「結局来なかったね、桜木」
部室で勉強中の藤崎が、窓から外の雨を見ながら言った。
そして窓の外に、
「海坊主……!?」
を見つけた。
48.、流川楓とプロレスごっこをする。
翌朝、はいつもの朝練を1人でやった。
だって流川が寝てるから。
珍しいのだ、こういう事態は。
流川楓、彼はところかまわず寝る癖があるが、実は朝の寝起きは悪くない。
というか、彼にとってバスケをやる時間以外はすべて「寝てても構わない時間」と分類されている。
だから、朝、「バスケが出来る時間」。
その時間はぱっぱと目覚めてしゃこしゃこ歯を磨いてとっととコートに出掛けるのだ。
でも、その流川が今日は寝てた。
そのくらい、昨日の戦いは限界を超えたところで行われていたのだ。
だからはひとりで朝練をした。
家に戻った。
「あの子まだ寝てるみたい。悪いけどちゃん、起こしてきてくれる?」
流川のおかーさんにそう言われたは、
「るかわー!おっきろー!」
と布団を引っぺがした。
流川はまだまだ幸せそうにぐかーっと寝ていた。
こういう時はプロレス技に限る、って、流川のおねーさんが教えてくれた。
「るかわオキロー!!」
は流川の寝ているベッドの右角に立ち、そのまま仰向けに寝ている流川の腹を目掛けてフライングセントーンをかます。
フライングセントーン……それは自らの背面や臀部を利用して、倒れている相手をジャンプしながら押しつぶす技である。
流川のおねーさんは昔、よくこの方法で、雑誌を読みながら流川を叩き起こしていたらしい。
「ぐあっ」
流川の口から割と汚い悲鳴が上がる。
は、仰向けになっている流川と同じ方向を向いて乗っかる形になった。
すこし振り向いて、流川を見下ろしながら、
「あ、おき……」
起きた?とが聞き終わる前に、の腰に流川の腕が巻き付いた。
「え、ちょ」
がまたしてもすべてを言い切る前に、の視界がぐるんと180度大転回して、体もぐるっと浮いたと思ったらごちーんとおもいっきりベッドの縁に頭をぶつけさせられた。
流川楓、逆襲のジャーマンスープレックスである。
そう、流川のおねーさんは流川の体が大きくなり、反撃してくるようになった頃合いでプロレス技を掛けるのは辞めるようになったことを、には伝えていなかった。
その結果、どんな寝起き直後でもとりあえず危害を加えてきた相手に反撃できる流川楓くんが完成したのだという、一番肝心なオチも。
「……。なんでテメーオレのベッドで寝てんだ?」
技を食らって失神しているを見ながら、流川は思った。
そんなことがあったので、は朝から学校でも不機嫌全開だった。
授業中、隣の席の流川楓はよだれを垂らしながらぐーすか寝ていた。
今日は朝練もしなかったのに、まだ眠いとは何事だ。
前の席の石井が流川をかばうように教師に言い訳をしている。
小池はつまらなそうに鼻を鳴らし、連帯責任だ、と流川に当てるはずの問題を、同じバスケ部のに当てた。
「の回答を流川の出席点にしてやろう」
問題は、基本的な乗法公式だった。
石井は小声で答えを必死に教えてくれようとしている。
そしても色々事情があって現在女子バスケ部総力を上げて勉強中のため、珍しくその問題の答えがわかった。
が、そんなかんじで流川に対してはむかっ腹しか立ってなかったので、(誰が流川の答えなんかまじめに答えるか!バーカ!)と思いながら、
「うっせーな。2+2は5だし3×3は8なんだよっ!」
と、藤崎に借りたマンガを思い出しながら言った。
「お前ら……どこまで教師をバカにする気だ……!」
小池がプルプル震えている。
流川楓の今日の出席点は、残念ながら0になったようだった。
「ちゅーっす」
放課後になり、今日はひとりで部活に向かった。
いきなり、
「声が小さいっ!」
とハリセンで殴られた。
「イッテ、ちょっとやめてくださいよ彩子さん!アタシ今日アタマチョーデリケートなんだからー!」
流川のせいで朝からズキズキとした痛みが取れないのだ。
「あら、女子だったのね、ごめんなさい」
彩子は慌ててハリセンを引っ込める。
「あら?どうしたのそのたんこぶ?」
痛そうに頭を押さえるを見て、まさか今の自分のハリセンのせいではあるまい、と彩子はちょっと動揺する。
「うー、流川のアホにヤラれたんすよ!もーサイアク!」
先に技をかけたのは自分だということも忘れては怒る。
彩子はの頭をさすって、コブの大きさにちょっとびっくりしていた。
「アンタ達、どんなアクロバットな朝を過ごしたのよ……」
