「ねー、だから言ったでしょ?『あの子大したことないよ』って」
「ホントだねー、谷の言うとおりだったわー。まさかホントに全然入らないとは思わなかったよ」
「あの子中学の時からそうだもん。試合でシュート入れてるとこ見たことないしー」
ま、でも一度だけ……。
31.赤木と椎名ともぐらの話
前半戦終了。
結局あのタイムアウト後イラつきが故に精彩を欠いた黛が再びファウルを取られ、がスリーポイントを返すも点差は30-44と、逆に開いていた。
湘北の控室で、皆、どんよりとした空気を漂わせていた。
「まゆまゆ、オメーファウル多すぎなんだよ。なんだよ前半だけで3つって……」
「ウルセーなー」
黛は明らかに苛々している。
まあ、そうだろう。
あの藤崎が、一方的に言われて何も反撃をしないのだ。
試合で実力を発揮できない選手というのはいくらでもいる。
だが、これはそういう問題ではない気がする。
「んだよあの谷って女!!ぶっ殺す!」
ダン!と黛が乱暴にドリンクを置く。
「まゆまゆちゃん……」
「でも、実際強いですよね、谷さん。リバウンド取った後はいつも彼女からの攻撃です」
そうだ。ディフェンス・リバウンドでインターセプトをした後、室町は谷を中心に速攻を仕掛けてくる。
谷のマッチアップは黛だ。
実力を発揮できない藤崎と、実力で敵わない自分。
黛は双方に苛ついているのだ。
「僕が、弱いから……」
ずっと黙って俯いていた藤崎が口を開ける。
「サキチィ、アタシさ、ごめん、三井センパイからアンタの中学の頃の話、いろいろ聞いちゃったんだけど」
「ちゃん……!」
椎名がをたしなめるように言う。
やはり、椎名は知っていたんだ。
藤崎がいじめられていたこと。
それを知った上で、何も言わないであげてたんだ。
「……そうだよ。僕弱いから、いじめられてたんだ」
「あの谷って女に?」
藤崎は黙って頷いた。
流石に、あまりにもすぐバッシュをダメにする我が子に、母は何かを勘付いていたと思う。
でも、千咲は周りに何かいうことはなかったし、親もまた、何も言わなかった。
「千咲は本当にバスケが好きね」
練習は、よく母親に近所にあったバスケットコートに付き合ってもらってた。
せっかく部活に入ってるのに、友達とも練習せず外で練習する娘を見て、母はどう思ってたんだろうか。
たまに千咲はその時のことを思い出す。
しかし、そんな風に考えられるようになったのは、高校生になってからだ。
高校生になって、部活が楽しくなってからだ。
中学最初の新入生の実力診断的に行われる先輩とのマンツーマン練習を機に、千咲は部活でいじめられるようになった。
それでも辞めなかったのは、三井寿のあのシュートに憧れたからだ。
まるでシューティングゲームかのように美しくボールを入れる彼の姿に、自分もああなりたいと思ってしまった。
だから、シュートの練習だけはひたすらし続けた。
それだけは、ひとりでも出来たから。
「でも実際はこのザマだよ。僕は結局……弱いまま、入りもしないシュートの練習をし続けるタダのマヌケだ。先輩の言うとおりだよ」
藤崎の告白を、全員悲痛な面持ちで聞いていた。
今、は藤崎に固執するかのようにパスを出し続けている。
藤崎にシュートを決めてもらって、自信をつけて欲しいからだろう。
皆、の考えは理解していた。
だが、その優しさは藤崎にとって残酷なものでしかないのかもしれない。
皆、そう思った。
いや、ただ一人、
「だからさ、アタシが聞いた話と違うんだけど、ソレ」
だけは、違うことを考えているようだった。
「さん、『違う』って……?」
「サキチィがいじめられるようになったキッカケってさ、あの谷って女に」
「やめて!」
「サキチィちゃん!」
藤崎は控室を飛び出して行ってしまう。
椎名が追いかけようとするのを、安西が止めた。
「正念場ですね。女子バスケ部の。確かに、朝倉くんとくんを主軸におけば勝てるかもしれません、今回だけは」
安西は『今回だけは』という部分を強調して言った。
そう、今日の試合だけ勝っても、意味がないのだ。
これから、この先、ずっと勝ち続けるためには、藤崎の力が必ず必要になってくる。
そのためには、今日、この試合で、藤崎には自分の殻を破ってもらわなくてはならない。
でなければ、今日勝利を収めたところで敗北を先送りにするだけだ。
「後半も、藤崎くん中心で点を取りに行きましょう。彼女は我が部の点取り屋(SG)です。そして、朝倉くん、椎名くんは、」
