ここからは、なぜ三井寿がを抱きしめることになったのかを解明していきたいと思う。
102.三井くん、デートに誘う。
横浜駅にて。
流川以外の湘北メンバーは、各々電車に乗り込んでいった。
同じ方面の電車に乗った者達も、ひとり、ふたりと降りていき、最終的に同じ車両に乗っているのは、と三井寿だけになった。
「混んでるっすねー」
日曜日ということもあり、電車内はしばらく乗っていても人が増えては減りを繰り返し、なかなか空くことはなかった。
はきょろきょろと混みいった電車内を見渡す。
三井はどこか上の空で「……おお」とだけ返事した。
「……あー、はよぉ」
「ハイ?」
「あー……普段、電車じゃねーんだよな」
「ん?まー、そっすねー」
いつも自転車っす、とは短く答えた。
が流川楓といつもチャリ通学している、なんてことは、バスケ部でなくても湘北高校のほとんどのものが知っている事実である。
三井もそれを思い出したのか、「あ、ああ、だよな」と何かを取り繕うように慌てて言った。
そんな三井の態度に違和感を覚えるが、は特に指摘せずになんとなく電車の窓から景色を眺めていた。
(オトコノヒトの考えることなんて、よく分かんないもん)
最近、そう思うことが多い。
だいたい全部、流川のせいである。
少なくとも、はそう思っている。
(家帰ったら謝ったほうがいいのかなー)
は今週の木曜日、観戦中に国体の会場を飛び出していってしまったことを少し反省する。
(でも、アイツも今日アタシらの試合最後まで見なかったって聞いたし、一緒じゃん!)
試合終了後、赤木晴子から聞いた情報を思い出し、はむくれる。
人にやられて嫌なことはすんなよなー、と、は自分のことを棚に上げて不機嫌になった。
(あ、キレイ)
突然、車窓から見える景色が開けて、の目に海が飛び込んできた。
夕日が反射して、キラキラとして眩しい。
ずっと昔から知っていてもおかしくない風景なのに、が海をキレイだと認識できるようになったのは、随分最近の話だ。
その時、電車が急ブレーキを掛けた。
キィィィ!という耳障りな金属音と、車体の軋む音がした。
ボケーっと海を眺めていたは反応が遅れてしまい、近くのつり革を掴もうとした手は情けないことに空振ってしまった。
「わっ」
そのまま体のバランスを崩しよろけてしまう。
「!」
その時、三井が腕を伸ばしの体を抱き寄せてくれた。
三井に支えられる形になり、はどうにか電車内ですっ転ぶという恥ずかしい事態になることは避けることができた。
は、三井に背後から抱きしめられているというちょっと誤解されそうな体勢を少し照れくさく思いながらも、「ど、ども……」と、首だけ振り向いて感謝の意を述べた。
そして照れくさいのはどうやら三井も同じだったらしく、顔を真赤にして「お、おお」と返事をした。
車内に先ほどの急ブレーキに関する理由と謝罪のアナウンスが流れる。
電車が夕日を受けながら、再び、ゆっくりと動き出す。
「……あ、あの?三井センパイ……?」
「……おお」
電車のスピードが安定してくる。
きっともう、隣の駅に到着するまで激しく揺れることはないだろう。
それなのに。
不思議な事に、三井寿はを抱きしめたまま離してはくれなかった。
「えと、あのさ、もうダイジョウ……」
「」
もうダイジョウブっすよ。そう言おうとしたの言葉を遮るように、三井がの名を呼んだ。
はとっさに「ハイ」と返事をする。
三井はそのまま、ややぶっきらぼうな口調で「魚、好きかよ……?」と聞いてきた。
「サカナ……」
好きか、嫌いかで言えば、モノによるがまあ好きである。
秋刀魚の塩焼きとか、そろそろ美味しい季節である。
は三井の質問の意図が理解できず困惑しながらも、「お、オス」と返事した。
「家で、取ってる新聞に、……水族館の、優待券が付いてきてよ……」
三井がポツポツとのすぐ後ろでしゃべる。
は何がなんだかわからず硬直したまま話を聞いていた。
「で、もったいねーから誰か使えってオヤジが言ってきて……だー!しゃらくせぇ!」
そこまで言って、急に三井が逆ギレを起こす。
そしては肩を掴まれくるっと反転させられ、三井と真正面で向かい合う形になった。
「だから、来週休みだろうが!日曜!」
「お、おっす」
なんでこの人急にキレてんの……と思ったが、三井に圧倒されて何も言えなくなってしまう。
そう、三井の言うとおり、来週は体育館に業者が入り使えないため、部活は休みのはずだった。
「水族館、行くぞ」
「オッス……。え?なんで?」
気迫に圧されてうっかり返事をしてしまうが、なぜ自分が三井に水族館に誘われているのか理解できず、は疑問をこぼす。
それが聞こえた三井は再び動揺し、「だ、だから、アレだろうが……その……」と、さっきまでの勢いを失って戸惑っていた。
