「私にとって、とても大切な人がバスケをやめてしまったの。それはまさに悲劇と言えるとは思えなくて?」
「はあ……」
誰だって、自分の傷が1番深いと思いたいものである。
12.彼女の悲劇
翌日、金曜日。
は昨日の夜、流川の就寝時間に合わせて寝て、今朝、流川の起床時間にも合うように頑張った。
(10時に寝て5時に起きるとかコイツジジイかよ)
と思ったが、今まで無理に自分の生活に合わせてしまったし、郷に入りては郷に従え。
流川家にいる時くらい、流川の生活に合わせたかった。
「おはよ」
洗面所で顔を洗ってる流川と遭遇。
物凄い怪訝そうな顔をしている。
「……誰だてめー」
「あ?」
なんでそんなこと言われなきゃならんのか。
早くもはキレ気味だ。
「あ、、か。……カオちげーからわかんなかった」
「殺すぞ」
今度こそはキレた。
確かに、昨日も一昨日も、が風呂に入った後はすでに流川は寝てたし、朝は朝で流川はすでにいなかった。
だから、のスッピンを見たことなかったのだが。
「オメーのチャリになんか適当に細工して事故らせてやる」
「あれ、おふくろのだからヤメロ。大体テメーも怪我すんだろ、それ」
体格ではあからさまに勝てないので、は小細工を使って喧嘩を売ろうとしたが、いま二人で使っているママチャリは、流川のおかーさんのだったらしい。
知らなかった。
そういえばあいつ、初めて夕飯持ってきた時からロードバイクじゃなくてママチャリに変わってた。
二人で、乗れるように。
のために。
たぶん、そのことを指摘してお礼を言っても、「別に」って言われるだけだろうと思うけど。
ただ、やっぱり腹が立ったのでスネは蹴っておいた。
顔洗って着替えてに1階に降りて。
流川のおかーさんはこの家で誰より早起きだった。
育ち盛りの息子と栄養に問題を抱える居候を満足させるメニューを既に食卓に並べていた。
「あらちゃん、今日はお化粧しないの?」
「流川と朝練してから着替えに戻るから、そん時にします」
「家の中で『流川』って聞くと、なんか変な感じね」
昨日、夕飯作りを手伝ったは、2階にいる流川に「るかわー、ごはんだよー」と声をかけた。
そうしたらリビングでくつろいでたおねーさんもおとーさんもちょっとビクッと反応して面白かった。
「そんじゃいってきます」
「……行ってくる」
食事を終えて朝からバスケに励む少年少女という存在は爽やかそのものだ。
もっとも、それは少女のほうが派手な金髪に赤メッシュ、という出で立ちでなければ、の話だが。
朝練を終え、着替えて学校に登校する途中、当然といえば当然だが、2人はすっかり注目の的になっていた。
「えー!どうして流川くん、さんと登校してるのー!?」
「二人乗りとか信じらんなーい!!」
大体は流川ファンの女子による悲鳴だったが、一部、
「クソー!キツネめ!お、女の子と登校するだなんてー!」
と、自分の憧れのシチュエーションをあっさりやってのける流川に対する嫉妬だったり、
「そんなー、ちゃあん!オレめっちゃご飯おごってあげたじゃあん!」
負け犬の遠吠えが混ざっていた。
とても、「実は一緒の家に住んでます」とは言えそうにない雰囲気だった。
自転車置き場から昇降口に向かい、下駄履箱で靴を変える。
同じクラスなのだから、何をするでなく一緒の目的地になる。
と流川は思っていたのだが。
「ん、コッチ」
「寄るトコあるから先行っててよ」
は、自分たちの教室とは反対側に向かおうとした。
「ホケンシツ?」
「あー、違う。大丈夫、何も心配することないよ。ちょっと勧誘しに行くだけだから」
「カンユウ……」
それだけ言って、と流川は別れた。
「どもー、黛ってこのクラスでしょ?いない?」
特に知り合いはいなかったが9組にズカズカと入る。
「やばい、スケバンのさんだ!」
とか、
「今朝、流川くんと登校してた子よ!」
などいろいろ遠巻きには言われるが、に直接話しかけるものはいない。
「私に、なにか御用かしら?」
ひとり、いた。
優雅な佇まい。
湘北高校に咲く一輪の華。
掃き溜めに鶴。
なんかいろいろ言われてるが、とりあえず、が探している黛繭華本人であることは間違いなかった。
「久し振りだね、黛サン?アタシのこと覚えてるでしょ?なーんか、だいぶ雰囲気変わったけどぉ?」
言外に意味を含ませまくって、は挑発気味に声をかける。
(オメーなんだよそのキャラ!中学の頃なんか眉毛なかったじゃねーか!)
