「ちゃん……、僕は……」
藤崎の目から涙が溢れ出す。
「悔しいよ……。どうして……僕なんかのために……」
「サキチィちゃん、」
椎名が言った。
「2人とも、ごめんね。でも、言わせて」
朝倉とに断ってから。
「湘北高校女子バスケ部はね、サキチィちゃんのための部活なんだよ」
33.良いシューターの条件
後半10分。50-62。
室町ボールからの開始。
しかもまさかの4対5。
なかなかに最悪な状況である。
その中にあっても。
は。
「すげぇぞあの金髪!何回目のスティールだ!」
「でもどーせあのチビ入んねーぞ。デカイ女に渡すのか!?」
のカットイン。
室町は3人掛かりでを止めに入る。
残り2人はが藤崎にパスを出すことを見越して、すでにリバウンドのポジション争いをしていた。
(思い出せサキチィ!アンタは……!)
は、再び藤崎にパスを出した。
先週三井に聞いた話の続きを思い出しながら。
『ふーん。で、いじめが原因でシュートが入らなくなった、と』
そんなことあるんかなー?と思いつつ、はとりあえず三井の話を総合する。
が、三井は更に意味不明な事を言った。
『いや、ちげぇ。あいつ、中学の最初からシュートはヘタだった』
『は?』
『ミドルもまともに入ってなかったと思うぜ』
『じゃ、どーやってサキチィそのセンパイに勝ったんスカ』
は訳がわからなすぎて自分の髪をくるくるいじりながら聞いた。
『ミニバスってスリーないだろ。最初全然キョーミなかったらしいぜ、藤崎、SGには』
その代わり……、と三井は続けた。
(どうして、僕、あの日先輩に勝てたんだろう……)
からパスをもらいながら藤崎はそんなことを考えていた。
いや、この疑問は、中学の頃からずっと続いている疑問だ。
藤崎千咲がバスケと出会ったのは小学校3年生の時だ。
藤崎は、今でこそ145センチと小柄だが。
当時も145センチと大柄だったのである。
成長期が早かったのだろう。
自分より背の高い女子はミニバスでもなかなかいなかった。
だから、藤崎に与えられた役割は、ゴール下。
そこからシュートを決めたりリバウンドを取るのが当時の役目だった。
だが年齢を重ねるにつれ周りもどんどん大きくなり、藤崎は今までのように活躍することはできなかった。
体格に任せたシュートではなく、技術に支えられたシュートを身につける必要があった。
だが、そのことを決意したのは、中学の時に三井寿に出会ってから。
例の先輩とのマンツーマンの時点では、まだシュート技術は身についていなかった。
それでも、それでも当時ナンバーワンだった谷に、藤崎が勝ったのは……。
『その代わり、今の黛みてぇなバスケだったんだ、藤崎』
ガムシャラで、雑で、勢いだけは良い。
そんなバスケだった。
もう、高校2年の今の谷には通用しない。
そんな滅茶苦茶な黛のバスケが。
ようやく、この場で。
藤崎の目を覚まさせた。
(そうだ!思い出した!僕のやり方!)
受け取ったパスを、藤崎はそのまま撃たずドライブする。
「ダブルスクリーンだ!サキチィの道を空けて!」
は朝倉と椎名に叫ぶ。
2人は同時にスクリーンアウトをかけてディフェンスの動きを封じる。
「入んないからって直接行こうっての!?」
「アンタの相手はアタシだよ、センパイ?」
藤崎を止めようとする谷を止める。
藤崎には2人ほどディフェンスが着こうとするが、藤崎は身長のミスマッチを利用して低いドリブルでそれを潜り抜けた。
そして、
――バス!
藤崎千咲、レイアップでの初得点。
52-62。
「いいよ!サキチィちゃん!どんどん行こう!」
椎名も喜ぶ。
「あんなチビに抜かれるな!はたき落とせ!」
ゴール下の2人に顧問は指示を飛ばす。
だが、ゴール下は本日県下最強クラスが揃っている。
朝倉と椎名のスクリーンを抜けるような選手はいなかった。
(くっそ、あくまで中長距離からのシュートにこだわり続けるかと思ったのに、あいつ……)
谷、昔を思い出して苦い顔をする。
ここは冷静に一本返そう、と藤崎を今度は抜き去り室町のシュート。
52-64。
湘北ボールからのスタートである。
まずはがボールを運ぶ。
そして、センターライン付近の藤崎にパスを出す。
藤崎、シュート。
――ガン!
今度は外れる。
だが、もうそんな小さなこと気にする藤崎ではなかった。
「オッケー!」
椎名のリバウンド。
そこから朝倉に一旦戻し、朝倉が決める。
54-64。
椎名は思う。
(ここはサキチィちゃんのための部活なんだ!)
4月、自分しかいないバスケ部員。
いよいよ廃部かと覚悟していた中ひょっこり現れた藤崎千咲。
(ひたむきにやった人が勝つとか、1番練習した人が優勝するとか、そんなことはないと思う)
室町のスリーが決まる。
54-67。
(でもね、サキチィちゃんは、サキチィちゃんだけは、ずっとバスケが好きで続けてきた子なんだよ。一人でも。一人で諦めそうになった私に、バスケしないんですか?って言ってきた子なんだよ)
流石に疲れが見えてきた、3人に当たられてボールを奪われてしまう。
54-69。
(甘いかもしれないけど、私はそんなサキチィちゃんに報われてほしいと思う。サキチィちゃんがバスケをできる環境を作る!これが、きっと私のキャプテンとしての最後の仕事だ!)
