「違う。朝倉のバスケ人生に後悔が残らなくてよかった、と思ったんだ。のバスケを知らずに辞めていったのでは、後悔が残るだろう」
28.1度も見たことなかったから
「え!?じゃあ、あれがガリ勉の『朝倉光里』……?」
「そう!あの子がガリ勉の朝倉光里さんだよぉ!」
本人に丸聞こえでこそこそ話をする椎名と。
朝倉は『ガリ勉』と呼ばれたことに苦笑いをしている。
先ほど、1年女子がモップがけをしているところに現れた椎名が連れてきたのは、昨日偶然にもが助けてあげた女子生徒、朝倉光里だった。
なんでも、ドライバーをわざわざ返しに来たらしい。
クラスの男子にドライバーに書いてある「流川」という字を見せたら、「ああ、それ絶対バスケ部の流川だよ」と教えてもらったのだという。
もっとも、朝倉はその「流川」を、自分を助けてくれた不良っぽい女の子のことだと勘違いしていたようだが。
「そっかぁ……じゃあ、私勘違いだったみたいだね……。ごめんね朝倉さん、また無理矢理体育館に引き込んじゃって」
「いえいえ、全然……」
椎名はすっかりしょげている。
その姿を見て朝倉は……お人好しの性格なのだろう。
「何か、困ってるんですか?」
と、椎名に声をかけてしまった。
「もぉ困ってるも何も!来週から県予選なのに人数が足んないんだよぉ!4月からチビチビ増やしてってどうにか4人までは集ったんだけどさぁ……」
「そ、そうなんですか……」
うがー!と頭を抱えて暴れだす椎名を見て、なにか危険な予感がしたのか、朝倉はそっとその場から離れた。
黛が、お嬢様モード全開で朝倉に話しかける。
「朝倉さん、ごめんなさいね。先輩、いまちょっと必死だから……」
「そうみたいですね……」
朝倉が、わあ、綺麗な人……と黛を見つめていると、黛は急に豹変し朝倉の肩に腕をガッと回した。
「そーなんだよ、必死なんだよぉ……。だーれかさんがバスケ部入ってくれりゃぁすむ問題なんだけどよぉ。テメー実際どう思ってんだよタコ。困ってる先輩見て『では私はお勉強に戻ります』とか言っちゃうんか?オラ」
「ヒイイイイイイイ!!!」
黛はメンチを切りながら朝倉に言った。
朝倉はすっかり怯えきっている。
藤崎が「どうどう」と場をとりなした。
「まあ、でもヒトが足んないのは事実なんだ。どう?朝倉さん。試合だけでも出てくんない?いるだけでも大助かりなんだけど」
が朝倉に提案した。
そう、試合当日にコートに立ってくれる人がいるだけでも、今の女子バスケ部にはありがたい話なのだ。
「えぇ……。えと、試合って、いつ、ですか?」
初めて、朝倉から否定以外の言葉が聞けた。
すかさず椎名がコピーしていた日程表を渡しながら言った。
「5月19日だよ!水曜日!公欠にするためにはとりあえずでもいいから入部してもらいたんだけど、いいかな?」
この時黛は思った。
退部届、あとで燃やそう。と。
「う、うーんと。わかり、ました。あ!まだ出るって決めたわけじゃないですよ!親と相談してみます。とりあえず、5月19日ですね」
突出して手続きを踏みそうになった椎名を牽制しつつ、朝倉は助っ人になってくれることだけは前向きに検討してくれたようだった。
「本当!?本当!?わー!嬉しいな!じゃあ、じゃあ、くれぐれもお父さんとお母さんによろしくね!これ、つまらないものですが!」
椎名は手土産のつもりなのか、部活後に食べるつもりだったのだろう、菓子パンを朝倉に渡した。
朝倉はそれを拒否しつつ、
「はい。あ、でも練習は……17日の月曜日から参加、という形で大丈夫ですか?塾があるので」
と、言った。
「うんうん、わかった!全然いいよ!」
椎名も快諾する。
とりあえず、話は纏まった、と思っていいのだろう。
は帰る朝倉に玄関まで送ることにした。
「悪かったね、朝倉さん。無理してない?しーちゃん、けっこー強引なとこあるからさ」
「あ、いえ、全然……。私も、この間久しぶりにバスケできて、楽しかったですし……」
そういえば、彼女は1人で藤崎と椎名のディフェンスを突破したことがあったんだっけ、とは聞いた話を思い出す。
「それに、さんに何か恩返ししたいなぁって、ちょうど思ってたところなんです!大丈夫、プラスドライバー1本分の働きは、絶対にしてみせますから!」
朝倉がガッツポーズを取りながら言う。
その働きは、大きいんだろうか、小さいんだろうか。
にはよくわからなかった。
「よかったな、朝倉」
「あ、タケちゃん!うん、良かったよーこれで私達もなんとか大会に出られそう!協力してくれてありがとね!」
椎名が全開の笑顔ではしゃぐ。
それを見て赤木は、不敵に笑った。
「違う。朝倉のバスケ人生に後悔が残らなくてよかった、と思ったんだ。のバスケを知らずに辞めていったのでは、後悔が残るだろう」
「おおー!なんだかタケちゃんカッコいー!」
赤木は本気でそう思ったのだが……、単に格好をつけてると思われてしまった。
あの日、椎名と藤崎が朝倉に負けた昼休み。
赤木は、があの場にいなかったことを悔やんだ。
と朝倉を対決させれば、いや、のバスケをひと目でも見れば、朝倉は気が変わってバスケ部に入るのではないかと思ったからだ。
(いや……成績がネック、か)
朝倉の成績が恐ろしく悪いことを知るのは、赤木しかいない。
(だが、これで集ったんだ。最強の女子5人が!)