「はい」
「オフェンスリバウンドを全て取ること。できますね?」
全てって、おい。は心の中でツッコむ。
だが椎名は、
「はい!」
元気よく返事した。
「良い返事です。上級生の実力、見せてあげてください」
「もちろんです!朝倉さん、ゴール下大変なことになっちゃうと思うけどがんばろーねー!」
「はい!」
朝倉も、異論は無いようだった。
「くんは今まで通りパスを中心にゲームメイクを、黛くんはファウルを抑えるように。君が抜けたら大変だ」
「オス」
「はーい」
と黛も返事をする。
あとは、藤崎だけだが……。
「良いシューターの条件ってわかるか?」
控室を飛び出した後、速攻で三井にとっ捕まってしまった藤崎は、2人で階段に座りこんなことを聞かれていた。
てっきり試合のことをなにか言われるかと思った藤崎は少し拍子抜けをしつつ、
「……そりゃあ、シュートを高確率で入れられる人、ですよ……」
と答えた。
「バーカ。それは『良いシューター』だ。オレが今聞いてるのは『条件』だ」
三井はそんな藤崎の解答を一笑に付す。
「条件?」
「いいか、この天才シューター三井様が教えてやる。『良いシューターの条件』って奴をよ」
三井は、わざと中学時代の自分のような口調で喋った。
それは、コイツが憧れてるのはオレじゃない、あの頃のオレだ、と言わんばかりだった。
再び、控室。
「ところで、ちゃん、『違う』って?」
椎名が、途中で終わった話の続きを促した。
「ん、あー、その話ね。三井センパイから聞いたんだけどさ。さっき、サキチィは『自分が弱いからいじめられるようになった』みたいなこと言ってたじゃん?それさぁ、逆、なんだよね」
は、一週間ほど前に三井と会話した内容を思い出した。
『藤崎さ、勝っちまったんだよな、マンツーマンで、2年の1番強かった女子に』
『あー、それでっすか』
武石中で伝統的に毎年行われる、上級生と新入生の1on1対決。
基本的に新入生に負けるような上級生はいないが、藤崎は、当時の2年エースをそこで負かしてしまったらしい。
そこからだ、藤崎がいじめられるようになったのは。と三井は語った。
そして、その影響からか、試合でシュートが全く入らなくなってしまい、公式試合には一度も出ることなく彼女の3年間は終わったらしい。
「三井センパイさ、一度だけ中学の頃サキチィと話したことあんだって。『どうしたんだ?』って。そしたらさ、サキチィ『わかんなくなった』って言ったんだって。どうやってあの女に勝てたのかも、シュートを入れてたのかも」
環境が変わって、シュートの件が克服できたのかと思ったが、やはり人間そううまく出来てはいないらしい。
「あのバカ、どうしたもんかね……」
黛が髪をかきあげながらため息をつく。
「簡単だよ!サキチィちゃんが戦えるようになるまで私達が支える!でしょ、先生?」
椎名の返事に安西もにこりと笑って頷く。
ちょうどその時、控室のドアが開き、藤崎が帰ってきたようだった。
「すみません……」
「サキチィちゃん!良かった!今からちょうど円陣組んで気合入れ直すとこだったから!」
そう言って椎名は藤崎の肩を抱き、女子は小さな円陣を作った。
「よーし、後半戦も行くぞー!しょうほくー!サバーイブ!」
「サバイブ!」
湘北高校女子バスケ部の生き残りを賭けた戦いが、始まる。
後半戦、開始。
センターサークルを囲みながら、椎名は先程の藤崎の様子を思い出す。
(サキチィちゃんの肩……震えてた)
円陣を組んでいる時に、藤崎の肩が震えていることに気がついたのだ。
(サキチィちゃんは今、自分が弱いと思い込んでるんだ。本当は強いのに。私が、私が助けてあげないと!だって……)
私は、サキチィちゃんの先輩だから!
「ティップ・オフ!」
ジャンプボールを制したのはやはり朝倉。
前半戦と同じ連携で、まずはが先制点を沈める。
問題はここからだ。
作戦通り、まずは湘北がハーフコートマンツーを仕掛ける。
まずは相手からボールを奪い、シュートチャンスをモノにしようという考えだ。
朝倉がブロックを炸裂させインターセプトに成功。
「速攻!」
椎名の掛け声で全員が走りだす。
朝倉が右サイドのへアウトレットパスを出す。
は二人のディフェンスを抜き去りボールをセンターラインまで運んだ。
「サキチィ!」
迷わず、フリーの藤崎にパスを出す。
藤崎、シュート。
――ガン!
