「なんだ!?女子の部室から呪文が聞こえるぞ!?」
「女子は一体何をやってるんだ!?」



41.翔……陽……?




 翌朝、はひとりで登校していた。
なんだか、とてつもなく久しぶりにひとりで登校した気がした。

(大丈夫、あたしは今日も、頑張るよ)

男子はきっと今頃、集合している。
勝ってこいよ、流川。



 同じ頃、黛繭華は、

「ベンキョーできない奴ってさ……、基本何しててもできないし……」

車内で単語帳とにらめっこをしていた朝倉光里はびくっと震えた。

「ベンキョー出来る奴って、部活とかでもフツーにユーシューだよね」
「あ、あの、何が言いたいんでしょうか……」
「別にぃ?」

朝倉光里をいぢめていた。



 昨日、キャプテンに就任したは、「どうしても朝倉光里を諦めたくない」と赤木剛憲に相談しに行った。
赤木はタダでさえ老け顔のところをしかめっ面にすることでより老けさせてみせた。
ふー、と溜息を吐いて、赤木は言った。

「朝倉は……成績が悪いんだ」

しかし、本人は進学希望。
バスケをしている場合ではないと言う。
なるほど、そういうことか。
彼女が頑なに入部を拒む理由は。
は合点がいく。
なら、彼女を入部させてるのは簡単だ。

「簡単?」
「そっすよ。アタシ、しーちゃんみたいに甘くないから」

それだけ言い残しては女子の方に戻っていった。
そして、黛に頼んだ、「あること」とは……。



「部活と両立できないくらいで下がる成績なら、最初っから部活してても大して変わんないと思うんだよねー」
「うぅー!さっきから何なんですか!言いたいことがあるならはっきり言ってくださいー!」

単語帳でぽかすか黛を叩く朝倉と肩で受け止める黛。

「いや別にぃ?朝倉さんのことじゃないしぃ?」

とりあえず、朝倉の不安を煽っとけ。
そう頼まれた黛だった。



 そして、その日の夜から、体育館から夜な夜な変な声が聞こえるようになった。
夜な夜な、と言っても、普段の部活終了後の自主練の時間に、なのだが。
2回戦を突破した男子たちも、翌日の自主練の時間にその声を聞くことになった。

「N(1)=3N(0)≡33≡27≡7(mod10), よって最後のケタは7。
N(2)=3N(1)≡37≡2187≡87(mod100), よって最後の2ケタは87。
N(3)=3N(2)≡387≡323257909929174534292273980721360271853387≡387(mod1000), よって最後の3ケタは387。
以下同様にして求められる。
左端の表記を計算した時の桁数は指数的に増えるので、この単純なやり方はあまり効率的ではない。 We can use right-to left binary method instead:」

「なんだ!?女子の部室から呪文が聞こえるぞ!?」

「Convert the exponent into binary form. E.g. 8710=10101112
If last digit of exponent is 1, then multiply base to result and square base.
Otherwise, just square base.」

「女子は一体何をやってるんだ!?」

「Using this, it can be shown that last 20 digits of Graham's number are: ...04575627262464195387」

女子更衣室の方から聞こえる、謎の声に怯える男子たち。
ちなみに上記の声は数学「だけ」は得意な藤崎千咲のグラハム数についての解説である。
みんなも解いてみよう。

(これは……高校数学の範囲じゃないんじゃ……)

偶然授業で触った初等(簡単とは言ってない)数学の知識があった木暮は少し不思議がった。

(何やってんだ…………)

流川楓も不思議がる。
は畢竟、変な女だった。

(『畢竟』……?読めねー)

みんなも解いてみよう!
漢字の読み編!(漢検一級レベル)



 そうこうしている間に男子バスケ部は順調に勝ち進み、高畑、津久武を破っていった。
破っていった……、割りには。

「どーしたの?桜木、元気無いじゃん」
さん…!い、いえそんなことはありません!このバスケットマン桜木、いつもパワーが有り余って……」
「退場ばっかなの、気にしてんの?」
「!?」

部活中のルーチンの走り込みを終え、体育館に戻ってきたは、なんだか最近若干元気のなさそうな桜木花道に話しかけていた。
流川の話では、桜木花道は1回戦からここまで、全て退場をしているらしい。

