ところで、は最近、学校生活がとても楽しい、と思っていた。



38.、学校生活をエンジョイする。




 心底驚いた。

「うわーなんだあの車!」
「ロールスロイスだ!ロールスロイスが学校の前に止まってる!」

黛繭華が、

「おはようございます、みなさん」
「お、おはようございますぅ……」

本当にお嬢様だったなんて。



 朝、登校したら話題はそれで持ちきりだった。
現にも見たので興奮した。
よく分かんない黒塗りの高そーな車から黛繭華と、

「え、えと、なんか、すごい騒ぎになってる気が……」

肩にサポーターを巻いた、朝倉光里が出てくるのを目撃したのだ。

「えーすごい、まゆまゆマジモンのお嬢だったんだー!」

もギャラリーに混じって遠巻きに様子をうかがう。
流川もヒョイッと覗き込んでいる。
あんな車、湘北に停めておいたら5秒と経たずにイタズラされそうだ。
そういえば、昨日黛は朝倉に電話番号を教えていた気がする。
自転車通学の朝倉のために、車を出して迎えに行ってあげていたらしい。

「そーいやアイツ、ヤンキー時代から妙に姿勢がキレーだったわ。バレエでもやってたのかなー」
「そうなのか」

黛の話題をしながら、流川と教室に向かう。
扉を開けたら、

ちゃあん!聞いたよー!女子負けたってねー!」

クラスのバカ男子達がニコニコ嬉しそうに待ち構えていた。
流川はそいつらをギロリと睨んで席に向かった。

「そーだよ負けたよ。なーんでテメーらそんな嬉しそうなんだよ」

も流石に心外なのでちょっと怒った。

「えーだってさ、負けたってことはしばらく暇っしょ?オレらとあそぼーよー。バイト代入ったからさ!なんでも好きなもん食べていーよー」

は、流川家に家出する前にはよくこういう連中と遊ぶことで食いつないでいた。
お金もなかったし、お腹が減ってたからだ。
でも、最近はもうそんなことしない。

「ダーメ。今日も部活だもん」
「なんでだよー!最近ちゃんご飯に困ってないの?」

その発言にちょっとクラスがざわつく。
「え、何、さん家ビンボーなの?」「しー、やめなって。カワイソウでしょ」
まあ、いわゆる家庭の事情というやつだ。
でも、その問題は今や解消された。
流川家に家出することによって。

「もーそーゆーことしないって決めたの。お金ならちゃんとあるし。遊ぶなら普通に遊ぼ?部活休みの日にさ」

今までの自分なら、相手の下心を利用していた。
でも、自分はもう変わったのだ、とは思う。
流川楓と出会うことによって。
それに、こいつらはバカだけど、割りと気の合ういい連中だ。
付き合うなら、やっぱフツーにトモダチとして付き合いたい。

「マジかよー。休みいつー?」
ちゃん、『お金ならちゃんとある』って……とうとうエンコーに手ぇだした?」

ひとりが茶化すように聞いてきた。
も調子に乗ってその冗談に乗る。
なぜならは今、自分が健全な女子高生になれたと思っていたからだ。

「そうだね、『パパ』からお小遣いもらってるよ?」

ねえ、流川、見て?
アタシ、マトモになったでしょ?
アンタのおかげだ……

「いってぇぇ!何すんだよテメー!」
「テメー今の話ホントウか?」

スパーンと、は頭を叩かれた。
今心のなかで感謝を述べた相手、流川楓に。
どうやら、男子たちがジョークだと流した発言を、こいつはひとり真に受けてしまったらしい。

「んなわけねーだろ!いつそんなことする時間あると思ってんだよ!」

それこそ、24時間に近いくらい一緒にいるのだ。
にそんなヒマがないことくらい、こいつはわかってるはずなのに。

「じゃあ何だよ『パパ』って」
「フツーに、アタシのパパだよ。なんでテメーが真に受けんだよ」

叩かれた頭を撫でながらは反論する。
流川は「なら、いい」と自席に戻ろうとした。

「あ、どーせだったらこいつとも遊んだげてよ!こいつバスケばっかでトモダチいねーもん」

だが、は流川の腕を引っ張って連れ戻し、男子たちに提案した。

「えー、なんでだよー。コブ付きかよー」
「いーじゃん、そだ、部活一段落したらクラスでカラオケいこーよ。おつかれ会的な?アンタ幹事ヨロシク!」

ビシっと適当な男子を指しては提案する。
そいつは「えーオレかよ」と渋るが、流川と遊びにいけるかもしれない、ということで女子たちは既にその気だった。

「おい、オレは行くとは言ってねーぞ」
「いーじゃんたまには。そーゆーのも大切だよ」

じゃあ、バスケ部の男子たちの大会が終わった頃に打ち上げするか!という話でとりあえず纏まった。
女子が「さん、流川君ちゃんと連れて来てね!」と念押ししてくる。
は二つ返事で「まかせてよ!」と引き受けた。



