桑田の説明通りの場所に向かうと、果たして三井寿はそこにいた。
階段に座り、震える拳を握りしめていた。
どう話しかけようかとは少し迷う。
自分は椎名のようにはいかない。
三井が今この場で、なんて言葉をかけて欲しいのか皆目検討もつかなかった。
なのでは、とりあえずポカリの缶を1本三井に向かって投げてみた。
「うおっ。、!?」
「ナイスキャッチ!」
三井は顔にぶつかるギリギリのところで気配を察知し、パシッと缶を掴んだのであった。
57.その天才の幕が下りる。
(力が入らねぇ……。クソッ)
桑田にポカリを買いに行かせた後、三井寿はひとりでうなだれていた。
力の入らない拳と体力のない自分を呪いながら。
廊下を走り抜ける足音が聞こえる。
桑田が戻ってきたのだろう、と三井は思った。
みっともないところを後輩に見られたくはない。
そう思った三井は、極力、普通に努めようと思った。
が、
「うおっ。、!?」
あわや顔面に衝突するところだったポカリの缶を、反射的に掴みとる三井。
てっきり桑田が戻ってきたと思ったのだが。
缶を投げつけた犯人、は慌てている様子の三井を見ながらケラケラ笑って言った。
「ナイスキャッチ!」
と。
「ナイスキャッチじゃねーよ。たくっ」
怒る気力も失せる。
大方、桑田の代わりに自分の様子を見に来たのだろう。
三井はプルタブに手をかける。
だが、力が入らない。
こんな動作にすら手こずる自分が情けなくなり、三井の胸に再び悔しさがこみ上げる。
目頭が熱くなる。
だが、今は後輩のが近くにいる。
情けない姿を晒すわけにはいかない。
桑田なら「タイムアウトが終わる」とか適当なことを言って追い払えばよかったものだが、うまく言い訳が思いつかない。
はやく、どこかに行ってくれ。
三井は心の中でそう思った。
だがは三井の願いとは裏腹に、三井の隣に腰を下ろした。
手の震えが止まらない。
それでも無理やりプルタブを引こうとする。
なにかやっていれば、それに集中していれば涙を流さずにすむかと思ったのだが。
プシュッと音を立てて、缶は空いてしまった。
途端に再び沸き上がる悔しさと虚脱感。
「くそ……」
(なぜオレはあんなムダな時間を……)
過去を悔いる三井。
考えないようにしていたが、一度その言葉を心のなかでつぶやいてしまった以上、涙が溢れてくるのを止めようがなかった。
なるべく、に見られないように壁の方を向く。
しかし、には三井の後悔や男としての矜持が理解できないのだろう。
あっさりと、
「え、三井センパイ泣いてんの?なんで?」
と、指摘してきた。
「……ウルセーな、おめーにはわかんねーよ」
ダセェな、オレ。と思いながらも三井はタオルでゴシゴシと顔を拭いた。
ごくごくと乱暴にポカリを飲み進める。
「えー?だって三井センパイが泣く必要なくない?あんなにガンバってたじゃん」
頑張ったって、結局このザマだ。
バスケから逃げるようにして不良仲間と自堕落な生活を送ってきた過去が、今なお三井を追い詰める。
「何?もしかしてコーカイとかしてんの?昔のこと」
は歯に衣を着せない物言いで、一番触れてほしくないことをズケズケと聞いてきた。
こういうことをあっさり聞いてくるのはが女だからだろうか。
いや、女でも椎名だったら間違いなく空気を読んでとっとといなくなる。
藤崎は……どうだろうか。
むしろ三井にとって、以上に今の自分に近づいてほしくないのが藤崎だった。
なぜなら、同じ中学出身の藤崎は知っている。
かつて、中学生MVPを取り、スーパースターだった三井寿のことを。
「だって三井センパイ、前にサキチィに言ってたじゃん。『オレたちシューターには今しかねぇ』みたいなことさぁ。あれウソだったの?」
は唇を尖らせて三井に文句を言った。
三井はお門違いだとわかっていながらも心のなかでに怒った。
