だって、あの人の3Pシュートは、それはそれは美しかったのだ。
試合終了間際、逆転で決まった3Pシュート。
私はその瞬間、すっかりあの人の虜になってしまった。
だから私は、大して興味もないバスケなんかを続けてしまったのだ。
……なのに、あの人は。
20.女子トイレでの攻防
陵南との練習試合が終わって翌日。
流川楓は昨日の疲れから寝不足なのか、相変わらず寝ながら自転車を漕いでいた。
「流川ー。誰か轢いてるよー?」
もう流川の自転車の後部座席に座ることも、流川が自転車を漕ぎながら寝ることにも慣れてしまったは、更に寝ながら自転車の暴走を続ける流川に声をかけた。
彼の寝不足の一因が自分にあることは、には知る由もなかった。
バスケ部の練習試合敗北の噂は、何故か割と校内でも有名だった。
「ちゃん、最近付き合い悪くねー?」
教室に入ると、クラスメイトのバカ連中のひとりが、に話しかけてくる。
彼は、によくハンバーガーとかおごってくれる人だった。
「バスケ部いそがしーの」
「またそれかよー。負けちゃったらしいじゃんバスケ部ー。忙しくしたって意味なくね?オレらとあそぼーよ」
「ウルセー」
ゲシッと。ようやく覚醒したらしい流川がそいつを蹴った。
寝起きと相まって不機嫌さマックスと言った感じだった。
「ごめんねー。またあそぼーねー」
「『また』っていつだよちゃあん」
(いつかなぁ)
だって、流川が、『……オレ以外にオメーの世話するオトコがいるのは、ヤダ』なんて言うものだから。
は、以前から自分に好意を持っているらしきクラスの級長を務める男子生徒の方へ向く。
「オハヨー」
「あ、おはよう、さん」
「話があるんだけど、放課後、ちょっといい?」
「えっ!?う、うん……」
「じゃ、また後で」
それを見た流川。不満気。
「今日ちょっと部活遅れるわ」
「なんでだよ」
「いろいろあんのよ」
そうして、いつもの学校が始まった。
放課後女子トイレにて。
「あ」
「あ」
は偽りのオジョウサマ、黛繭華に遭遇した。
「失礼しますわ」
黛はから逃げるように速攻でいなくなろうとする。
は黛を挑発するように、「なんだ。てっきりまたタバコすってんのかと思った」と言った。
「うっせーなテメーは。昔のことをネチネチと……」
「お、それそれ。久し振りだねーマユカチャン?女子トイレまでは例の取り巻き連中いねーんだからさー、素に戻って話せばいーじゃん。アンタのそのキャラ見てると鳥肌が立って仕方ねーんだけど」
「チッ」と黛は舌打ちをした後、腕を組んでトイレの壁にドンッともたれかかった。
「バスケ部入んないの?」
「入んねーよバカ」
黛は不機嫌そうに吐き捨てる。
そうそう、黛はこんな子だった。
キレーな顔して喧嘩っ早くて傲岸不遜。
ようやく腹を割って話が出来る。
「つか『悲劇』って何?なんでバスケやんねーの?」
先週の金曜の会話を思い出しながら、は黛に聞く。
どうせ大したことねーんだろーなと思いながら。
「わざわざ湘北通ってさ。あれでしょ、どーせヤンキー時代の自分知られたくないからバスケ部入りたくねーとかそんな理由でしょ?そんな無理したキャラなんて3年も保たねーからやめとけって」
「うっせーなほっとけよ。つーかバスケ部負けたらしーじゃん。ださっ」
黛は心底バカにしたように吐き捨てた。
知らない奴はなんとでも言えるんだ。
あの敗北が、どれほどの価値を持つかだなんて。
それに。
は黛はまっすぐ見つめていった。
「女子は負けてないよ」
「えっ」
の真剣な声に、黛は弾かれるように俯いていた顔を上げた。
「だって戦ってないから」
「バカじゃん?」
「人数足んねーんだよ入ってくれよー」
は黛に必死なような、それでいてふざけているような態度でお願いした。
「実際なんなの?バスケ部入らないのと、そのキャラは。理由あんでしょ?」
は尋ねる。
あんな気合の入ったヤンキーだった黛がこうも大変身を遂げるには、絶対に何か理由があるはずだ。
黛はから視線をそらすようにぷいっと明後日の方向を向いた。