藤崎のためにスクリーンアウトをかける椎名。
湘北高校女子バスケ部は、思えば不思議な部活だった。
たったひとりの部長だけの部活に、ひとりだけ新入生が入った。
そこから、もうひとり入り、またひとり増えて。
それも、バスケをやめようとしていた少女たちが、である。
ほとんど寄せ集めのチームだが、全員、同じことを思って動いていた。
それは勝利や全国制覇などではなく、ただ一人、藤崎千咲のため。
朝倉光里などはほとんど他人の少女のために戦っていることになる。
だが、それでも全員がまとまったのは。
ひとえに、部長の椎名愛梨のおかげである。
いいか、悪いかは分からないが。
ここは、ひとりの事情を勝利よりも優先するチームであった。
(『サキチィちゃんのための部活』、なんて言っちゃって、部長失格だよね。他の子のことも考えてあげなきゃいけないのに)
だが、朝倉もも、そして黛も、そのことに異論はなかった。
昨年ベスト8の室町校からすればただの仲良しごっこの部活に見えるだろう。
しかし、事実、湘北高校女子バスケ部はそういう部活だった。
藤崎、パスされたボールをドリブルする。
「2度目はない!」
先ほどのゴール下のシュートのことを警戒して、藤崎にもマークがつく。
(そうだ、僕は中学のとき、考えなしによくゴール下に突っ込んでいった。よせばいいのに、自分の身長と周りの成長を考えてなかったからだ)
そして、先輩たちからのラフプレー。
藤崎が転ばされても、審判すら笛を吹かなかった。
そんな状況で。
(もう、ゴール下になんかわざわざ行かないよ。自分にとって不利な方に、なんて)
藤崎、ドリブルからのカットイン。
谷のディフェンスを抜くが、スクリーンを抜けたひとりが藤崎のオフェンスコースを消す。
だが、
――キュ!
藤崎のバッシュが、小気味よい音を立てた。
急停止し、そして
――ザシュ!
藤崎の、スリーポイントが決まった。
(『良いシューターの条件その5。良いシューターとは、自分がドリブルから撃つのが得意なのか、パスをもらってすぐ撃つのが得意なのかを自覚する者である!』)
藤崎は、前者だったようだ。
湘北の観客席から歓喜の声が湧き上がる。
「そうだ!藤崎!その調子だ!オレたちシューターには今しかねぇんだ!『良いシューターの条件 その13!良いシューターとは、その直前までのシュートがどんな結果であれ、このシュートは決める、と思いながら撃てる者である!』だっ!」
三井が熱く叫ぶ。
全部で14あるこの『条件』は、武石中時代の三井寿が繰り返し唱えていたものだった。
「な、なんで、急に入るようになってんのよ……」
谷が驚嘆したように絞り出す。
「ねえ、センパイ。僕ね、ずっと謎だったんだ。あの日、あの時、どうして僕なんかがあなたに勝てたのか」
藤崎はバックコートに谷を追いかけながら言う。
「あなたは確かに強かった。僕なんかじゃ比べ物にならないくらい。 あなたは僕に『まぐれで勝ったからって調子に乗るな』って言ったよね」
湘北のフロントコートから室町のパスが谷に渡る。
「でもね!」
藤崎はに教わったサイドステップで、ダン!と足を出して谷を止めた。
「素人同士の対決じゃないんだよ!簡単なことだった。どうしてこんなことに気が付かなかったのか。まぐれなんかじゃない!あの日、あの時!僕はあなたより強かったんだ!」
藤崎、得意のスティールで谷からボールを奪う。
「サキチィ!」
も思わず声を上げる。
ベンチでずっと俯いていた黛も、初めて顔を上げた。
「行け!」
「言われなくても!」
藤崎、ドライブで切り込み、センターラインを少し過ぎたあたりで、シュートを、
――ザシュ!
決めた。
「な、なんだあのチビ!あんな距離から入んのかよ!」
「どうして、さっきまで全然入んなかったのに!」
60-69。
――ビーーーーー!!!
まだ優勢の室町が、タイムアウトをとったようだった。
藤崎千咲。
成長期が早かったためセンターからガードへの転向を余儀なくされた少女。
彼女は、弱くなったのではない。
ただ、知らなかっただけである。
初めての試合だったのだ。
今日が自分のシューターとしての戦い方を知る、初めての試合だっただけだったのだ。
「まゆまゆ」
藤崎が黛に声をかける。
黛、少しバツの悪そうに拳を差し出し、藤崎はそれにコツンと自分の拳を当てた。
それを見ていた安西、にっこりと笑い、藤崎に声をかけた。
「藤崎くん、良いシューターの条件、ご存知ですか?」
それを聞いて藤崎。
「いっぱい知ってます」
安西はその答えを聞いて笑いながら、
「ほっほっほっ。では、私からも1つだけ。『良いシューターとは、自分のシュートが入らないことを恐れない者である。その代わりシュートを撃たせてもらえないこと、それは何よりも恐れなくてはならない』です。その調子でどんどん行きましょう」
「はい!」
後半13分。
湘北、反撃開始。