思えば、流川はのことを、何も知らない。



104.をめぐる冒険




 一週間ぶりの学校の次は、一週間ぶりの部活だった。

「キャー!流川くんステキー!!」
「L・O・V・E!ル・カ・ワー!!」

これまた一週間ぶりの活動である流川親衛隊の、一週間分の声援が普通の練習中の湘北高校の体育館に響く。
流川楓は何週間ぶりだろうがその声援を気にもとめず、練習に励んでいた。

「ヤス!カク!シオ!いい調子だ!3年の抜けた穴はお前らが埋めるんだからな!気合入れてけよ!」

宮城に檄を飛ばされ、2年生達は「おお!」と気合の入った返事をした。
湘北高校バスケットボール部は、国体も終わった今、冬の選抜へと向けて邁進中。
一通り練習が終わった後は、安西の指示の下、個別メニューをこなしていた。
安田と潮崎は、「練習後、300本のスリーポイント」を。
角田は三井、流川を相手に、練習後はリバウンド練習を行っていた。
どちらも、外角シュートが弱点の宮城リョータと、ケガをした桜木花道をカバーする狙いがある。
課題のはっきりしている男子部は、新体制に移行してからの練習もチームの方針もスムーズに切り替えることができていた。
問題は、女子部である。
三井と交代し、水分補給をした流川は、女子と練習しているを見た。
だが、はちょうど体育館の入り口にいた女子に呼び出されてしまったようだった。
を呼び出した女子に、何となく見覚えがある。
たぶん、クラスのやつだろうな、と流川は思った。

「そっか、決めてなかった。じゃあアタシと流川一緒でいいよ」

の言葉に女子は頷き、そして去っていった。
何が一緒になったのだろう。
流川はちょっと気になった。

(優しくする……優しくする……)

を見ながら流川は相変わらずあまり中身の無いことを念じていた。
優しくとは、一体どういうことをすればいいのだろうか。

「そ、そりゃあ、……好きなもんあげたりとか、好きなとこ連れてったりとかだろ。え?アヤちゃん?……断られた」

休憩中、参考までに宮城リョータに「女に優しくするとはどういうことなのか」と尋ねたところ、以上のような回答が得られた。
宮城はちょっと泣いていたが、流川は気の利いた言葉が言えないので「どうも」とだけ言って練習に戻った。



 そして練習が終わった。
流川が水飲み場に向かうと、早速に遭遇した。

「おい」
「モガ?」

水をガブガブ飲んでいるは、日本語になっていない言葉を発しつつも、視線だけはこちらに寄越した。

「……オマエの、……好きなもんなんだ」

そう聞くと、は「意味がわからない」という表情でこちらを見た。
そしてしばらく眉間にしわを寄せていたが、突然「あー」と納得したように声を上げた。

「あれだ。『まんじゅうこわい』みたいなやつだ。アタシね、豚まんコワイ。コンビニの」
「……そうか」
「うん!チョーコワイ。今日帰りとかに買い食いしたら怖くて泣いちゃうかもしんない。それが流川の奢りとかだったらマジでヤバイ」

やっぱりコイツに聞いたオレがバカだった、と思い、流川はを無視して蛇口をひねった。
は流川が水を飲んでいる間、ずっと耳元で豚まんの恐ろしさを語っていた。
しばらくしてその行為にも飽きたのか、は「ホントはアレでしょ?アタシに優しくするキャンペーンの奴でしょ?」と言ってきた。
流川は思わず蛇口をひねり、水を止めてを見た。
は笑いながら、「いいよ、気にしなくて」と言って、「アタシも、この間はゴメンネ」と謝って体育館に戻った。
去っていくの後ろ姿を見て、流川はやっぱりアイツは何もわかってない、と思った。
別にこちらは、謝りたいからとか、罪悪感から優しくしようと思っているわけではないのだ。
とは相変わらず、そういう諸々のことがうまく噛み合わないし、伝わらない。
かと言って、今の流川にできることは「優しくすること」だけ(らしい。仙道がそういった)であり、諦めるわけにはいかない。

(他の奴らに聞いてみるか)

思えば、流川はのことを、何も知らない。



掃除中、流川はまずは手近なところから、と藤崎千咲を呼び出してみた。

「なんか、あんだろ。の好きなもんとか」
「それ、僕に聞く?」

流川が雑に聞くと、藤崎は妙に刺々しい視線を浴びせてきた。
「僕が答えると思う?」と冷ややかなトーンで言われた流川は大分苛ついたが、「じゃあ朝倉に聞く」と言って藤崎を無視することにした。
そして体育館の入口からちょいちょいと手招きをして、朝倉光里を呼び出した。
朝倉はモップを握りしめながら「どうしました、流川くん?珍しいですね」と近づいてきた。
藤崎はその様子を、剣呑そうな目で眺めているようだった。

の好きなもんとか、知ってたら教えてくれ」
ちゃんの好きなものですか?それはもちろん……」

朝倉は伊達メガネを光らせ、自信満々に言った。

「バスケでしょう!!」
「………………」
「………………」

藤崎と流川は、思わず呆れた目つきで朝倉を見た。
多分そうじゃなさそうだから流川は困っているのだが、朝倉は気づいてないらしい。

「だってそうじゃないですか!体育館に飛び散る汗!選手たちが流すさわやかな汗!そして努力の末流す勝利の汗!バスケが嫌いな人なんて居ません!!」

朝倉は力説するが、藤崎は「汗しか好きじゃないの……?」と水を差していた。
もっとも、爛々とした目でバスケの魅力を語る朝倉の耳には届いていなかったようだが。
コイツも頼りにならん、と思った流川は、次は赤木晴子にでも聞いてみるか、と思った。
だが、