オマエに何がわかるんだ、と。
は1年で、時間はまだある。
だがオレはなにもしないうちに3年になってしまった。
その焦燥感は、三井にしか理解できないものだった。
が今言ったとおり、三井は後輩の藤崎のために一度だけ、かつての自分のような言動をした。
それが更に三井を打ちのめした。
そんなことを言う資格、今のオレにはもうねぇよ、と。
「ふぅん。じゃ、三井センパイは昔の自分に戻りたいんだ?」
は床においていたもう1つの缶をプシュッと開けてポカリを飲んだ。
オレの分じゃなかったのか、それ。
まあまだあるからいいけどよ、と半分くらいの重みになった手元の缶を見つめる。
「……できるもんなら、な」
三井は、バスケ部に復帰して初めて、他人に弱音と本音を吐いた。
出来るものなら。
何の負い目もなく、しがらみもなく、ただバスケにまっすぐ向き合えてた頃の自分に戻りたい。
三井はそう思っていた。
自信が、欲しいのだ。
それは、今の自分になくて、かつての自分にあったものだから。
三井の心情の吐露に、はいつになく真剣な声で言った。
「戻れるよ」
断定的に、は言った。
「バカ言え」
タイムスリップでもして、怪我する前の自分に戻れってのか。
「そーじゃなくてさ。だって、三井センパイ、サキチィの前では昔のセンパイに戻ってあげたんでしょ?なくなってないじゃん、いるってことじゃん。『昔のセンパイ』が、今のセンパイの中にもさ」
「……あんなの、見栄張ってるだけだ。意地になって、バカだよな」
三井は自嘲するように言った。
だがはそんな三井に笑って返した。
「いーじゃん。見栄張り続けなよ。アタシ、意気地なしよりかは意地になっちゃうヒトのほーが好きだけどな」
全くこいつは。簡単に言ってくれる。
三井は今日初めての方を向いた。
明るい金髪と一房だけの赤のメッシュ。
見た目にバカっぽいが、は少しだけ真面目な声で「アタシもね、」と切り出した。
「戻りたい自分がいるんだ。戻りたい場所がある。……バスケ続けてんのも結局、意地かもしんない。……センパイと一緒でね」
それだけ言って、は立ち上がりスカートをぱぱっと払った。
「?」
「今のヒミツね!アタシもセンパイが泣いてたことみんなには黙っとくからさ。そろそろ戻るっしょ?試合、オーエンしなきゃだね」
「お、おう」
先ほどの真剣な空気を意図的に振り払うかのように、は明るく言った。
三井は缶を握りしめた手を見る。
震えは、いつの間にか止まっていた。
(ケッコー時間掛かっちゃったかな……。試合どーなってるかな)
は階段を上がりながら会場に戻る。
会場の扉を開けて、次にが見たものは。
「……キレー」
スリーポイントシュートを放つ、木暮の姿だった。
「うわあああ入ったあ――――っ!!!」
「木暮が!!」
「しかもスリーポイントシュートだ――――っ!!!」
コート上で喜びを爆発させる木暮と湘北のメンバーが見える。
4点、湘北がリードをしていた。
陵南が最後のタイムアウトを取る。
はその隙にささっと人をかき分けて席に戻った。
「どーだった、サン」
はに試合の様子を尋ねる。
は目を見開いて驚いてるようだった。
「どうもこうも……何者なの、あの桜木くんは」
どうやら桜木が予想外の活躍を見せていたらしい。
なんでも、陵南のフロント陣を3人共止めてしまったのだとか。
電光掲示板を見ると、残り時間は58秒を示していた。
は、最後の質問をにした。
「どっちが勝つと思う?」
「仙道さんよ」
の意見は、変わらなかった。
だが、
「でもね、それは、彼が天才だからとかじゃなくって……」
その表情はどこか、
「勝ちたい、って思ってるから勝つ。そんな気がするの」
何かを懐かしむような、穏やかなものになっていた。
「そっか」
でも、ウチも多分、みんな勝ちたいって思ってるよ。
――ビ――――!
