑を浮かべながら放たれたその言葉には、明確な拒絶の意志が篭っていた。

(確かにね)

もっと上を目指して欲しいと思うのは、自分のわがままかもしれない、と安西は思った。
事実、教育者である鈴木は、女子部の現状に満足をしている。
そして恐らく、本人たちも。
だがそれ故に、安西からは不安が消えない。
いつかが、いとも簡単に自分のバスケを捨ててしまうのではないかという不安が。

(ま、ゆっくりやっていきますかね)

安西はトボトボと帰路につく。

(それにしても……『センセーのツゴウでしょ?』、か……。……耳の痛い言葉だ)

が安西の過去などを知る由もないことは、安西も重々承知しているのだが、

(女の子は怖いなぁ……)

安西はぽりぽりと頬を掻いた。
女子は、難しい。



101.苦い棘




 たちの試合が終わる、数分前。

「そっか!!あの子さんだよ、!あたし達が3年の時に県の決勝で戦った相手のエース!!」

陵南の2年、村上裕子が放ったその言葉に流川楓は反応した。
村上は「前まであの子金髪だったじゃん?それで分かんなかったんだよー!」と前のめりになって試合を見ながらはしゃいでいる。
流川は村上を睨みながら、「アイツの事、知ってるんすか」と尋ねた。
その言葉にはどこか怒りのような感情が含まれていたが、村上は気が付かない。

「うん!あたしたちの地区じゃ有名だったよ!すごい強い子がいるって!直接戦ったのはあたしたちが3年の時の県大だったかなー」
「その試合の後」

流川は立ち上がり、村上たちの席に近づく。
流川の突然の行動に村上たちは驚いているようだったが、流川は無視して続けた。

「アイツは姿を消したんだ。バスケ部から。……そうだろ」

流川は今度は、おろおろと流川を止めるべきか悩んでいる赤木晴子を睨みつけた。
晴子は流川が自分に事実関係を確認していることに気が付き、そして何も言わず俯いた。
それだけで流川は理解した。
どうやら『正解』らしい、と。

「流川、何してんのよ……!」

彩子が剣呑な雰囲気を醸す流川を制止しようとするが、流川は聞かない。

「先輩、なんか知らないっすか。アイツが、がなんであんな風になったのか」
「ちょ、ちょっと、流川くん?」
「おい」

今にも村上に掴みかからんばかりの勢いの流川からかばうように、福田が流川と村上の間に割って入った。
仙道も神も、気がつけば警戒した眼差しで流川を見ている。
湘北の男子も緊張した面持ちで成り行きを見つめる。
宮城が立ち上がり、流川に座れと怒ろうとした、その時だった。

――ビ――――――!!!

審判の笛の音が響いた。
全員、思い出したようにコートに視線を戻す。

「バスケットカウント!ワンスロー!!」

どうやらが相手からバスケットカウントを奪うことに成功したらしい。
女子たちはゴール下で「すごいすごい!」とハイタッチして喜び合っている。
流川は、仲間とはしゃぐ、を見て、

「あれで、いいと思ってんのか」

誰に言うでもなく、そして誰もに訴えるように呟いた。

「る、かわくん?」

村上が困惑した表情で流川の顔色を伺う。
村上だけではなく、この場にいる全員が流川の発言の真意を掴みかねていた。
だが、海南のだけは、

「無駄よ。流川くん」

ただ冷たく、そう言い放った。

……?」
さんっ?」

清田と村上が止めるのも聞かず、は立ち上がり流川を睨みつけてくる。

さんに何を期待しているのかは知らないけど……。諦めたほうがいいわよ。だってさんは……」
「テメーに何がわかる」

コートではがフリースローに成功していた。
流川は、何も答えない赤木晴子にも、知ったような口でを語るにもイラついて、席に戻って自分の荷物を拾い上げた。

「おい、流川……」

宮城は椅子から立ち上がり掛けながら流川を呼び止めた。
しかし流川は「……スンマセン」と言って出口への階段をのぼる。

「お、帰んのか?」

その様子を見た仙道が、緊張とは程遠い口調で流川に声をかけた。
だが流川はそれを無視して会場を出て行った。
仙道は、なんだかすっかりギスギスしたムードになってしまった観客席をチラッと一瞥した後、「……オレも行くか」と流川の後を追った。