「あ、いや、そのですね!天才故の苦悩と申しますか、でも決してそんな小さなこと気にしているわけではなくてですね!」

退場は小さかねーよ。
桜木はウダウダと言い訳するが、はそれを遮って、

「いーよ、練習相手してあげる」

と言った。
彼の相手をするのは陵南との練習試合前以来だった。
がこんな風に提案したのは、昨日、津久武戦後、こんなことがあったからだ。



「あれ、流川、お家帰ったんじゃなかったの?」

その日、男子が試合で居らず、黛も藤崎も帰ったあと、体育館で1人残って練習をしていた
そうしたら、流川楓が体育館にやってきたのだ。
試合があったというのにまだ練習するというのか、熱心なことである。

「家戻ったら、テメーがまだ帰ってきてねーっておふくろが言ったんだ」
「あ、そーなん?わざわざ悪いね」

は、安西に言われてギャロップステップを使った攻撃パターンの練習をしていた。
と言っても、も自分のために練習しているわけではない。
早くもピボットターンを安定させた黛に、次の技として教えるためにギャロップステップを練習していたのだ。
自分でやるのと他人にやらせるのでは勝手が違う。
そのため、は皆が帰った後も練習をしていたのだ。

「ふー、こんなもんかな……。さすがに、疲れたぁ」

流川楓のドリブル音が響く体育館に、は背中から倒れるように寝転んだ。
体育館の床が、ひんやりしていてキモチイイ。
流川が弾くバスケットボールの振動が、心地よかった。

(お、ヘジテーション)

流川楓のドリブルのリズムが変わる。
は目をつぶっていたが、それでも流川が何をしているかがわかった。

「ナイッシュー」
「見てねーだろ」
「外すの?」
「……どあほう」

――スパッ!
――どんっ。

ボールがゴールを通り、床に落ちる音が聞こえた。

「流川の好きなリズムだよね、それ。速いの」
「……そうか?」
「そうだよ。もうちょい幅広げたほーがいーと思う。宮城センパイみたいに」

ゴロゴロと体育館の床を転がりながらは言う。

「きたねーぞ」
「知ってる。でも好き」

再び流川が技の練習をする。
ドリブルのリズムがさっきより速い。
あれだな。ダンク狙ってる時だ。
と、思っていたら。

(あれ?)

――ダムっ!

床に激しくボールを叩きつける振動と音がに伝わる。
そして、

―――ガンッ!

一瞬遅れて、ゴールが揺れる音がした。
は顔だけ流川の方を向いた。

「ふしゅーっ」

流川が呼吸を整えるように息を吐く。

「ひとりバックアリウープか……」

多分、遠回しに「宮城センパイのほうがドリブル上手いね」と言ったのを気にしてる。
は苦笑した。
本当に負けず嫌いだね、と言おうとした瞬間、体育館の扉が開いた。

「おい!!」

桜木花道だった。
と流川がきょとんとしているうちに、桜木は畳み掛けるように言った。

「次の翔陽戦オレは退場しねえ!!そしててめーより点を取る!!わかったかルカワ!!」

そしてそのまま、ゴオン!とでかい音を立てながら扉を閉めて桜木は帰っていった。

「なにいまの?」
「……さあな」
「桜木また退場したの?」

むくり、とはようやく起き上がる。
こくり、と流川は頷いた。

(退場はともかく……流川より点を取る、ねえ……)

はあまりの無謀な宣言に思わず苦笑いをした。



 あんな宣言をしたばっかりなのに、の前では必死に取り繕うあたり、桜木は昨日同じ場所にがいたことに気づいてなかったらしい。
言い訳を聞く時間がもったいなかったので、はさっさとボールを桜木に持たせる。