と言いたい気持ちを抑えて。
それが伝わったのだろう、黛もピクリ、と一瞬こめかみを反応させ、しかしまた匂い立つような美しさで、
「高校生だもの。かわりもするわ。さんと一緒で、ね」
「さんと一緒で」という部分を激しく強調しながら返してきた。
お互い、バラされたくない過去を握り合っているらしいことだけはわかった。
警戒しあうが一歩も動けない、そんな緊張状態だった。
先に動いたのは、だった。
「アンタさ、バスケ部入んないの?」
その一言を皮切りに。
「黛さんがバスケなんてやるわけ無いだろ!」
「そうだそうだ!黛さんは茶道部なんだ!そんな危険なスポーツ誰がやらせるか!」
「黛さんは、黛さんはなぁ……もう、二度とバスケはやらないって心に決めてるんだぞぉ!」
と、どこからとも無く黛の親衛隊らしき男たちが登場して口々にに反論した。
「ウルセー!!そんな恵まれた体格の茶道部がどこの世界にいるんだよっ!目を覚ませテメーら!」
黛繭華、身長176センチ。
より少々高い。
ヒィィ!との剣幕に親衛隊たちは散り散りになり、各々机の下などに隠れた。
「で、何。なんでバスケやんないの?理由あんの?」
一応親衛隊の言葉を聞いていたが疑問を口に出す。
しかし、黛はこれまた美しくハラハラと泣き出し、代わりに取り巻きの男が答えた。
「黛さんはっ……!ある『悲劇』が元で……心に傷を負ってしまったんだ……!だから、バスケなんてやらせないぞ!」
「はぁ?『悲劇』だぁ?」
(今のおめーの姿のが『悲劇』だよ、舎弟が見たら泣くぞ)
中学の頃、黛は今と違った人種に囲まれていた気がする。
そういえば、黛の中学から湘北は結構離れている。
湘北と同じレベルでもっと近い学校なんていくらでもあったはずだ。
まさかこいつ、そいつらと離れるために湘北に入ったのか。
「うっ、ごめんなさい、みなさん。私のために……!」
「黛さん、なんてお労しいんだ……!おい不良女!か弱い黛さんにこれ以上ヒィィ!」
は足を大きく上げて親衛隊にかかと落としを食らわせた。
男たちはすっかり青ざめて戦意喪失しているが、黛は動じない。
には、この辺で周りの連中も黛が生粋のお嬢様でもなんでもないことを察して欲しいところだが、恋は盲目なのかだれもツッコミを入れない。
「で、実際何なの?バスケやめたりゆー」
が単刀直入に聞くと、黛は絵になりそうなくらい優雅に髪をかきあげながら言った。
「私にとって、とても大切な人がバスケをやめてしまったの。それはまさに悲劇と言えるとは思えなくて?」
「はあ……」
舐めやがって。その程度が『悲劇』なら、世の中はパンドラの箱だ。
ちょうどその時、始業5分前のチャイムが鳴る。
ここでは黛の本音を聞き出せそうにないし、一旦出直そうと思い教室の出口に踵を返す。
「待って」
黛に呼び止められる。
「さん、あなただって、バスケをやめたでしょう?少しなら私の気持ち、わかるのではなくって?」
「……チッ、知らねーよ。どーでもいい。大体、アタシまたバスケはじめたんだ」
だからわざわざ蜂の巣を突っつくような騒ぎを起こしてまで黛のところに来ているのだというのに。
「えっ」
黛は、割と地声に近い低いトーンで驚いた。
「じゃ、また来るかも。バイバイ」
そう言って、は今度こそ教室を出て行った。
放課後、バスケ部。
「しーちゃん、勧誘したけどダメそうだった」
「うーん、そっかー。どうしたもんかねー」
まあ、黛のことだから一筋縄じゃ行かないだろうとは思ってたんだけども。
椎名はあからさまに「困った困った」という表情を作る。
「てゆーか、誘ったのって黛さんのことだったんだね。あの子3年の間でも有名なんだよー!すごい美人だー!って」
「あ、そ」
「でも、あの子がバスケ部だったなんて確かに想像できないなぁ」
ぷっ、とはとうとう吹き出してしまった。
「いやいや、しーちゃん。あいつね、中学の時めちゃくちゃ気合の入ったヤンキーだったんだよ。今と全然ちげーの」