「なんでだよ、教えろよなー。アタシとアンタの仲じゃん?どーせそのキャラのせーで本音話せるトモダチなんていないっしょ?秘密にしといてやるから話せって」
黛は観念したように、ふーと息を大きく吐いて、言った。
「カレシ……だよ」
「は?」
「だーかーらー!カレシがほしーんだよ!あんなヤンキーキャラじゃバカな男しか寄ってこねーんだよ!!」
「お、おう……」
意外な告白である。
確かに、黛がどんな男を理想としているかは知らないが、黛の周りにはゴツくて脳みそまで筋肉でできてます、みたいな男しかいなかったような気がする。
だからって何もそんなにキャラ変した挙句バスケやめなくても……とは思う。
「つーかさ、もさっきなんか男に告られてたじゃん」
「見てたの?」
こともなげには聞く。
「別に、教室に2人で残ってりゃそんなもんだろーと思うじゃん。どーしたの?付き合うの?」
「断ったよ。ていうか今までアタシが告られないよーに逃げまわってたんだけど、流石に失礼かと思って、アタシから『付き合えない』って言っただけだよ。『アンタのこと、多分好きになんないから』って」
「ふーん。わざわざ律儀なことで」
黛は髪をかきあげて言った。
「しょうがないじゃん。真剣だったんだもん、アイツ」
そう、黛の言うとおり、は先ほど例の級長のことをきちんと振りに行った。
入学式の時に多少親切にしたのがきっかけで、彼はに惚れてしまったようだった。
しかしは、彼の誘いをことごとく断ってきた。
真面目そーなやつだから、アタシなんか好きになったらカワイソウ。そう思って。
だが、そういう態度こそが相手に失礼に当たるんじゃないかと思い直して、しっかり振ることにしたのだ。
そして、はまだ気がついていないようだが。
その心境の変化には、流川楓の存在がある。
「あ!いーこと思いついた。黛、明日体育館来てよ」
「は?私バスケやんねーっつーの」
「いいからいいから。バスケカンケーねー話があるだけだから」
「んだよそれ」
「要するに、彼氏ができればいいわけだ?」
、名案(?)を思いつく。
「うーっす」
「あ、ちゃん、遅かったね」
「ゴメンネ、ちょっと黛と話してたら長引いちゃって」
体育館では、既に椎名と藤崎が練習を始めていた。
「あー、黛さん!どうだった?」
「とりあえず明日体育館に来いっつっといた。あれ……桜木軍団……いねーな」
用事があったのだが、仕方がない。
「あれ?そういえばいないね。珍しー」
いまや彼らも体育館の背景の一部である。
「そうそう、私もね、例の『朝倉光里』さんのこと探してたんだよ、お昼休み!」
椎名は陵南との練習試合で仕入れた新入部員候補の名前を出した。
「あー、そういやそんなのいたね。どうだった?」
「6組ってことはわかったんだけどね、お昼休みクラスにいなかったから会えなかったんだよー」
椎名は心底残念。という顔をした。
「そーなんだ。明日は会えるといいね」
黛繭華とまだ見ぬ『朝倉光里』。
もしこの二人が入ってくれれば……。
湘北女子部は5人になり、県予選に参加できる。
そして、男子は男子で、
「……水戸洋平だ。あんたは?」
「宮城……。宮城リョータだ」
もう一人、強力な選手が戻ってこようとしていた。
「お疲れ様でしたー!」
バスケ部も練習が終わり、女子は3人で、男子は1年が中心になって片付けを始めた。
「そーいえばさ。しーちゃん」
「ん?」
「なんで女子って、しーちゃん一人になっちゃったの?」
片付けの途中、はふと疑問に思ったことを告げる。
いくら弱小とはいえ、男子だってそこそこの人数はいる。
なんたってひとりになってしまったのか。
「いやー実はさ、私の上の代は結構いたんだよね。先輩!でも私の次から誰も入ってこなくなっちゃって……」
トホホ……という感じに椎名は溜息をつく。
「それでも全然人数少なかったけどね。私はさ、タケちゃんみたいに、『強くなって全国制覇しようぜ!』とも、『練習して上達しようぜ!』とも言えなかったんだよね。私自身そんなに上手くなかったしさ」
モップがけをしながら、椎名は言う。