「シリンダー、って聞いたことある?」
「???り、理科の実験……?」
「それはメスシリンダー。……ん、でもま、いいや。それに自分が入ってるぞ、って想像してみて」

桜木は理科のメスシリンダーを想像した。
次に、自分が入っているところを想像した。

「せ、狭いです……」

彼はどれだけリアルに想像したのだろうか。
息苦しそうに顔を歪めている。

「じゃあ、自分の入りやすいサイズに合わせてみて」

桜木は想像する。

「こ、これくらいは必要です……」

桜木は自分の腕と足を、自分の必要だと思う分だけ広げた。
狭くも、広くもない、普通に自分にあっていると思えるサイズ分だけ。

「そ、それがアンタの『シリンダー』。よく覚えときな、バスケはね、その『シリンダー』外に足や手を出して相手と接触したらファウルなの」
「え!?そーなんすか!?」

桜木は自分が今広げた足と腕を左右交互に見る。

「こう、もっと欲張って……」
「ダメ」

桜木がわざと大股に開き腕を広げるのではぽかっと頭を殴った。

「そんで、アンタ以外にもコート上のプレイヤーはみんなその『シリンダー』を持ってるの。桜木、ちょっとドリブルしながらアタシの横通り抜けようとして」
「はい!」

桜木はダムダムしながらの横を通り抜けようとする。
はわざと桜木の進んでいる方向に割入った。
もちろん、接触する2人。

「はい、問題。どっちがファウルでしょう?」
「え、えと……オレ……?」

桜木は笛を吹かれれば常に自分がファウルだった過去を思い出し、タジタジと言う。
は桜木がすっかりファウルにトラウマを覚えていることに苦笑しつつ、

「ブッブー。正解はアタシ。アンタが先に行こうとしてたでしょ?そのアンタのシリンダー内に突っ込んだアタシのファウルなの」
「ほ、ほう……?」
「ま、やってくうちにわかるって、もう退場なんてしたくないっしょ?」
「は、ハイ!」

桜木の目が光る。
これは本気の証拠だ。

「よし、じゃあ繰り返し体で覚えよう、アンタのシリンダーの範囲をね」

バスケは基本、ディフェンスがファウルを取られるスポーツだ。
なのに桜木は、彩子の話ではオフェンス中にバンバカファウルを取られていたらしい。
ゴール下は赤木の指導のおかげですっかりバスケらしい動きになってきてはいたが、その他の部分ではまだまだ素人だ。
は、男子ではあるが桜木の成長を助けてやりたいと思った。

(だって、しーちゃんならそうしたと思うし)

練習風景を見ていた赤木にも正式に頼まれ、は次の試合まで、自分のメニューをこなした後は毎日桜木の面倒を見てあげることになった。
そしてやっぱり、練習後は女子3人で勉強をしていた。



 そして、土曜日。

「どうですか先生!今のプレイは!」

他の一年生に桜木のディフェンスをやらせて、桜木の動きを見る。

「イイ感じ!今のならファウル取られずに済むよ!」

いつの間にか桜木に「先生」だなんて呼ばれるようになったも、桜木の成長に喜んでいた。
とりあえず、オフェンス中のファウルを無くせれば、退場はしないだろう。
はそう目論んでいた

「桜木花道、急にどうしたのかしら?」

彩子が不思議がる。

「あれ?昨日くらいからこのレベルには達してたと思うんすけど」

少なくとも、相手のシリンダーに突っ込むようなマネはしなくなったはずだった。
しかし、彩子はフーっとため息を付き、「それがね……」と切り出した。

ちゃんが走ってる時ね、またゲーム形式の練習をしてたのよ、男子」
「あ、そーなんすか。どーでした?」
「桜木花道、見事5ファウルよ」
「えぇ……」

なんじゃそりゃ。

先生ー!どうでしたか今のー!」

桜木のはしゃぐ声が聞こえる。

ちゃんの前だけみたいね、シリンダー意識できるの」
「あー、特定の先生の前だけいい子な問題児って、クラスにひとりはいたっすよね」

それと同じか。
彩子は呆れつつも、「ま、でも」と切り替える。

「次からの試合は全部日曜だからね、女子も観戦に来るでしょ?そしたら桜木花道も退場せずにすむかもね」
「どーっすかねー」

果たしてそううまくいくか。

「でも、応援には行きますよ。明日って対戦校どこでしたっけ?」

の質問に、彩子は気合たっぷりで答えた。

「第2シード、翔陽高校よ」

「え……?翔……陽……?」

「ええ、翔陽よ」

、『翔陽』という言葉にぴしりと固まる。

先生!明日この天才の活躍を見に、翔陽との試合来てくれるんすよね!?」

桜木が犬のようにキラキラした目でにまとわりつく。
この1週間ですっかり懐かれてしまったらしい。
しかし、は、

「行か……ない……」

俯いて、小声で答えた。

「え?」
「い、行かない」
「え、なんで、え」
「う、持病の仮病が……、明日熱出るから観に行けない、ごめん……!」

はバレバレの嘘をついた。

(翔陽だけはダメなんだって……翔陽だけはー!)