全く今日はサイアクな一日だ!とは未だに怒っている。
その時、ふと、
「あれ、なんすか、あの『がけっぷち』ってやつ。彩子さんが書いたの?字うまいねー」
は体育館のリーグの勝敗表の隣に貼られている掛け軸のようなものに気がついた。
の質問を、彩子は肯定する。
もう、後がないぞ、ということを表すためのものだといった。
そう、決勝リーグは総当り戦である。
負けたからってIHの可能性がなくなるわけじゃない。
どれ、今日もいっちょ桜木花道を揉んでやるか、と、走りこみの後の計画を立てる。
そして、そこでようやく気がついた。
「あれ?桜木は?」
彩子が、首を振った。
会話を聞いていた三井が言った。
「あいつ、最後のパスまだ気にしてるらしい……」
と。
今日の分の走りこみが終わった後、は宮城に話しかけられた。
「昨日、ずっとは相手のPG見てただろ?正直……どうだった、オレ?」
と、言い辛そうだが、昨日の完敗を認めている発言をした。
そうだ、昨日の敗北は牧の個人技の圧倒的強さと、それを抑えるゲームメイクの出来なかった宮城にある、とは思っていた。
「……まー、かなり長期的なものの言い方すると、宮城センパイもガードなんだったらスリーを持つべきだよね」
「ぐっ」
いきなり痛いところを突かれて宮城はたじろいだ。
そう、宮城はPGだが外角からのシュートが苦手だった。
「た、短期的には……?」
「ん?」
「短期的に牧に勝てるようにするには、どうすりゃいいと思う……?」
不安そうに目を泳がせる宮城。
もなんて答えたものかとちょっと悩む。
その時、スパーンと宮城の頭に彩子のハリセンが炸裂した。
「アヤちゃん!」
「リョータ!そんなウジウジした態度じゃちゃんだって答えづらいでしょうが!」
彩子が宮城に愛のムチをくれる。
そして、に向き直って、言った。
「年下とか女とか、遠慮せず言ってくれちゃっていいんだからね。司令塔としての能力はちゃんのほうが高いんだし」
「そんな~!アヤちゃーん!」
けんもほろろ。
泣きつこうとする宮城を彩子はまたしてもハリセンでぶった。
は二人の様子をしばらく見ながら、聞いた。
「いつまでっすか?」
「え?」
「短期的にって、いつまでにあの牧紳一さんに勝ちたいんすか?」
は、本当になんとなく、宮城がどういうつもりなのかを聞いただけなのだが、彼には違うように聞こえたようだった。
宮城は真剣な目で、言った。
「IH中に、だ」
ちょっとカワイソーだけど、前半の間にあの猿をもっと叩いておくべきだったね、とはホワイトボードに書いた昨日の布陣を指して言った。
あの猿、とはもちろん海南のルーキー、清田信長である。
流川を点取りにばっか使うんじゃなくて、マッチアップした清田とのミスマッチをもっとついて、あの猿を得点に絡ませないべきだった、と。
「流川もなー、そーゆーとこ未だにノータリンなんだよ」
「聞こえてるぞテメー」
今朝から喧嘩しっぱなしの流川も気がついたら、宮城との反省会を聞いていたらしい。
いや、流川だけではない。
最初から参加していた彩子と赤木以外にも、三井や木暮、黛や藤崎がの説明を聞いていた。
今日は来ていないが、安西もいたらこの話を興味深そうに聞いていたに違いない。
「海南はさー、けっこーあの『牧さん』ひとつで乗るか乗らないかが決まってくるチームだったなーって。だから牧さん止めれるのが一番だったんだけど、昨日みたいに赤木先輩が抜けた場合……」
がホワイトボードに貼り付けた赤木のマグネットをコート外に移動させる。
そして、流川のマグネットをインサイドへ。
「流川がセンターをやってみても良かったかも。あとは、あの⑥番。なんだっけ名前」
「神よ」
彩子が答える。
「そう、神がいるじゃん。牧さんがインサイドに来たら宮城センパイと流川で止める、と。そしたら絶対神にパスするじゃん?ここはもちろん、三井センパイ」
はマグネットを動かす。
「ただ牧さんのペネトレイトはやばい。2人で足んないときはやっぱ三井センパイがカバーに回るでしょ?だから、逆にインサイドの流川が常に神を警戒しとくの。マッチアップは神と三井センパイ、牧さんと流川・宮城センパイでいいんだけど、実際のカバーはここで逆になる」
は流川のマグネットから神のマグネットにまで線を、三井のマグネットからインサイドにまで線を引いた。
「でも神は流川のブロックだけじゃ間に合わなくなると思うから、ここでやっぱ桜木は交代かな。なんだったら木暮先輩も変えちゃってもいい。シオセンパイとヤスセンパイが出てきても面白いかも。ファウルしてでも神のスリーを絶対止めるの」