 そして、現在。

「てめーどこまでついてくる気だ」
「ん?駅一緒だからよ……」

怒りに任せて会場を出て行ってしまった流川を、他校の先輩である仙道彰が追ってきた。
かと言って仙道は自分のところの女子にした非礼を詫びろ、とでも言う素振りもなく、まして流川に会場に戻れ、と注意する風でもなかった。
ただ、早足で駅に向かう流川についてくるだけだった。
相変わらず、食えなくてやりづらい相手である。
駅に近づくにつれ、周りの景色も賑わってくる。
もう女子の試合もとっくに終わっていることだろう。
流川はのことを思い出し、またふつふつと怒りをたぎらせた。

(……あんな試合じゃ意味ねぇだろうが)

流川は今日のたちの試合を思い出す。
そして、のプレイを。
決勝戦でも、達のチームは格が違った。
敵の大学生チームも弱いわけではなかったが、高校時代でもせいぜい中堅レベルと言われていた程度だろう。
何より、バスケに賭けているモノが、流川のソレと違う。
そんな相手が、たちの相手にならないのは当然であった。
要するに、今回たちが参加したのは、バスケを趣味で楽しんでやる者達の大会だったのだ。
別にソレが悪いというわけではないが。
問題は、のバスケにかけている情熱が、その大学生と同じレベルか、下手すればそれ以下だということである。

(誰か、あいつのこと負かせられる奴はいねーのか)

流川はかつて、監督の安西が言った『は負けるべきである』という発言を鵜呑みにし、を全力で叩きのめしたことがある。
だが、結果は……が再び帰る場所を無くしただけで終わった。

(オレじゃダメだ。……と同じ、女に負ける必要がある)

そこまで思って、ふと、流川にある考えがよぎる。

「おい、仙道」
「ん?」

流川は立ち止まり、仙道に振り向く。
その眼光は、相変わらず鋭い。

「あの女を出せ」
「……あの女?」
「あの、桜木越しにフックシュート決めた女だ」

流川がそう言うと、仙道は「ああ、さんか」と言った。
流川は頷き、「そいつを呼んで、を叩きのめせ。……そしたら、あいつもなんかに目覚めるだろ」と言った。
だが仙道は、いつもの柔和な笑顔を浮かべて、

「悪いな。さん今休業中だから、またにしてくれるか?」

と言った。
流川は(何だ『休業中』って。どいつもこいつも女の考えることは意味わからん)と思いながらも、「じゃ、いい」と踵を返した。

「待てって、流川」
「……なんだ」

今まで一度も話しかけてこなかった仙道が話しかけてきた。

「あー、……どっかでお茶でもしていくか」

流川は、全身に鳥肌がたった。



「じゃあね!みんな今まで本当にありがとう」
「うん、こっちこそほんとに助かったよ。ありがとうね、サナさん」

たちは長妻桜南を含めた陵南メンバーに挨拶をした。
冬の選抜からは男子も女子も敵同士だ。
2校の生徒たちが同時に勝利を祝い合える時は、もう早々訪れないだろう。
は村上裕子に「絶対冬は戦おうね!」と一方的に約束をされてしまった。
(冬までにメンバーが集まるといいんだけど……)と思いつつ、は「オッス」と返事をした。

「しーちゃん先輩も受験勉強がんばってくださいね!」
「ぎゃー!それ今言わないでー!!」

長妻に言われて、椎名はイヤイヤと耳をふさぐ。
三井は長妻と一緒になって「そーだそーだ、勉強しろ」と言っているが、果たして三井には本当に人をからかう余裕があるのだろうか。は少し疑問に思った。

