そんな奴がいつの間にかひょっこり控室から抜けだして、他校のエース(しかも流川が一番対抗意識を燃やしてる相手)と仲良くお手々を握り合って見つめ合ってたりなんてしちゃってるのを目撃しちゃった日にゃあ、そりゃあ流川楓で無くともマジギレするというものである。



36.仙道彰、影でひどいあだ名で呼ばれる。




「うえーん!惜しかったねー!」
「あと、あともうちょっとでしたねー!うわーん!」

(幼稚園かここは)

 湘北高校女子バスケ部の1回戦敗退が決まって、控室では女子たちがこれでもかというくらいわんわん泣いていた。
いや、泣いていたのは今日で引退することが決まってしまった椎名愛梨と、なぜか、本日限りの幻の新入部員、朝倉光里だけだった。
朝倉の左腕は今も痛々しい三角巾が巻かれている。
この後、マネージャーの彩子と顧問の鈴木の車で病院に向かうらしい。
黛は何も言わないが、今日の試合の反省をしているのか、泣いている2人には何も言わず率先して控室のゴミ片付けをしている。
1番消耗の激しかったは、本当は控室が使えなくなるギリギリまで寝てしまいたかったのだが、そのマンモスのごとき大きな泣き声に邪魔されて寝付けないでいた。
控室にノック音が響いた。

「入っていい?」

彩子の声である。

「どぉぞー!」

椎名が涙声でグシャグシャの発声をしながら許可をする。

「あらあら、……椎名先輩、お疲れ様でした」

彩子がペコリと椎名に頭を下げる。

「アヤちゃんもありがとね~!私達の面倒見てくれてー!」

椎名が泣きながら彩子の胸にダイブする。
彩子はそれを優しく抱きとめ、2、3度椎名の頭を撫でた後、朝倉に「行きましょうか」と声をかけた。

「すみません、みなさん。お先に失礼します!今日は本当にありがとうございました!」

朝倉は肩をかばって頭だけで会釈する。

「待ちな朝倉」

黛が何かを書いた紙切れを朝倉に渡した。

「これ、は?」
「私の電話番号。夜かけてよ」
「あ、ありがとうございます!それでは」

朝倉光里が、控室から出て行った。
椎名も一緒にヒートアップして泣いてくれる相手がいなくなったためか、グズグズはしているものの泣き止みつつあった。

「そういや藤崎は?」

黛が先程から見当たらない藤崎千咲について尋ねる。

「さっきトイレ行くーって言ってから、あれ?そういえば帰ってきてないね?」



 藤崎千咲は、女子トイレから出た後、

「あ、えーっと、藤崎……詩織ちゃんだっけ?ナイスファイトだったな」
「千咲です……。せんどー、さん」

陵南高校のエース、仙道彰に話しかけられていた。
仙道彰は今日の女子の試合の一部始終を見ていたらしい。
もちろん、藤崎の不調からの復活も、が一瞬だけ起こした奇跡も。

「惜しかったよな、ホント。オレなんて感動して泣いちまったもん」

嘘つけ!と思って藤崎は仙道の顔をまじまじ確認しようとしたが、顔を手で隠されてしまった。
表情を隠したまま、仙道は「ところで……」と続ける。

さんに会いたいんだけど、呼んでもらえる?」



――コンコン。

「はーい」
ちゃん、いる?」

控室に戻ってきた藤崎は、に用があるようだった。

「いない……」

寝かせてくれ……、そう思っては適当に返事をした。

ちゃん、陵南のでこひろしが呼んでるよ」
「え、でこひろしが?アタシを?なんで」
「さあ……」
「え!?『でこひろし』ってもしかして仙道くんのこと!?」

黛は会ったことがないので分からなかったが、椎名が数秒遅れて誰の話をしているのか気づいたようだった。
実は陵南との練習試合以来、たまにその時の話題を1年の間でするのだが、仙道彰のあだ名はすっかり『でこひろし』で定着していた。

「とりあえず、外で待ってるよ、でこひろし」
「マジか。何の用だ。でこひろし」

はとりあえず無視するのもアレだったので、控室を出た。



「よっ、さん。お疲れ様」
「どーも。センドーさん」
「悪いな呼び出しちゃって」

あまり悪びれてなさそうに仙道彰は言った。
仙道彰はしばらくじっとを見つめてきた。
「何の用だ?」とが構えていると、彼は急に柔和な笑みを浮かべ、「手、貸してくれる?」と言ってきた。

「はあ……?」

とりあえず手をさし出す
仙道はその手を、の予想以上に強い力でぐいっと自分の方に引き寄せた。
握手をするわけではない。
の手のひらを真剣に見つめている。
しばらくして、仙道はさらに、自分の指先での手のひらを触り始めた。
ふにふに、ふにふに、と。

「あ、あの?」
「やっぱすごいタコ出来てるな。あのハンドリング見て、そーじゃねーのかと思ったんだよ」
「はあ……」

そのとおりだ。
毎日毎日バスケットボールに触れる生活を十何年も続けているにとって、そんなものは当たり前だ。
豆が出来て更に潰れて、その上に再び豆ができて。
最早痛くもない。
同年代の女子に比べれば大分堅い皮膚で覆われている。
それがの手だった。

「でもそれは……」

アンタだって一緒でしょ?