と、ベンチメンバーのマグネットとコートメンバーのマグネットを入れ替えた。
あんまり自分たちには関係ない話かな?と思っていた2年たちも、自分の名前が出てきたのに気がついての周りに集まる。
「なんでその2人なんだ?」
三井が首を傾げる。
「身長だったらカクのほうがあるぜ?」
宮城も言う。
「そのとーり。単純なマッチアップ変更なら、向こうのセンターの⑤番(高砂)は自分より数10センチも低いシオセンパイとやんなきゃいけないわけ。これはくだらない、って向こうの顧問があの桜木の天敵のヒョロメガネを出す。そんで更にマークをこう変えてくるはず」
は⑨番(武藤)のマグネットを外し、⑮番(宮益)と交換した。
次は⑤番(高砂)をスライドし流川に当てる。
そして、インサイドで流川とマッチアップしていた清田のマグネットを三井へとスライドさせた。
「ここで⑤番と流川、三井センパイとあの猿がマッチアップすることになるでしょ?そしたらセンターの役目は今度は三井センパイが、……やれます?」
「オレはどこでも出来るぜ」
三井は得意気に言った。
「流川が平面の1対1で⑤番から突破口を開いて、外からパスを捌ければ一番いいね。自分で決めるだけがチームの為になるわけじゃないもん。そんで海南のこのマーク修正が誰に一番影響をおよぼすかというと……」
は清田信長のマグネットを指す。
「コイツね。昨日見て思ったけどまだまだ自分一人で調子が作れるわけじゃない。昨日は流川とマッチアップすることで逆に実力以上で戦えてたみたいだし。でも、こんなふうに顧問がマッチアップを変えてしまったら、それだけでダメージになるはず。そのダメージのカバーに動くのも多分、牧さんだよ。ここで清田、牧2人のパフォーマンスが落ちる」
は牧と清田のマグネットをさして、相互に矢印を引き、更にその矢印の上にバツを書いた。
「牧さんを封じ込めるのはたしかにタイヘン。安西先生は4人も使う価値があると判断した。でも、牧さんによって作られた海南のリズムはもっと厄介。だから断つ。宮城センパイが今すぐにでも牧さんに勝ちたいってんだったら、もっとそういうの考えるべきだね」
「……おう」
宮城は昨日の悔しさを思い出し、拳を握りしめた。
「こっちは赤木センパイが抜けた時点で全員がいつものポジションで仕事が出来るわけじゃなかったんだから、海南のポジションもおんなじくらい崩せればよかったんだよ。PGの牧さんにとってはそれだけで痛手だったはずだもん。そう考えるとあんだけ個人技がすごい牧さんがPGで逆に良かったって感じだね」
(牧がPGで良かったとか言えるPG、海南以外じゃお前くらいだよ……)
宮城は思わず呆れた。
まあ、ぶっちゃけは男子の試合は見てるしかないので、なんとでも言えてしまう、という側面もあるのだが。
「……まあ、そんなとこ。……なんか、聞いてる人増えてない?」
一通り昨日の反省点を述べた頃合いで、は聴衆が増えていることに気がついた。
というか、気がついたらバスケ部全員が聞き入っていた。
「そーだぞテメーら!練習しろ!」
宮城は一応自分の欠点を認めなければいけない場だったので、恥ずかしくて他の連中を退けた。
「いやあ、の話参考になるから……」とか、「さんの話聞いてるとバスケIQが高くなりそうなんで……」とか適当なことをいいながら練習に戻る部員たち。
と言っても、反省会はこれで終わりなのだが。
もさっさかホワイトボードの内容を消して片付けを始めた。
「あ」
ぽろっと、ひとつのマグネットが、ホワイトボードイレイサーにあたり落ちてしまった。
すかさず拾う佐々岡。
「さん、落ちたよ」
「ドモ」
その落ちたマグネットは、ちょうど、桜木花道を表すマグネットとして使用していたものだった。
はそれを受け取り、反省会中に語った自分の作戦も踏まえてポツリとつぶやいた。
「やっぱアタシ、桜木も使いたいな」
「結局来なかったね、桜木」
部活も終わり、部室で勉強中の藤崎が窓から外の雨を見ながら言った。
女子は自主練の時間は相変わらず勉強をしているらしかった。
『朝倉光里獲得作戦』の一環である。
この雨は、部活中突然降り出したものだった。
そして藤崎は窓の外を見ながら、
「海坊主……!?」
と言った。
「は?」
と黛も窓を覗き込む。
この部活はすでに確認出来るだけで、ひとつは心霊現象が起きているのだ。
