「あ、ありがと……」
ざわざわざわざわ。
「バスケ部、残念だったわね。朝倉さんも怪我しちゃったって言うし……」
心が、ざわざわする。
「でもね、あたし、きっとちゃんなら……!」
「ごめん、まだ、メニューこなしてないから」
世の中は理不尽だと思う。
どうしてなんにも悪く無い赤木晴子は、アタシにこんなに冷たく接されなきゃいけないのだろうか。
39.裸足の少女
「あ、ごめんね、邪魔しちゃって。……ちゃん、少し顔色悪いわ」
水を飲むのそばを離れない赤木晴子。
顔色が悪いのは仕方がない、もともとこっちはハードな練習をこなそうとしてるんだ。
だから、ほっといて欲しい。
「あの、ね。あたし、ずっとちゃんに謝りたくて!その……2年前、のこと……」
――2年前。
はそのワードにピクリと反応する。
その言葉は間違いなく、が部活を去る前の、中学2年の県大会の決勝戦のことを指していた。
――最っ低!!!
感情のままに、赤木晴子に怒鳴ってしまった今より少し幼い自分。
あれは、どう考えてもが一方的に悪いのに、なぜこの子が謝るというのか。
「アタシも、ずっと、謝りたかった……」
の言葉に、晴子の顔がぱっと明るくなる。
「そんな、いいのよぅ!ちゃんは……その……色々、大変だったんだし……。ねえ、あたし達、前みたいにまた友達に戻れないかしら?」
「あ、赤木さんが、いいなら……」
晴子の友情に、は打ちのめされそうになる。
アンタ1つも悪く無いじゃん。
どうしてこの子がアタシに対して下手に出るのだろう。
「良かったぁ!あたし、ちゃんに嫌われてたらどうしようと思ってたの。……ねえ、ちゃん、もう、お家の方はだ……」
「その代わり、」
は、晴子の発言を遮るように少し大きな声を出した。
「2度と、その話、しないでくれるかな。アタシ、赤木さんとは……友達でいたいから」
卑怯な発言だと思う。
でも、自分を守るためには仕方がなかった。
流川ん家にいくことで、ようやく楽しくなったんだ、高校生活も、バスケも。
赤木晴子の優しさは、今のには痛いだけだった。
「そん、な……、どうして」
「もう、本当に平気だから!昔のことだから。大丈夫だから……、」
「大丈夫な人は、」
今度は、赤木晴子がの発言を遮る番だった。
「そんな顔、しないわよ」
あ、しまった、怒らせた。とは思った。
赤木晴子は、清楚で可憐なだけの子じゃない。
意外と根性があるし、意志も強い。
「ねえ、ちゃんにとって、『友達』って何?」
晴子がを睨みつける。
は、思わず目をそらした。
「都合のいい時に、都合のいいおしゃべりが出来るだけの人を『友達』だって言うなら、あたし、いいわ。ちゃんとは、友達にならない」
怒気を孕んだ晴子の声。
は、
「ごめん、1分経ったから……」
結局、逃げることしか出来なかった。
せっかく、学校が楽しいのに。
せっかく、マトモになれたと思ったのに。
あーあ、赤木晴子のせいで最悪だよ。
なんて、責任転嫁できる性格なら良かったのに。
わかってる、わかってるんだ。
流川ん家に家出したって、それは何の解決にもなってないことくらい。
でも逃げることの何がいけないの?
は走りながら思考する。
水飲み場の方を見ると、赤木晴子はもう既にいなかった。
自分で拒絶したくせに、はその事実に心が傷んだ。
傷む資格なんてないって、わかってはいるんだけど。
「、ペース乱れてるぞ!」
その声に急激に現実に引き戻される感覚がした。
声の主は……休憩中なのか?
三井寿だった。
「先生に様子見てこいって言われたんだよ!25分ペースだろ!それだと速過ぎるぜ!」
グラウンドの奥まで響くような声で三井は言う。
そうだ、これはペース走なんだ。
速ければいいってもんじゃない。
は少し走るペースを落とした。
(あ、あれ?)
その時、急に足取りが重くなった気がした。
(お、お腹、痛い……)
走るとよく痛くなる脇腹が、とかではない。
だいだい、それだったら耐えられる。
なんか、この痛みは、ズンときて、ちょっと、耐えられそうにない。
(あ、あれ、なんでだろ……?)