黛の中学のバスケ部は不良が溜まり場として使うために存在しているような感じだった。
だから大して強くもなかったのだが、一応黛はレギュラーでやっていた。
「えーーー!?想像つかないよぉ!?ね、サキチィちゃん?」
話を振られた藤崎はコクリと頷く。
「じゃあ話してやるよ、アタシとアイツの出会いを……」
は愉快そうに話し出した。
アイツとの出会いは、中学2年の春の県大会だった。
当時チームメイトだった赤木晴子が、「お手洗いってどこにあるかな?」と尋ねてきた。
「あれ?あそこにあるよね?」
と、はすぐ近くにあった女子トイレを指差した。
しかし晴子は
「ううん、そうじゃなくて……もっと他の場所ないかなぁって」
と、少々困った様子で言ってきた。
「どうしたの?」
「ええっと……、ちょっと、コワイ人たちがいるのよ……。トイレでタバコ吸ってて……」
なるほど、トイレでたむろしてる連中がいるようだ。
「そうなの?じゃあ一緒に行ってあげるね」
そうして、は晴子と共にすぐ近くの女子トイレに向かった。
(タバコ吸ってるのって……中学生かぁ。しかもあたしたちの次の対戦相手じゃなかったっけ?この制服……)
「あ、何見てんだよコラ。チクったらコロすぞ」
タバコを吸ってる一人がガンつけてくる。
中学生とは思えないド派手な金髪。
顔は綺麗なのにもったいない、と誰もが言いそうな女子だった。
まあ、その人物こそが黛繭華だと知るのは、もう少し後になるのだが……。
――パチ。
は何も言わずにトイレの換気扇を消した。
「あ!てめぇバカ!何しやがる!?」
換気扇のすぐ下でタバコを吸っていた不良達は慌てだすが、大人数でモクモクと吐き出していた煙はすぐに警報音と共にスプリンクラーを動き出させてしまい……。
「うわ!サイアクだ!テメェふざけやがって!」
「おい、センコーがくるから逃げるぞ!」
「マジで後でテメェらまとめてシメるからな!覚えてろよ!」
水浸しになった不良達はそのまま逃げ出した。
「……いなくなったよ?」
「う、うん、ありがとう……」
けたたましい警報音を聞きつけ教師が駆けつけてくる。
原因を察しているようで、「君たち、アイツらはどこに行ったかわかるかね!?」とすごい剣幕で聞かれた。
確かにコワイ人たちはいなくなったが、これはこれでトイレに行きづらいよ、と思った晴子だった。
「でさー、マジで次の対戦相手ソイツらだったんだけど、ソイツらもう苛つきすぎててファウルトラブル続出で荒れたねー、あの試合。結局ワンサイドゲームで勝てちゃったよ」
あっけらかんと語る。
「わ、わぁ、黛さんがそんな子だなんてびっくり……」
話を聞いた椎名が引きつりつつ感想を述べた。
「びっくりしたのはこっちだっつーの。高校で再会したらなんか超お嬢キャラになってんだもん。同姓同名の別人かと思ったけど、バスケのやり方が一緒だったからやっぱ本人だわーってなった」
あれは体育の時だった。
はちょうど黛のチームと当たったから、勝負をけしかけてみた。
昔と変わらない、雑で、勢いだけはいいバスケだった。
「でもちゃん、よくそんなことあったのに、黛さん誘おうと思ったね」
椎名の疑問に同意を抱いたらしき藤崎がコクコクとうなずいた。
「ふつーさ、弱い学校って大会見学来ないよね?ましてや敗退した大会なんて。でもさ、アイツ、黛だけはさ、決勝まで見に来てたんだよね」
そう、意外なことに黛はその後も大会の見学に現れた。
ただ一人で。
だからは、黛と一緒にタバコを吸っていた連中の顔は覚えていなくても、黛の顔は覚えていたのだ。
(そしてその時に、黛がナンパしてきた他校の男をボッコボコにしてるのも目撃した)
だから、多少因縁のある相手ではあるが、誘えばなんとかなるんじゃないかなとも思えたのだ。
「ま、気長に誘ってみるよ」
陵南高校との練習試合まで、あと2日。