「あ、受験といえば……実は私妹がいて、今年受験生なの」
「へー、そなんだ」

は長妻桜南より更に小さい妹を想像して、ちょっと笑いそうになった。
そのの思考を見抜いたらしく、藤崎に「失礼だよちゃん」と頭をぽかっと殴られた。

「いてっ」
「それでね、妹は湘北が第一志望なの。入学したら仲良くしてあげてね」
「へー!リョーカイ、任せてよ!」

朝倉も「サナさんの妹さんですか!バスケ部勧誘してもいいですか?」と目を輝かせて喜んでいる。
長妻は「んー……。どうだろ?私に似てちっちゃいしなぁ……」と苦笑いを浮かべながら肯定とも否定ともとれない返事をした。
そして、まだまだ話し足りなかったが、

「ほっほっほ。それではみなさん、帰りましょう。明日は月曜ですからね」
「はーい」

安西の一言によって、たちのチームは解散となった。



「さすがに野郎2人で喫茶店ってわけにもいかねーよな。とりあえず、どっか移動するか。……このまま立ちっぱなしってのもあれだしよ」

仙道がそう言うので、流川たちは近くの公園のベンチへと移動することになった。

「ほれ」
「……どうも」

しかしなぜオレはまたこいつにお茶を奢られているのだろうか……。
仙道から缶を受け取りながら流川は思った。

「だってあのまま帰したら、お前らまたケンカするだろ?」

「頭冷やす必要があるかと思ってよ」と言いながら仙道はグビグビスポーツ飲料を飲んだ。
9月も半ばを過ぎたがまだまだ暑い。
流川は生ぬるい風を受けながら宙を睨んだ。

「で、なんたってそんな怒ってんだ?流川」

仙道が、心配してるような、別段そうでもないような口ぶりで尋ねてくる。

「てめーも見ただろ。を」

流川はまだ中身が残っている缶を握りしめて潰しかける。
仙道はその様子から流川の激しい怒りを感じ取り、「あー……」と同意するような声を上げた。

「まあ、楽しそうだったよな。うん」

仙道はそううそぶきながらベンチにもたれかかる。
流川は「そういう話じゃねー」と仙道を睨んだ。

「あのままじゃアイツはダメになる」

流川は再び強く缶を握りしめる。
そして、目を鋭くしての今までのバスケに対する姿勢を思い返した。
ひとりでバスケの練習をする
つまらなさそうに試合を見る
仲間と楽しそうに試合をする
流川に1on1を挑まれ、為す術もなく負ける
流川に「もういい」と言われ、立ち尽くす
そして……、あふれんばかりのバスケの才能を魅せつける

「……許せん」

と流川は呟いた。
なぜあいつは、自分がどんなに働きかけても無視し続けるのだろう、と。
流川はただ、に自分と同じくらいバスケに情熱を持ってプレイをしてもらいたい、それだけなのに。
なにが、なにがいけないのだろうか。
流川にはわからない。
わかるのは、そんな適当なに苛立ちが募るということだけだった。
流川のそんな様子を見て、仙道は、

「ふぅん、好きなんだな。さんが」

と言った。
流川は、こいつオレの話の何を聞いてやがった、と仙道を鋭く睨む。
だが仙道は睨まれても怯まず、ただいつも通りに、世間話をするかのように指摘した。

「だって、そうだろ?好きだから許せねーんだ、さんが。好きだから、自分と違うのが許せないんだよ、お前は」
「……好きじゃねぇ」

流川が否定すると、仙道はわざとらしく「え~?」と声を上げた。

「だってよぉ、普通、その辺の女子がバスケやらないだけでお前キレるか?」

確かにさすがのバスケ馬鹿の流川も、そんなことにいちいち目くじらを立てて怒ったりはしない。それでは完全に頭のおかしい人間である。
だが、

は普通の女じゃねぇ」

と流川は反論した。
仙道は「まあ確かにそうだけど」と同意してから、

「でも、さんがバスケに真剣にならないことに、お前が怒る権利ないと思うぜ?」

と言った。
流川はその言葉にムッとする。
権利ならある。
仙道は知らないだろうが、ご飯もろくに食べず夜な夜なバスケの練習をして時間をつぶすという堕落した生活を送っていたを助けたのは、自分である。
だから、流川にはにバスケを真剣にやることを要求する権利がある。