ちょっとずつ減速して、は立ち止まり、いや、立ってられなかったので、グラウンドにそのままうずくまってしまった。
「!?」
体育館前にいた三井寿が駆け寄ってくる。
「どうした!?」
「お、お腹、いたい……」
「、なんかスゲー顔色悪いぞ……。血の気が引いてるっつーか……。吐きそうなのか?」
三井はの顔を覗き込んでそう言った。
しかし、にも原因がわからなかった。
「お腹……いたい……」
これしか、言えなかった。
「たく、肩貸してやる。保健室行くぞ」
三井はテキパキとの腕を自分の肩に回し、引きずるようにしての歩行を介助した。
「安西先生には言っとくからな」
「……おっす……」
は久しぶりに保健室の薬品の匂いを嗅いでいた。
お腹が痛い。
気分が悪い。
すっかり顔見知りになった保険医にそのことを伝える。
おばさんと呼ばれることにはまだ抵抗がありそうなあまり若くもない保険医は、ある可能性を指摘した。
「あ……アタシ……1年位、きてない」
「安西先生、のやつ、具合が悪くなったんで保健室に連れて行きました」
体育館に戻った三井が先ほどのことを報告する。
「おや、そうでしたか。くんにはまだ早かったかな……」
安西が、自分の指導を誤ってしまったことを反省する。
しかし、三井はすかさず安西のフォローをした。
「いや!あいつ、走ること自体は全然平気そうでした!ペースも速いくらいでしたし!急に腹が痛いとか言い出して……」
そこまで言って、三井はある可能性に行き着いた。
「……盲腸」
いや、あれはもっと顔色が土気色になるとか聞いたことがあるな。
三井がちょっとしたボケをかましてると、流川が近づいてきた。
「、どーかしたんすか」
「おお、なんか腹痛いとか言い出してよ。とりあえず保健室に連れてった」
流川の目つきが鋭くなる。
ちょうど近くにいた藤崎を睨む。
(ほら見ろ、はこーゆー奴なんだ)
なぜか、藤崎に対して勝ち誇った気分になる流川。
藤崎はイラッとした様子で流川にボールを投げた。
避ける流川。
後ろの壁に跳ね返り、何故か桜木花道の背中に当たった。
「キツネー!テメーオレに何の恨みがある!」
キレた桜木がボールを持って流川に近づく。
「アイツだ、どあほう」
流川は藤崎の方を指差した。
「ちびっこー!オレの天才に嫉妬したからってボール投げんじゃねー!」
「寄るな、バカが伝染る」
流川と三井がその様子に呆れていると、保険医が体育館にやって来た。
「安西先生、少し良いですか?」
安西を呼び出し、体育館の外へと移動する2人。
それを見て当たり前のようについていく流川。
そして、そんな流川を見て、三井も乗りかかった船と言うかなんというか。
とりあえず気になったので、こっそりつけてみた。
「一応病院に連れて行こうと思うんです、さんを」
「そうですか……申し訳ありません。私の指導力不足です」
深々と頭を下げる安西。
「あ、いえ、そうではなくて……」
あわててとりなす保険医。
急に声が小さくなる。
流川と三井は必死に聞き耳を立てた。
聞き取れた単語は、偶然にもふたりとも一緒だった。
『産婦人科』、と。
(ニンシン!?)
更に、偶然にも重なる思考回路。
三井と流川は青褪める。
「ま、まさか……そんなこと……ねーよな?」
三井が引き気味に流川に同意を求めるように尋ねる。
「……タブン」
流川も、とりあえず否定する。
には、そんなことをしている時間なんてなかったはずだ。
同じ家に住んでいるからそれはわかる。
(……なんか、朝もこんなふうなやり取りをとした気がする。……あ、)
『フツーに、アタシのパパだよ』
あいつ、いつの間に自分の親父に会いに行ってたんだ?
小遣せびりにいってる時間なんて、なかったと思うが。
「おい、安西先生が戻ってくるぞ。オレらも行くぞ」
「オス」
出歯亀隊、退散。
部活が終わり、流川はとてつもなく久々にひとりで自転車を漕いでいる気がした。
ひとりで漕ぐ自転車は軽くて、速かった。
家についたら、玄関に既にの靴があった。
先に帰っていたのだろう。
リビングに行くと、おふくろがいた。
「あら、楓おかえりなさい。ちゃん、病院から電話してきたのよ。さっき車で迎えに行ってあげたの」
おふくろが、「ちゃんまだ寝てると思うから、薬おいてきてあげて」と、薬と水の入ったグラスの載っているお盆を渡された。
零さないように少し慎重になりながら、階段を登る。
――コンコン。
起きてるかもしんねーから、一応ノック。
返事はなかった。
ガチャリと扉を開けて、部屋にはいる。
適当に机の上にでも置いときゃいいか、と思いながら。
だが、
「るか、わ……」
は上半身を起こして、起きていた。
膝を抱えて、泣いていた。
「どうした」
お盆を机において、ベッドの近くによる。
「どっかイテーのか」
「ううん……なんでもない」
は首を振った。
こいつが泣いてるのを見るのは2度目だ。
学校であんなに楽しそうにしていた姿は見る影もなく、はしなしなと萎れているようだった。
のデコに手を当てて、一応確認。
「熱、少したけー。薬、飲むか?」
頷く。
お盆を近くに持っていってやる。
大人しくそれを飲んだは、「寝る」とだけ言って、布団をかぶった。
もう、流川にしてやれることはない。
「おー」
とだけ言って、薬の入っていたカラと、空っぽになったグラスが載っているお盆だけ持って、の部屋を後にした。
流川の去った部屋で、はやっぱり泣いていた。
痛むお腹をなでて、ひとりで、しくしくと。
(アタシ……こんなのいらないのに。子どもとか、絶対、産まないのに……)
栄養不足で痩せ細っていたの体は、どうにか再び女性としての機能が正常にはたらくレベルにまで回復していたらしい。
約1年ぶりに来たので、激痛が伴ったのだと医者は説明した。
は、泣いていた。
(ママみたいになんて、なりたくないのに……)
同じ頃、赤木家では。
晴子が、お風呂に入りながら自己嫌悪に陥っていた。
(あー!もう!あたしのばか!どうして、仲直りしにいったのに……)
鼻までお湯に埋もれさせ、ブクブクと空気を吹き出す晴子。
『ちゃんとは、友達にならない』
(どうして……喧嘩を売っちゃたのよー!)
女子は、難しい。