「おい、藤崎。ちょっといいか」

今度は逆に、体育館の中からこちらにいる人間を呼び出す声が聞こえた。
三井寿だった。
藤崎は瞬く間に体育館に入り直し、「なんでしょう?」と三井に尋ねた。

「あー、ちょっとよ。その、のことについて、ちょっと聞きてーんだけどよ」
「何でも答えます」
「おい」

オレの時とまるで態度が違うじゃねーか、と流川は藤崎に呆れる。
だが、三井が「な、なんだよ。聞いてんじゃねーよ」と言って、朝倉と流川に対してしっしと手の甲をひらひらとさせた。
そして藤崎は、三井に見えないように流川に向かって「べー」とベロを出していた。
それを見た流川はもちろん怒り心頭である。
生意気だ、生意気だとは思っていたが、藤崎にこんな態度をとられる理由がまったくわからなかった。
だが三井は藤崎をつれてそそくさと廊下の方へ行ってしまった。

「どうしたんでしょうね?三井先輩」

朝倉も不思議そうに首を傾げた。
流川は「知らん」と答えようとしたが、朝倉が少し気になることを言った。

「三井先輩、最近ちゃんのこととても気にしてるみたいなんですよね」

と。

「昨日もわざわざ遠回りなのにちゃんと同じ路線乗って帰ってたみたいですし、さっきみたいにサキチィちゃんに色々聞いてるみたいなんですよ」

なんだ、それは。
流川は猛烈に嫌な予感がした。
予感の理由は分からないが、本能がこう告げていた。

「三井寿は危険だ」

と。
そしてそれの子分である藤崎が妙に流川に刺々しいのも、何故か納得できた。
だが、

(……なんでだ?)

なぜだろう。三井が危険ということも、藤崎がそんな三井の味方をしているということもわかるのに、流川には「何が」そんなに危険なのかがわからなかった。
なんせ、彼らは部活の仲間である。
それがどうして、三井がのことを探っていると、流川が危機感を抱かなければならないのだろうか。

(…………わからん)

流川は朝倉に尋ねてみようとした。
朝倉もなかなかのバカではあるが、ひとりで考えるよりマシだと思ったのである。
しかし、その時、

「おいテメーら掃除サボってんじゃねーぞ!」
「ひぃぃ!ごめんなさいまゆまゆさん!すぐ戻ります!」

黛繭華に見つかって、流川と朝倉は注意されてしまった。

「あ?藤崎いねーの?全く、まとめてサボりやがって」

黛は体育館の出入り口から外を一通り見渡した後、朝倉にせめてひとりずつサボれよと怒った。
朝倉は黛にまだモップがけをしていない方面を指図され、「すぐやりますー!」と走っていった。
流川も一応悪いことをしたという自覚があったので、そそくさと体育館内に戻ろうとする。
だが、

「ちょっと待ちな流川。あんたに話があんのよ」

黛が戻ろうとする流川に、くいくいと指で「こっち来い」と合図した。



 なんだ?と思って流川は黛についていく。
黛はわざわざ外履きに履き替え、体育館裏まで移動した。
そして急に立ち止まり、くるりと振り向いて言った。

「翔陽の、花形透って人、覚えてるわよね?」
「……おお」

さすがに、ついこの間まで一緒のチームでプレイしていた人間を忘れるわけがない。
それに、流川としてはバスケつながりだけではなく、に関連する人物としても、花形のことは認識していた。
その認識はどうやら黛と共通していたらしく、黛は薄い唇をきつく結んだ後、意を決したように言った。

「今週の日曜、あんた空いてる?……花形さん、について知っておいて欲しい話があるんですって」
「なに?」

黛から予想もしていなかった言葉を言われ、流川は目を見開いた。
黛は「本当は私しか誘われなかったんだけど、まあ、あんただったらいいでしょうってことで。話は通してあるわ」と片耳に髪をかけながら言った。
そして、

「……どうする?」

黛は、鋭い目でこちらを睨んできた。

「行く」

流川は短く答える。
その返事を聞いた黛は、「そう。じゃあ……」とあらかじめ書いておいたであろうメモを流川に寄越した。
メモには、今週の日曜の集合場所と時間が書かれていた。

「なんか、の従姉妹が来るらしいわ。その人が小さい頃からの面倒を見てたらしくって。……とりあえず、くれぐれもにはバレないように」
「ああ」

流川は黛から受け取ったメモを握りしめた。
その従姉妹とやらの話を聞けば、わかるのだろうか。
どうして、中学の頃がバスケ部をやめたのか。
どうしたら、は再び本気でバスケに打ち込むようになるのか。
黛は「用事、これだけだから」と言って颯爽と体育館へ戻っていった。
だが、

「待て」

そんな黛を、流川は引き止めた。
黛は怪訝そうな顔をしながらこちらを向く。

「何?」
の好きなもん、教えろ」

黛は「はあ?」と言って流川を睨んだ。
そしてしばらく睨み合った後、「……少女漫画。意外と好きだよ、アイツ」と言った。
が家でそんなものを読んでいる姿を一度も見たことがなかったため、流川はちょっと不思議に思った。
そんな流川に補足するように「毎月誰かしらが買ってくるから。部室で回し読みしてんだよ、雑誌」と黛は言った。
そうなのか。とも思うが、それじゃあげたり連れてったりする参考にはなんねーな、とも思った。

「つーか、なんでそんなこと聞いてんの、流川?」

黛は眉をひそめる。
流川は「別に」と素っ気なく答える。

「ま、なんだっていーけど……。それ、赤木さんには聞くなよ」

それだけ言って、黛は今度こそ立ち去った。
流川はなぜだ?とちょっと不思議に思ったが、やがて自分も体育館へと戻っていった。