「それって脅しじゃねーか?」

そう言ったあと、お前らの関係はよく知らないからなんとも言えないけどさ、と仙道は付け加えた。

「脅し?」

その物騒な言い方に、流川は若干怯む。
なんだか悪者にされた気分である。

さんの立場になってみりゃわかるよ。あの子、1回自分の意志でバスケやめたのに、連れ戻されちゃったんだろ?お前に。……さん、1度でも自分からバスケやりたいって言ったことあるか?」

仙道に言われて、流川はの言動を思い出す。

(……ねぇ)

たぶん、一度もない。
若干冷や汗をかいていると、仙道はその態度で全てを察したらしく、「ほらな」と言った。

「じゃあ、アイツのことは諦めろっていいてーのか」

流川は仙道の発言に噛みつく。
仙道は「そう言うワケじゃねーけど……」と何か考えている様子だった。

(ふざけんじゃねぇ)

流川はに対する怒りを募らせていく。
あれほどバスケの才能を持った女を、諦めるなんて出来るわけがない。
しばらくして、仙道が再び口を開いた。

「まあ、優しくしてやれよ、さんに。……お前に出来んのは、たぶんそれくらいだ」

こいつは本当に真剣に考えているのだろうか。
昨日フードコートで言われたことと何も変わっていないことに気がついた流川は、仙道を睨んだ。
仙道は「だって今のお前、『が自分と同じじゃなきゃ嫌だ』って喚いてるだけだぜ?そりゃさんだって嫌がるよ」と、缶に口をつけながら言った。
そんなふうに改めて言われると、自分がとてつもなく心の狭い男のように聞こえるから不思議なものである。
流川はちょっと動揺しながら、そして、結構葛藤しながらも、

「……どうすりゃ、優しくできんだ」

と、まさかの仙道にアドバイスを求めた。
それは、女に優しくしたことのない流川にとって、初めての難題であったからだ。
仙道は仙道で流川の態度に若干驚きつつ、

「ん?……そりゃあ、愛だな、愛」

と本気なのか冗談なのかよくわからない助言をした。
すかさず「ふざけてんじゃねぇ」とキレる流川。
だが仙道は割と真剣そうな口調で、

「だってよ、『好き』ってのはこっちの勝手な都合で……お前は今それをむりやりさんに押し付けてるだけだろ?このままじゃさん、お前から逃げる一方だぜ」

と言った。
その言葉に流川はムッとしつつも押し黙る。
仙道の言葉に納得がいったからではない、理解ができなかったので続きを聞こうとしたのだ。

「だからさ、こう、『好き』の次にいかないと、さんにお前の気持ち伝わらないと思ってよぉ。だから……なんだ、その、『愛』だな。うん」

さすがに『好き』だの『愛』だの連呼していてちょっと照れくさくなったのか、仙道は適当なところで結論づけてうんうんと自分で自分の発言に頷いている。
だが流川は、「待て、意味がわからん」と結局食い下がった。

「だから……ほら、さんには、愛情を持って接してやれってことだな」
「……そしたら、あいつは真面目にバスケするようになんのか」
「どうだかな……。でも、そうすればきっと伝わるぜ、お前の『真剣にバスケして欲しい』って気持ちは」

仙道がそう言うと、流川はフンとそっぽを向いて再びお茶を飲み始めた。
その様子を見て、仙道は少し真剣な声のトーンで「頼むぜ。あの子にはまだバスケをやめてほしくないんだ」と言った。
そして空になった缶をゴミ箱に投げ入れ、そろそろ行くか、というふうに立ち上がる。
そして、ベンチに座っている流川を見下ろして、

「……それに、時が来れば、オマエの望み通り、うちのなんかコテンパンにやっつけるさ」

と言った。

「ふざんけんじゃねえ。俺のが負けるわけねー」

眼光を鋭くした流川に睨まれて、仙道は(あれ?先に『を叩きのめせ』っつったの流川だよな?)とちょっと不思議がった。



 そんなこんなで、男たちが勝手に自校の少女たちの盤外戦を繰り広げている頃、肝心の少女たちが何をしていたのかというと……。



は、

「じゃあ、オレと行ってみるか。その遊園地」

何故か、海南の牧紳一にデートに誘われ、



は、

!」

何故か、三井寿に抱きしめられていた。