県予選1回戦から1週間が経過した。
明日、男子は2回戦である。
安西は、生徒たちの練習を見守る。
男子達は気合も入っており、なかなかいい仕上がりだった。
きっと、明日の2回戦も問題ないはずだ。
女子の方はというと……。
黛繭華は愚直なまでにピボットターンの練習を繰り返していた。

「……ふっ、……はっ……」

彼女のファンクラブ?らしき存在も上から見守っている。
こういった地道な練習を今までしたことのなさそうだった黛が、ここまで文句も言わず熱心に練習し続けることは安西にとって少し意外だった。
一週間前とは比べ物にならないくらいしっかりと踏み込んでターンができている。

(君も、きっと強くなる……)

そろそろ、次の段階に進めてもいいだろう。
バレエ経験者の黛ならピボットを使ったステップを覚えさせるのがいいかもしれない。
藤崎千咲も、

「ヘイ!」

――ザシュ!

パスを受けてからの、クイックリリース。
どういう状況でなら自分が撃ちやすいのか理解し、かつ、どう動けば自分が撃ちやすい状況でパスをもらえるかをわかってきたようだ。
もちろん、ドリブルからのシュートの精度も上がっている。
この2人の上達度合いが、今後の女子バスケ部を左右するだろう。

(さて、あと1人……)

安西は体育館の外に出る。
遠くに、グラウンドを走っているが見えた。
初日には体調を崩したが、その後は順調にペース走をこなしている。
技術的に卓越したは、スタミナ以外は特に問題はない。
彼女はまだ1年だ。スタミナは、じっくりつけていけばいい。

「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」

がグラウンドに沿って体育館の前まで走り込んできて、そのまま通り過ぎた。
特に、問題はなさそうだった。

(ない、はずなのだが……)

なにか、引っ掛かりを覚える安西。
それがなんなのか、まだ見えてこなかった。
思い過ごしであればいいのだが……。

「安西先生ー!一週間ぶりですー!」
「おや、椎名くん、待ってましたよ」

体育館に、一週間ぶりに元・女子部主将、椎名愛梨がやってきた。



40.新キャプテン




「男子は明日2回戦だ!相手校は角野!気合入れてけよ!解散!」
「お疲れ様でした!」

男子の主将赤木の事務連絡が終わり、今日の部活は終わりになった。
終わりになった、とはいえ、やはり一部自主練をして帰ろうとするものがいるが。
女子3人も、残って練習をしていく側だった。
各々自主練を始めようとした頃、安西が女子を呼び止める。

「みなさんに、大切なお話があります」

と。
なんだ?と思いつつとりあえず安西の周りに集う女子たち。

「前キャプテンから、新キャプテンの発表があります」

安西の一言を受けて体育館の扉からひょっこりと顔を覗かせる椎名愛梨。

「しーちゃん!なんか久しぶり」
「久しぶり、しーちゃん」
「みんなお疲れ様ー!頑張ってんねー!」

椎名はニコニコと安西のそばに立った。

「それじゃあ、お願いします」

安西に促され、椎名はわざとらしく咳払いをして、彼女なりに改まった態度を取った。

「えっとですね!安西先生といろいろ考えた結果です!これからの湘北高校女子バスケ部を引っ張っていく人材としてですね……」
「いーから早くしてよ」
「うぅ……久しぶりなんだからいいじゃん……」

と言っても一週間しか経っていないが。
は、きっと黛が新キャプテンになるだろうと思っていた。
藤崎は今年だけならともかく、あまり後輩とかを引っ張っていくタイプに見えない。
そして、自分自身も。
あまりキャプテンに適性があると思えなかった。
その点黛には、人を引っ張っていける強さがある。
だから、似合うと思った。
そして、椎名の口から、新キャプテンの名前が告げられた。

「新キャプテンは……、さんです!」
「あ、アタシ?」

その発表に驚き、思わず安西を見つめてしまう。
安西はニッコリと口元で笑顔を作り、

「そして、副キャプテンは黛くんです」

と発表した。
逆ならまだわかるような気がするが、アタシがキャプテンか……。
は目を丸くする。
椎名に「何か意気込みを!」と言われ、「とりあえずガンバリマス」としか言えなかった。
黛は自分がキャプテンになれなかったのが不服なのか(というか、誰かの下になる、という状況が根本的に嫌い)、「チッ……、まあ、副キャプテンがんばりまーす」とやる気のなさそうな挨拶をした。

「じゃあじゃあ、ちゃん、引き継ぎするからちょっと部室来てよ!」

と、椎名はの手を引っ張り部室へと連れて行った。
2人がいなくなった後で、安西は、「黛くんにもお話があります」と声をかけ、体育館の外へと出て行った。
ひとり取り残された藤崎は、やっぱりいつもどおりシュート練をはじめた。



 これがー、スコアブックでしょー、あれがー歴代練習メニュー案でしょー、そんでこれがー、公欠届とか入ってるファイルでしょー、コピーして使ってねー。
椎名の引き継ぎは割と事務的な書類の話が多かった。
基本的に部室兼更衣室に置いておけばいいものばっかりだったから、は説明だけをひたすらふんふん聞いてた。
なんでアタシがキャプテンなんだろう?とも思ったが、安西的にも単純に一番雑用を押し付けやすそうに見えたからかもしれない。
黛だったらこういうのやらないか、もしくは誰かに押し付けそうだ。
は、気楽な気分で引き継ぎを受けていた。
一通り説明が終わり、椎名が最近勉強を頑張ってるんだとかの近況報告を始める。
その話題も一段落した時、はずっと言おうと思っていた言葉を言った。