しかし、ボールはゴールの少し上にそれ、弾かれてしまった。
「どうして……サキチィちゃん……。合同練習の時はあんなに上手かったのに……」
観客席の長妻が落胆したような声を出す。
「うちにもいるよな、練習はしてるけど、上手くいかねー奴。精神の問題なら、本人が克服するしかねぇさ」
仙道は、後輩の相田彦一のことを思い出しながら言った。
(椎名、正念場だ。お前がリバウンドを取って、藤崎を支えるんだ!)
赤木がコートを鋭い目で睨みつける。
「リバーン!」
椎名は自分より10センチほども高い相手でもパワー負けせず、強引にリバウンドを奪いとった。
「サキチィちゃん!」
すかさず、やはりフリーの藤崎にパスを出す。
「おいおい、あんなヘタクソに回してどうするんだよ」
「どうせ入りっこないのに、バカだなー湘北」
ギンっと湘北の問題児軍団が野次を飛ばした観客を睨みつける。
観客は縮こまってそそくさと席を移動した。
藤崎のシュートはまたもや外れ、今度は相手にリバウンドを取られてしまう。
が。
「スティール!」
朝倉光里がそのボールを下から弾く。
椎名が弾かれたボールをすかさず奪い、再び藤崎にパスを出した。
藤崎の目には怯えが見える。
自信がないのだろう。自分がシュートを決められるという、自信が。
(タケちゃん!私頑張るよ!)
椎名は、何故か1年前の赤木との会話を思い出していた。
「タケちゃん……また1年生辞めちゃったよ。退部届、私に出してきた」
「全く、辞める時くらい面と向かっていえばいいものを……!」
椎名が遠慮がちに差し出した男子の退部届を、赤木はイライラした様子で掴んだ。
まあ、たしかに男子の気持ちはわかる。
練習がきつい、というのももちろんあるが、「こんなにきつい練習をこなしたからって、何になるんだ。自分たちは弱小じゃないか」という気持ちもあるのだろう。
赤木剛憲の質実剛健さは、時に人を傷つける、と椎名は思っていた。
自分は単純にバスケが好きだから続けているが、私はそれを人に強要できない、そんな自信も強さもないよ、と。
精神的にも、技術的にも弱い者にとって、赤木剛憲は少々まぶしすぎるのだ。
「ねえねえ、タケちゃんのやってることはさ。もしかして、地面にいるもぐらを太陽の下に無理矢理引っ張りだしてるようなことじゃないかな」
楽しく部活したいから、という理由で弱そうなバスケ部に入ったのに、なんでこんなハードの練習しなきゃいけないんだ。
だって、だって必死に頑張って、何にもなんなかったら、自分の限界が見えてしまうじゃないか。
そんなのあんまりだよ。
椎名が1年の頃に辞めていった男子たちは、口には出さなかったが多分、そういうことが言いたくて、「お前とバスケするの息苦しいよ」と言ったのだろう。
椎名も、太陽が苦手なもぐらを無理矢理外に引っ張り出して太陽のもとに晒す、というのは、流石に残酷な行為じゃないかとたまに思う。
だが、赤木はこう言い返した。
「何言ってるんだ!人間はもぐらじゃねぇ!」
た、確かに!
椎名愛梨は基本的に単純だった。
「本人が自分をもぐらだと思い込んでるだけだ!」
なるほど。目からうろこである。
「おおー!タケちゃんカッコいー!」
「全く、練習するぞ!練習しなきゃうまくなんねーんだ!」
「付き合いますよもぐらの親分!」
「誰がもぐらの親分だ!」
ちなみに、家に帰って椎名が動物図鑑で調べてみたところ、もぐらは別に太陽が原因で死んでるわけではなかった。
また更に意外な事実なのだが、もぐらは泳ぎが得意だった。
「リバン!」
リングに弾かれた藤崎のボールをまたもや椎名が奪うことに成功する。
(サキチィちゃん!人間はもぐらじゃないんだよ!わかって!あなたは強いんだ!)
そんな思いで藤崎に渡したボールは、室町校の⑤番、谷にカットされてしまった。
「ザコは引っ込んでろっつーの」
谷のカットイン。
黛はファウルを恐れ抜き去られてしまう。
すかさずヘルプに入る。
谷のドリブルを見抜きボールを弾く。
ボールは残念ながらアウト・オブ・バウンズした。
「どう、まゆまゆ?あの女」
「やっぱ武石中ブスばっかじゃねーか」
別に顔のことは聞いてないんだけど、と思うだった。