そう言おうとした時、仙道がを見て

「お……」

と言った。
を見て、というのには少し語弊がある。
なぜなら、2人に気がついて廊下をずんずんと少し怒った様子で歩き、の背後に立った流川楓の顔は、の身長より、頭一つ分高い位置にあったからだ。
仙道の視線も自然と少し高めになる。

「よお、流川」
「仙道、に何の用だ」

を挟んで、睨み合う2人。
流川はボールを払うのと同じ要領で、の手を掴んでいる仙道の手をパシっと払った。

「お、ハンドチェッキングだぞ、それ」
「ウルセー。それならテメーはホールディングだ」

睨み合う流川と仙道。
だがバスケならともかく、の件についてのみ言うなら、2人にライバル関係は成立しない。
現に仙道は、の手を通して、ある少女の手を見ていたからだ。

さん、オレ、あんたよりすごい手した女の子、1人だけ知ってるぜ」

仙道はにやり、と笑いながら、の目を見て語った。
その笑いを意に介さず、は言い返した。

「知ってるよ。、でしょ」
「なんだ、知ってたのか。なら話は早い。……悪かったな、呼び出して。これからも頑張れよ」

そう言って、仙道はこちらが拍子抜けするくらいあっさりと引き下がり、廊下を引き返した。

「待て、仙道」
「お前とは、近々、な」

仙道は流川の挑発に振り返らず去っていった。

(なんだったんだアイツ……でこひろしめ……)

には仙道の意図が読めなかった。
その代わり、と言っては何だが。
自分に助け舟をよこしに来たはずの流川楓が怒り心頭だということはよくわかった。

……テメー……」
「ちょっと待って、マジ誤解」

そう、控室に入る直前、流川はに声をかけに来てくれていたのだ。
しかし、その時点で疲労困憊だったは、(どーせ家で喋れるしいっか)と思って「ごめんあとで」と断ってしまったのだ。
そんな奴がいつの間にかひょっこり控室から抜けだして、他校のエース(しかも流川が一番対抗意識を燃やしてる相手)と仲良くお手々を握り合って見つめ合ってたりなんてしちゃってるのを目撃しちゃった日にゃあ、そりゃあ流川楓で無くともマジギレするというものである。
まあ、残念ながら仙道との間には、そこになにか密やかで甘やかな感情があったわけではないのだが。
だが逆に何もないからこそ、否定する材料もないわけで。

「テメーはいつもいつも……ヒトがどんな気持ちでいると思ってやがる……」

ただでさえ壁際のにずんずんと近づく流川。
仙道に完全に後処理を押し付けられてしまった形である。
ここで仙道とのことを誤解だと言ってもしかたがないと判断したは、禁じ手を使った。

「じゃあ教えてよ。流川は……どんな気持ちでいるの?アタシのこと、考えてる時」

いわゆる、「質問に質問で返す」、である。
は壁に背を向けて少し俯いて、ポニーテールの後れ毛をいじりながらわざと上目遣いで聞いてみた。
さっきまでゼロ距離まで平気で近づいてきそうな勢いで迫っていた流川楓の体がピシリ、と止まった。
その瞬間、は確信した。

(あ、コイツ童貞だ)

と。
そう、彼は女の子にキャーキャー迫られることはあっても、女の子に迫ったことはない。
たとえそれが本人の意図しない状況でも、こっちが「そういう状況」っぽく雰囲気を作ったら、対処できないのだ。
は勝利の笑みを必死に隠す。
流川はの方へ前のめりに逸らしていた上体を急に正し、「少し、考えさせろ……」と言ってヨロヨロしながら来た方向に戻っていってしまった。
流川の背中を見ながら、は口元に手を当て必死に笑いをこらえていた。

(考えて……、答え、出んのかよっ!)

完全に男を舐めている女子高生特有の思考回路の持ち主、
彼女は上機嫌で控室に戻っていった。



「あ、仙道くん!もう帰るよ?どこ行ってたのよ」

陵南がとっくに集合しているロビーに仙道はのほほんと現れた。
「悪い悪い」、と、やっぱり全く悪びれてなさそうな態度で長妻に謝る。

「ちょっと、さんに挨拶してきたんだ」
「え、ちゃんに!?……その、どうだった?」

長妻も、遠慮して会いに行かなかっただけで心配をしていたのだろう。
凄まじい才能を持ちながら、屈辱のままコートを去るしかなかったあのルーキーを。

「大丈夫そうだったぜ、意外と」

いや、それが大丈夫じゃないのか?
仙道はの態度に少し違和感を覚えたが、彼はやはり、を通してある少女を見ていただけなので、そこには気が付かなかった。

「あいつは凄い選手になる。そのうち神奈川が、いや、日本中が注目するぜ」

陵南が団体で歩き出す。

と……」

仙道と長妻もそれに合わせて歩き出した。

に」



少女たちの戦いは、まだ始まったばかり。