「ごめんね、しーちゃん」
「どうして?」

椎名は不思議そうな顔をする。

「いや……負けちゃったからさ。しーちゃんの高校、最後の試合なのに」

は、実は一週間前の試合の結果をそれなりには気にしていた。
でもそれはやっぱり、流川楓とはベクトルが違ったようだったが。

「えええ!?そんなこと気にしてたの!?やだなぁ、負けなんて慣れっこだよー」

……それもどうかと思うけど。は心のなかで突っ込んだ。

「それにちゃん面白いこと言うね」
「は?」

椎名は手をひらひらさせながら言った。

「だって、高校生活最後の試合に勝って終われるチームって、世の中一つしかないんだよ?」
「あ……そっか。そーだよね」

当たり前だ。部活の大会は基本的にトーナメント方式なんだから。
勝って終われるのは、勝ち抜けた者だけだ。

「そそ、全国制覇でもしない限り、最後はみんな負けて終わるんだよ。私は、その中の一つになっただけだよ。でも、その中でも私は満足の行く試合ができた。『たった一人になった部活でも、ちゃんと戦えるんだぞ!』って、自分に証明できた気がするの。ちゃん達のおかげでね。だから、私が感謝するならともかく、ちゃんが謝る理由なんてひとつもないって」

そうだ、椎名は4月、この部活に独りぼっちになってしまった期間があったのだ。
そんな椎名にとって、3人でも40分最後までコートに立てたのは、高校生活の良い思い出になったらしい。

「あんがと、しーちゃん」
「ありゃ、今度は感謝されちゃった。……でもさ、」

椎名は、いつもニコニコしているが、一瞬、その笑みを柔らかく力強いものに変えた。

ちゃん達はさ、勝って終わってよ。……あ、これ私のタダの願望ね」

――勝って終わる。

「それって」
「カッコいいとこ、見せてよ。暗い顔じゃ終われないでしょ、ね?はい、これ、湘北ノート。これを、新キャプテンのさんに譲りマス!10年後も20年後も、湘北女子バスケ部が生き残れますように!」

椎名は最後に、「しょうほくノート」と書かれた古いA4ノートをに手渡した。
これはいつもは部室の本棚にあるが、基本的に代々キャプテンが受け継いでいくものらしかった。

「そんなん保証できないよ」

10年も20年も、なんて。
自分ですらどうなってるのかわからない。
しかし椎名は、

「こらー!弱気は許さないよ!頑張ってね、新キャプテン!」

と、新キャプテンを激励した。
椎名愛梨はこの日、本当に引退したのだった。



「実はね、黛くんをキャプテンにしようか、という話で纏まってたんですよ、今日まで」
「はあ……」

安西は、キャプテンに選ばれずに不満顔の黛にぶっちゃけトークをしていた。

くんをキャプテンにしたのは、『部活のため』というよりも、『くん個人のため』なんです」

黛は、終着点のよくわからない話をとりあえず聞いていた。

「どーしてキャプテンやらせんのがのためになるんですか?」

うーん、と安西は深く思案するような仕草をした。

「君も藤崎くんも、今バスケに情熱を燃やしている。そう簡単にはやめないんじゃないかなぁと思ったんです。……でも、」

安西は少し声のトーンを落として言った。

くんは……不思議な子だ。あんなに時間を費やしたバスケを、またいとも簡単に捨てそうな危うさがある。もし彼女がいつかまたバスケを捨てようとした時、『キャプテン』という責任が彼女をバスケ界に留めておけたらなぁ、と思いまして」

本当に、それだけなんですよ。
と、安西は話を締めた。

(なんか……わかる気、する)

のバスケの実力は、普通の高校生レベルをはっきり言って超えている。
それは、中学の時からそうだった。
彼女は、相当幼い頃から長い時間練習しなければ身につかないだろう技術をたくさん持っていた。
そして、安西がどこまでの事情を知っているかは知らないが、黛は確かに見た。
自分たちが中学2年の県大会の決勝戦後、突然バスケをやめたという存在を。

「ま、つまり私が裏キャプテンってわけだ」

黛がフフンと鼻を鳴らした。
安西もそうそう、その意気です、とおだてた。
とりあえず、女子バスケ部の新体制スタート、である。



 黛が安西と体育館に戻った後、はキャプテンとしての初仕事を開始した。
に「あること」を頼まれた黛は、「ふぅん、ま、やるだけやってみるよ」と答えた。



 自主練も終え、は流川とともに自転車で帰宅していた。


「ん?」
「キャプテンらしーな」

流川は特に感慨もなく、事実だけを確認した、という口ぶりで話した。

「うん、だからアタシ、今燃えてるんだ」
「燃えてる?」
「おー。前のキャプテンがやり残したこと、やっておこうと思って」

椎名から預かったしょうほくノートの最新ページには、『めざせ!インターハイ』と書かれていた。
インターハイにはいけなかったが、そもそもこれは目的を達成するための手段だっただけだ。

「アタシも頑張るからさ、流川も明日がんばれよ?」
「おー」

新キャプテン・による「朝倉光里獲得作戦」、スタートである。