 放課後になったので部活に向かう。
クラスメイトの石井健太郎と、今朝の打ち上げについて語りながら。

さんがああいうこと提案するなんて珍しいよね。入学した頃のさんて……結構ひとりでいること多かったし、喋っても……その、ちょっとガラの悪い子たちばっかだったから」
「そお?でもいいじゃん、せっかく同じクラスになったんだし、少しは仲良くしても。あいつらも意外といーやつなんだって、バカだけど」
「うん、僕もそう思うよ!この間さぁ……」

石井の指摘は事実だった。
だって、は入学当初、自分がきちんと学校を通っているビジョンが全く浮かばなかった。
だから、自分にとって都合の良さそうな連中としかつるまなかったし、クラスメイトのことなんて、全く興味なかった。
女子とは少し話してて、「流川楓」という存在がいることは知っていたが、本当にそれだけだった。
でも、今は違う。
その「流川楓」という存在のおかげで、要するに、は今最高に学校が楽しかった。
ご飯もしっかり食べているので保健室にはいかなくなったし、授業も聞いてれば割と理解できたし、部活も友達がいるので楽しかった。
ちょっと前、割と荒んだ生活を送っていた自分からは考えられない変化だ。
自分が、マトモな存在になれたような気がした。
全部、流川のおかげだ。
は、そう思っていた。



「湘北ー!ファイッ!」
「オー!!!」

部活が始まる。
女子はサーキットまでは男子に混じる。
いつもの光景だった。
変化といえば、椎名愛梨がいないことくらいだった。
キャプテンの引き継ぎは、安西と相談して決めるらしい。
とりあえず、今は、

「女子は安西先生が作った個別メニューをこなすこと!いいわね?」

何故か、黛繭華が仕切ってた。

「あ、まゆまゆさー、朝見たんだけど、なに、あのクルマ」
「家のよ。別にどってことないでしょ」
「まゆまゆ、僕に格ゲーの筐体買って」

黛はもともと姉御肌というか、舎弟的な存在をいっぱい引き連れてるようなタイプだった。
部活を仕切るのも、慣れていることだったんだろう。

「マジでお嬢様だったんだねー。朝倉さんの送迎してあげてんの?」
「そうよ。寝覚め悪いでしょ、怪我した子をそのまま放置って」
「意外といいやつ」

黛の話によると、行きは黛と一緒に乗り、帰りは朝倉だけを塾まで送ってあげてることにしたそうだ。
黛は、帰りは普通に電車に乗るそうだ。

「それにしても、びっくりしたわあの子。車の中でまでベンキョーしてんだもん」
「うわー。そんなにベンキョーしてドコ目指してんだろ。トーダイ?メーダイ?」

はとりあえず知ってる大学名を上げた。
一応黛も部活に入らないかと再び聞いたらしいが、やっぱり断られてしまったらしい。

『でも、さんって本当にすごかったですね!どうして中学の時戦わなかったんだろ……?あんなに強かったら、どこかで当たってもおかしくなかったのに。あ!これからも、試合の応援とかには行きますね!』

朝倉光里は、観戦で満足する、という形で、バスケへの未練は断ち切れるそうだ。
勿体無い……、と思いつつも、インターハイどころか1回戦で敗退してしまったのだから仕方がない。
『朝倉光里獲得作戦』、失敗である。

「ま、今いない人間の話してても仕方ない。練習するわよ」
「おー」



 安西が女子に与えた課題は、ひとりひとり違った。
黛繭華はやはり、『ファウルトラブルを少なくすること』。
イラつくとすぐ精彩を欠く黛には、ピボット(軸足)を使った練習が徹底して行われた。
ピボットターンは、ディフェンスを攻める技術である。
この技術はゴール下でも非常に重要になる。
片足をいかに大きく開けるか、それでいて、その状態からピボットを動かさずどれだけの可動域を持てるか。
これによって、ゲームの有利不利が大きく変わる。
もちろん、ピボットターン中にディフェンスにぶつかったら、チャージングになってしまう。
だから、ディフェンスのいない方向に、ピボットターンを出来るようにしなければならない。
それがどんなに無理な体勢でも、だ。
安西はディフェンスを避ける感覚を黛に掴ませるために、にディフェンスを頼んだ。

「ほら、まゆまゆ!もっと腰下ろせ!あー、よろけるなぶつかる!チャージングだ!また退場になるぞ!!」
「ウルセー!!!」

黛は練習開始15分後、早速キレた。
それもそうだ。
安西は、最初、「黛くんは一歩でどの距離まで足が広がりますか?」と尋ねた。
「私実はガキの頃バレエ習ってたんだよね」との予想通りの発言をした黛は、長い足をスラっと自慢気に、前後にアキレス腱を伸ばす要領で開脚した。