「ほ、ほら、今日の、褒美だ、褒美……。頑張ってたじゃねーか」
「あー、そういう……」
三井の言葉に納得しかけるも、でも今日の優勝は何も自分だけの手柄ではない、と思ったは「じゃあ他の女子も誘ってるんすか?」と、尋ねた。
(赤木・木暮がいなくなったことでより一層)何かと兄貴分を気取りたがる三井なら、女子を喜ばせようとそういうことを企画……しそうにもないな、とは思い直した。
マネージャーの2人がそういう計画を立てたのに、三井や宮城が乗っかったのではないかと考えるのが妥当である。
だって、水族館なんて、三井が誘うにはあまりにも、なんていうか、女子向けすぎる。
はそう思ったが、三井はまたしても「……だからそーじゃなくてよ……」とブツクサ言っていた。
はそんな三井を不思議そうに眺めていたが、しばらくしてまたしても三井が居直り強盗のように開き直り、「だ、だから!こ、今回はお前なんだよ!ほら、キャプテンじゃねーか、だから、順番だ、順番!」と言った。
はこの人は女子をひとりずつ遊びに誘うのか、すごい勇気だなと若干感心し、全部優待券で済ませる気なのだろうかと少し疑問に思ったが、とりあえず「オス……」とだけ言った。
「とりあえず、来週はアタシと三井センパイ2人なんすね?」
「お、おう!そうだ、わかりゃいーんだよ」
そう言い切った三井はなんだか妙に疲れている。
満員電車で体力を使い果たしてしまったのだろうか。
がそう思っていると、「じゃあ、これ渡しとくぞ!あ、……部活の連中には言うんじゃねーぞ。宮城とかうっせーからな……」と、三井は財布から若干くたびれた水族館の優待券を一枚に寄越した。
「どもっす」、とは受け取る。
(サカナって……回転寿司おごってくれるとかゆう話じゃなかったのかー)
なんて思いつつ。
そして三井は、「じゃあ、オレここで降りるからよ」と電車が止まりかけたタイミングで言った。
そしてもう一度に、「マジで言うなよ。オマエ口軽ぃからな」と念押しをしてきた。
が「えーそっすかー?」とふざけて笑ったら、三井に小突かれた。
三井は「そうだろうが」と呆れている。
しばらくして電車が完全に停まり、三井は人の流れに乗って移動する。
も一度降りようかと思ったが、そこまで混んでいなかったので入り口付近で立ち止まった。
そして電車を降りる直前、三井はを振り返り「……流川にもだぞ」と少し真剣な声で言ってきた。
その真面目な雰囲気には少しだけ体を強張らせて、「……おす」と頷いた。
には、なんだかひどく三井がオトコノヒトに感じられたのだ。
そんなの、改めて思うまでもなく当たり前なのだが。
(流川になんて、ゆうつもりないよ、最初っから)
部活が休みの日でも、流川の頭にはバスケしかない。
流川はきっと、次の休みにが誰とどう過ごすかなんて、全く興味ないだろう。
ぷしゅーと音がしてドアが閉まり、電車が走り出す。
三井を視線で見送る時、は気がついた。
(あれ?三井センパイんち、全然場所ちがくない?)
と。
が家に帰ると、不思議な事に先に帰ったはずの流川がまだ家に着いていなかった。
珍しい。と思った。
流川は寄り道など全くしない男である。
寝ても覚めてもバスケバスケバスケ。
この間授業中、寝言でジョーダンがどうだの言っていたのを偶然(キモッ)と思いながら聞いてしまったのを思い出すと、寝ててもバスケをしている可能性があるような男だ。
(あー。でもセンドーさんとどっかいったんだっけ?メーワクかけてなきゃいーけど)
しかし仙道さんもアイツにやけに突っ掛かられてタイヘンだよなー、と、は2階の部屋へと続く階段を登りながら思った。
その仙道と流川が、自分のことについて話し合っているなどは知る由もない。
そして、部屋の卓上カレンダーに来週の日曜の予定を書き加えて、はシャワーを浴びるべく再び階段を降りた。
そうしたら、
「あ」
「…………」
流川楓が、ようやく帰ってきたようだった。
玄関に立ち、偶然目があったを睨んでくる。
(んだよその目は!アタシは今日ちゃんとバスケしたぞ!)
その目が何となくカチンと来る。
大体、こっちだって頑張ったのに途中で帰るとは何事だ。
むむむ、との胸に怒りが湧いてくる。
お互いたっぷり10秒位睨みあった後、流川は何か言おうと口を開きかけたようだった。
だが、
「ていっ」
それより早くは流川のスネを蹴り、怒る流川に「シャワー浴びるから脱衣所侵入してこないでよえっち!」と早口で言い残してぴゅーと洗面所に逃走した。
なんとなく、とっても流川に素直になれない気分だったのだ。
『……流川にもだぞ』
三井の言葉が蘇る。
(言わねーしこんな奴に!)
怒り心頭の流川楓に捕まる前に、は脱衣所に飛び込んだ。