これ以上モノノ怪のたぐいが増えるのは勘弁してほしいものである。
「あれ、あいつじゃん?桜木……」
黛が海坊主、ことびしょ濡れの桜木花道らしき人影をさして言った。
「あ、ホントだ!タオル……」
と、は部室の適当なタオルを持って桜木のもとに向かおうとした。
しかし、
「いいよ、。まだ流川いるんでしょ?こーゆーのはオトコの仕事だよ」
と黛に止められた。
藤崎も珍しく黛に賛同した。
「そーだよちゃん。桜木だって多分、伊達や酔狂で部活サボったわけじゃないでしょ。優しくするほうが可哀想だよ」
そう、か。
とも納得し、勉強に戻った。
「センセーもそう思うってさ」
黛は、本人にしか見えない『女子の顧問(仮)』と会話し、と藤崎に意見を伝えた。
「う、うん……」
怯えると藤崎。
ところでこの『女子の顧問(仮)』、黛の脳内だけの生き物かと思ったら、黛の悩んでる問題にヒントくれたり答えを教えてきているらしい。
やはり、完全に黛の精神とは別の、何か独立した存在がこの部室にはいるらしかった。
「アハハハハハハ!!!で、そのケガ?意味ワカンネー!」
黛も藤崎も桜木も帰った後、いつもは自転車の帰路を今日は傘をさしながら歩いて帰る流川と。
は帰る時に合流した流川の謎のケガを見て最初ギョッとし、理由を聞いて爆笑した。
なんでも、桜木花道と「責任の押し付け合い」ならず「責任の持ち合い」が原因で喧嘩をして顔に傷を負ったらしい。
「宮城センパイも『オレのせいだ』つってたもんなー。みんな考えることは一緒か」
男子ってホントタンジュン。はまたケラケラと笑った。
「勝ったらオレのおかげ」「負けたらオレの責任」としておくのが、わかりやすくて彼らにはいいらしい。
学校の最寄り駅に着く。
今日は歩きだから2人は電車に乗るのだ。
混みあう時間帯だが、流川のそばは彼の放つ威圧感でスペースが少し空く。
はそれを利用して電車の角にすっぽり収まった。
「オレはどうだった?」
流川が、急に尋ねてきた。
至近距離なので、はいつも寄り流川を見上げて会話をしなければならない。
は、部活中に宮城が尋ねてきたようなことを流川も聞きたいのだろうと思って、やっぱりまずは長期的な見通しを立てた。
「ロードワーク増やす?」
流川は頷いた。
だが、スタミナなんてのは急につくもんじゃない。
レベルはだいぶ違うが、同じ課題を抱えるにもそれはよく分かっている。
流川も、同じことを思って、更に聞いた。
「どうすりゃいい?来週、仙道を倒すには」
IH中に牧を倒す、と言った宮城と同じことを、いや、ひょっとしたらそれよりも難しいことを、流川はに聞いた。
「うーん、策がない、わけじゃない」
「教えろ」
「アンタ嫌がりそう」
「イヤもクソもねぇ。仙道に勝つんだ」
流川の決意に、は「アタシだったら……」と切り出した。
流川は実際どうするかは答えず、の作戦を聞いて「……そうか」とだけ言った。
そして最後にもう一つ、妙なことを聞いてきた。
「お前はどうだった?オレを見て」
と。
「は?アタシ?」
予想外の質問にはぽかんとする。
自分が試合観てどう思ったかなんて、聞かれたことがなかった。
ていうかそもそも……。
「ゴメン、流川のことあんま見てなかったわ」
――ゴチン。
流川に頭を叩かれた。しかも、たんこぶになってるところを。
「イッテェ!何すんだよ!つーか思い出した!アタシら喧嘩中じゃん!!」
は頭を抑えつつ、流川が桜木と喧嘩した話で笑っていたせいで忘れていたが、こっちだって朝から喧嘩中だったんだ!と思い出した。
「チッ。うっせーなどあほう女。降りるぞ」
は人混みの中、流川に腕を引っ張られた。
流川はでかいので人よけに役立つ。
は文句を言いながらも大人しく引っ張られることにした。
「野蛮人!ジャーマンスープレックスなんてオンナにかけていー技じゃねーから!マジで!」
「テメーこそ朝っぱらからセントーンとか何考えてやがる」
ギャーギャー喧嘩しながら改札を出る。
駅からだと流川の家までは多少歩く。
喧嘩も雨も、まだまだ続きそうだった。
「来週はちゃんとオレのこと見とけ」
家に入る前、流川はそう言った。
翌朝、桜木花道が坊主になっていた。
は喧嘩の話よりツボに入ったようで、顎が外れそうになるくらい笑っていた。
「ヤバイヤバイ!赤いまりもがいる!赤いまりも!」
「桜木、海坊主じゃなくて赤坊主だったんだね」
「へー、『赤坊主』なんて妖怪もいるんだ」
とりあえず、女子には概ね好評だった。