「私はバスケ好きだったから続けたけど……、それを他人に伝えるほどの情熱は、なかったんだよね」
椎名は、赤木と木暮を思いながら語った。
でも、椎名のこの話は矛盾している。とは思った。
だって、現に椎名は今、必死に部員をかき集めている。
3年の最後の大会には、どうしても出たくなった、とかではないような気がする。
その疑問に答えるように、椎名は「でもね」と付け足した。
「私が3年で一人になっちゃって、『どうしよかなー』って思ってる時に、サキチィちゃんが来てくれたんだよね!『先輩、バスケ部に入部したいんですけど』って!も~私、『先輩』なんて呼ばれたのはじめてだったから嬉しくて嬉しくて!」
椎名はモップを片手で持ちながら、同じくモップがけをしている藤崎にぎゅーと抱きついた。
「だから私ね、最後の仕事として、湘北女子バスケ部をまた軌道に乗せたいの!しっかりバスケがやれる部にしたい!」
そんな風に、思っていたのか。
椎名を単なる脳天気とは思わなかったが。
そんな椎名の決意と告白を、少し離れたところで赤木と木暮、そして安西も見守っていた。
「そうだちゃん!更衣室にあったノート覚えてる?手書きの『しょうほくノート』って書かれてる奴!」
「あー、確か……サバイブとかなんとか……」
確か、部活見学に行った日に見た気がする。
「そうそう、それそれ!ちゃんにはまだ説明してなかったよね。後で説明してあげるね」
椎名はそうだけ言って、再び片付けを始めた。
そして、更衣室にて。
全員が着替え終わり、帰り支度をしたところで、椎名が言った。
「ちゃん、これだよ。サキチィちゃんも1回見たよね。これは『しょうほくノート』です。代々キャプテンが受け継いでね。私が入部する前からずっとあるの」
勢いの良い字で「SURVIVE」と描かれたノートをめくる椎名。
「まー、要するに日誌なんだけどさ。昔も結構あったみたいなんだよね。今みたいに超人数少ないこと!でもその時の主将さん、どうしてもバスケ部潰したくなかったみたいで……」
椎名は、見開きで大きく「SURVIVE」と描かれたページを2人に見せつけた。
その筆跡は、表紙に書かれているものと同じものだった。
「だからさ、男子は全国制覇かも知んないけど、女子の目標は『SURVIVE』なの。生き残ること!生き残ればきっといつか、何かに繋がるんじゃないかなって。甘いかもしんないけど、私この言葉好きなんだ。私も『SURVIVE』させたいんだよ!この部活を!」
椎名は先程より熱く語った。
は照れくさくなって「わかったわかった」と興味なさそうになだめた。
でも、なんだか心がちょっとあったかくなったのも、また事実だ。
こんな風に思ってくれる先輩がいるのは、割と幸せなことなんじゃないかなーと、は思う。
そして、ここに連れて来てくれた流川に、感謝の気持ちが溢れた。
「そのためにも、なんとしても連れてこないとね、あと2人」
「うん」
「がんばろうね!しょうほくー!サバーイブ!」
椎名は妙な掛け声を出した。
『頑張ってね……』
「!?」
ふと、3人の耳に3人の誰のものでもない声が届く。
「え、今喋ったの、誰」
「僕じゃない」
「わ、私でもないよ!?」
3人共、恐る恐る振り返る。
そこには、いつものように壁のシミが這い出ていた。
「うわああああああ!!!!喋ったああああああああああああ!!!!」
3人共適当にまとめた荷物を持ち、一目散に出て行った。
「流川!!!」
「おせー」
自転車置き場で既にを待っていた流川は、不機嫌そうに声を出した。
「遅くねーよお前のほうこそ早く出せバカ!出たんだよとーとー!!」
「……ゴキブリか?」
「違うわ!ユーレイだよユーレイ!女子更衣室に取り憑いてんの!」
流川は「はあ?」という顔をしながら、極端に怯えるのためにとりあえず自転車を動かし始めた。
「……あんま、抱きつくな」
「無理だよコエーもん!!」
流川は、(のブラジャー……)と背中に伝わる感触のせいで昨日の事件を思い出しながら、自転車を家へと走らせた。