これで赤木も、本当に自分たちのことだけに専念できる、と胸を撫で下ろした。
練習が終わり、女子更衣室では『朝倉光里獲得作戦会議』が開かれていた。
「だからーこれからバンバン勝ち進んじゃえばいいんだって!まさか朝倉さんだって一回戦勝っただけでサヨナラはしないでしょ!そして!インハイの決勝の頃には朝倉さんだって『部活やめます』なんてもう言えなくなってるはず!」
「え、アタシらインハイまで行くの?」
「ちゃん目標低い」
「つーか朝倉ってなんで部活入んねーの?」
まあ、『朝倉光里獲得作戦会議』という名のただのおしゃべりだったのだが。
椎名は「しょうほくノート」を開いて油性ペンで書いた。
『めざせ!インターハイ!』
「てゆーか退部届燃やしとこうぜ。これでずっと入部させることが出来るっしょ」
黛が部室の書類が入っているクリアケースから退部届を抜き、ライターで燃やそうとする。
「まゆまゆちゃんだめー!危険行為は禁止です!」
「焚書、ダメ、絶対」
すかさず椎名と藤崎がそれを止める。
チッ、と黛は舌打ちした。
とりあえず、女子の当面の目標は『朝倉光里を正式にバスケ部に入部させること』と、『そのためにインターハイに行くこと』に決まった。
「よーしじゃ、皆さんお疲れ様!かいさーん!」
椎名の号令で、女子は更衣室から出て行く。
「先生サヨナラ」
相変わらず、黛は壁のシミを女子の顧問か何かと認識しているようだったが、誰も指摘しなかった。
翌日、練習中のバスケ部に朝倉光里が現れた。
曰く、『親からの許可は取れました』とのことだった。
これで、ようやく女子も大会に参加できる。
椎名は張り切って参加書類を書いた。
そして、朝倉には入部届を書かせ、「また月曜日に!」と挨拶した。
そして、
「ちゃん!椎名先輩から聞いたわよぅ!大会出れるんですってね!絶対、勝ってね!日曜の大会だったら応援に行くから!」
「うん……ありがと」
は、女子の出場を自分のことのように喜ぶ赤木晴子に声をかけられた。
晴子はどうやら朝倉光里という選手のことを知っていたらしい。
神奈川では実力者として有名だったのだとか。
ちゃんとだったらきっとすごいコンビネーションが生まれるわ!と興奮している。
(なんだか、中学の頃みたいだ)
は少し憂鬱な気持ちで中学の頃を思い出していた。
「ごめん、部活行くから」
晴子の話を一方的に切り上げ、は部活に向かった。
その様子を見ていた松井が、晴子に声をかける。
「晴子って……本当にさんと仲よかったの?晴子の一方的な思い込みじゃない?」
「そ、そんなことないわよぅ!……多分。ちゃん、中学の頃、色々あったみたいだから……。でも!ちゃんの実力は本物よ!だって……!」
晴子は思い返す。
中学2年の県大会後、突然部活にも学校にも現れなくなった。
そのまま関東大会の緒戦で、エースを欠いた四中は敗退してしまったのだ。
それもショックな出来事だったが、晴子にとってより大きなショックが訪れたのはその後だった。
自分が唯一トクイだ、と認識していたレイアップシュートが、試合で全然入らなくなってしまったのだ。
――「ちゃんみたいにプレイできなくても、走ることならあたしにも出来るわ」
かつて、晴子がそう言うと、は笑ってこう返した。
――「じゃあ赤木さんが走ってたら、あたし絶対赤木さんにパス渡すね」、と。
自分が、レイアップを決めることが出来たのは、のおかげだったんだ、と入らなくなった自分のシュートを見つめながら思った。
(ちゃんは、ただあたしにパスをくれてたんじゃない。相手の行動を把握して、あたしのフリーを作ったうえでパスを回してくれてたんだ)
その後、晴子がどんなにチャンスだ!と思って打っても、立ちはだかる相手のブロック。
のようにフリーの味方を作り出せるようなPGは、四中にはいなかった。
(応援に行くから、絶対勝ち進んでね!ちゃん)
県予選まで残り、ちょうど1週間。