「おお、股関節が柔らかいのはいいことです」
「スゲー、130センチくらい稼げてんじゃん?」

そして、安西は言った。

「では、黛くん、君の1歩目はそれで行こう」
「え?」

黛はただ「どの距離まで足が広がりますか?」と聞かれただけなので、この姿勢ではさすがに体の軸がブレる。
もちろん、軸足(ピボット)もブレる。
しかし、ピボットがブレたら黛の詰みだ。
3歩目はトラベリングなのだから。

「前足のヒザは90度です。腰をもっとしっかり落としてもブレないように」

安西は、とんでもないことを淡々と言う。
この姿勢は、黛でなくともキツイ。
だが、安西は言った。

「もう、くんにひとりでバスケをさせたくないでしょう?」

その一言が効いたのか、黛は本当にその歩幅からの練習を始めた。
もディフェンスとして当たる。
しかし黛はよろけたり我慢が効かなくなって何度かにぶつかった。
その度には怒り、黛のストレスも溜まる。
もちろん疲労も溜まる。

「楽な方に逃げんな!アタシ(ディフェンス)がいるんだぞ!バックターンだまゆまゆ!」
「うっせーんだよ!言われなくてもわかってるっつーの!!」

だが、疲労が蓄積されてきた頃こそ大事になる技術なのだ。
20分ほどディフェンスを相手にした黛は避ける感覚を掴めてきたようで、安西は「くん、もういいですよ」と言った。

「黛くんはその調子で、フロントターンとバックターンを軸足を入れ替えて、毎日300セットずつ練習してください。あとは、前後に足を広げて腰を下ろすだけの筋トレを500回。もちろん、左右で足を入れ替えてやるんですよ?」

合計、ピボットターン600セット。
筋トレ1000回になる計算である。

「あのデブ……鬼だ……」

黛が怯える。
安西はメガネをキラーンと光らせて、「ほっほっほ」と笑いながら藤崎の様子を見に行った。
だが、黛も昨日の悔しさを忘れていないようなので、大人しく練習を始めた。



 藤崎千咲に課された課題はもちろん、『外角からのシュート精度の向上』。
もちろん、ただのシュート練習ではない。
相手からのマークを掻い潜りどんな状況でもシュートを決められるように、1年男子に混ざってゲーム形式の練習を多く取り入れられた。
男子は全員圧倒的に藤崎よりデカい。
ポジショニングも考えなくては到底シュートは入れられない。
シュートレンジや精度自体にはあまり問題のない藤崎は、とにかく経験を積むことが大事だった。



 そんな練習が男女ともにしばらく続き、ようやく休憩になった。

「藤崎、は?」

珍しく、流川楓が男子の練習に混じっている藤崎に話しかけた。

「あそこ……」

藤崎は、ちょうど体育館の扉の外に見えたを指差した。
に与えられた課題は、『スタミナ不足の解消』。
そのため、はひたすらグラウンドを走っていた。
そりゃもう、ひたすら。
バスケの1試合の平均走行距離は4.8キロと言われている。
そのためはまず、「5000メートルを25分以内に走る」というペース走行をできるように、と言われた。
「楽勝っすよ」、は答えた。
「それを1分のインターバルを入れて3回です」、安西は言った。
「ムリっす」、は答えた。
「3回です」、安西はもう一度言った。
は(やるしかないんだな……)と覚悟を決めた。

そんなふうにひたすら走るを、流川楓は見つめていた。

ちゃんは……」

藤崎は口を開いた。

「そんなに、心配いらないと思う。流川は心配のし過ぎだよ、ちゃんの」

流川は、ちょっとムッとした。
お前は、がどんなやつだったかしらないから言えるんだ。
4月、体育中に倒れたアイツの体重のなんて軽かったことか。
ふらふらと夜中までバスケをして、決して家に帰りたがらない危うい少女だったのことを。
そこまで思った時、「自分もについて、そういえば何も知らないな」、と思った。



 まあ、そんな感じで流川がちょっとに対する接し方で藤崎に忠告を受けている頃、肝心のはというと、

(最近、学校が楽しい)

と思いながら走っていた。
クラスでも気の合う友達が出来て、部活もキツイけど充実してて、仲間がいて。
入学した頃はこんなふうに自分がなるとは思ってなかったよ、ありがとう流川。
アタシを、この部活に連れて来てくれて。
なんて思いながら走ってた。
実際、にとって部活に入ってからのこの約一ヶ月は、本当に、生まれて初めて学校が楽しい、と思える一ヶ月だったのだ。
ただ、唯一……。

(よし、5000……っと)

は走りぬけ、息を切らしながら水飲み場に水分補給とタオルを取りに行った。

(あれ、タオル……ねえな)

水飲み場においていたはずのタオルが見つからず、きょろきょろと見渡す。

ちゃん!このタオル、やっぱりちゃんのだったんだね」

一人の少女が、水飲み場にタオルを持って走りこんでくる。

「赤木……さん」
「落ちてたから拾っておいたの。すごい走ってたわね」

ただ唯一、自分の過去を知る赤木晴子がこんなに近くにいなければ、だが。