タイムアウトが、終わった。
陵南ボールからスタート。
まずは仙道にボールが渡る。
⑤番、⑥番とボールを回し再び仙道へ。
流川がマッチアップする。
しかし魚住のアップスクリーンを利用した仙道に、中に切り込まれてしまう。
赤木も止めにかかるが、仙道は一瞬ドリブルのタイミングをずらし赤木をすり抜ける。
桜木が走り込むもブロックに間に合わない。
タイムアウト終了後20秒で、仙道彰が2点追加した。
68-66。
陵南サイドが仙道の活躍に沸き上がる。
あと2点で、同点。
湘北との延長戦なら、分があるのは陵南だ。
みな、仙道を信じているようだった。
だがそこからの約20秒は両チームとも加点できずに膠着状態。
ゴール下で赤木にボールが渡った。
魚住が背後で待ち構える。
最後のセンター対決。
制したのは、赤木だった。
フェイクを入れて魚住を抜き去る。
しかし、そこには⑬番、福田が詰めていた。
ブロックはされなかったが、赤木はシュートを外してしまう。
残り10秒。
弾かれたボールを見て陵南のベンチが沸き上がる。
10秒なら、まだ。
仙道なら、同点にしてくれる。
そんな思いを込めて。
だが、そのこぼれたボールを。
桜木花道が掴みとり、豪快なスラムダンクを叩きつけた。
そして、
「戻れっ!!センドーが狙ってくるぞ!!」
桜木は叫ぶ。
(イヤ……)
わかってないんだ。
今からの4点差は、流石の仙道でもひっくり返せない。
わかってないのは、この試合を決定づける最後のシュートを決めた、桜木花道本人だけだ。
「おう!!」
それでも、みな最後までディフェンスを徹底した。
5月に行われた陵南との練習試合。
最後の5秒を、誰も忘れていなかったからだ。
――ビ――――!
ブザーが鳴る。
今度こそ、正真正銘。
湘北の勝利だった。
「うわあああ―――っ!!!」
爆発しそうな歓声に包まれる会場内。
「全国だあ―――っ!!!」
湘北の選手は皆抱き合い、ハイタッチしあっていた。
歓喜に包まれる湘北陣。
勝利を祝福しあっている。
だが勝負の世界には、必ず敗者がいる。
どこか呆然とした様子で整列した陵南に遅れて、湘北も整列をする。
陵南のベンチでは、相田彦一がひときわ大きな声で泣いているのが見えた。
「……いい勝負だったわね。どっちが勝ってもおかしくなかった。こういうのを、いい勝負だって言うのよ」
隣に座っているがそんな彦一を見ながら呟いた。
が席を立つ。
「帰んの?」
「ええ。これ以上いても仕方ないもの」
は、このあと行われる女子の試合を見る気はないらしい。
「彦一くんのこと、慰めにいかないの?」
は陵南のベンチを見ながら呟いた。
も、それに倣って彦一を見た。
「……悔しいって思えるのは、いいことよ。『悔しい』っていう感情は、『勝てる』って思えた相手にしか湧かないものだから」
「ふぅん……」
はカバンに荷物をまとめる。
そして、最後にを見て言った。
「私が言うことじゃないかもしれないけど、さん。あなたも中途半端な気持ちでバスケをしてるくらいなら、さっさとやめたほうが良いわ。これは忠告よ。キャプテンなんでしょう?あなたについていく人が、可哀想だわ」
の燃えるような目が、を睨みつけた。
は、バッグからポカリの最後の1本を取り出した。
気分の悪そうだったのために買っておいたものだった。
「アタシも、アンタに言っておきたいことがある」
「……何よ」
「、アンタ……」
缶はまだ冷えていた。
買った時からまだそんなに経っていないから、当たり前だ。
は、ポカリの缶を左手で持ち、右手での前髪をかき上げて、ポカリを押し付けながら言った。
「デコが広いな」
と。
「な、な、何よあなた!人がせっかく真剣に……」
「アハハハ。それあげるからアタマ冷やしなよ。別にみんながみんなバスケに命かけてるわけじゃないって。そんなにシンパイしないでよ」
は突然身体的特徴をからかわれて、怒り心頭と言う感じだった。
押し付けられた缶をバッグにしまい、「帰るわ!」とすねた感じで宣言した。
「お~帰れ帰れ」とは適当に煽っておいた。
自分も椎名たちのところに移動しよう、と思いながら。
「でもねさん、」
意外と往生際が悪い。
何か一言文句を言わないと気がすまない質らしい。
コートでは、選手たちが挨拶をして解散していた。
「流川くんはきっと、違うわよ。あなたと、バスケに掛ける思いが」
「それで?」
「『それで』って……。別に、それだけよ。さよなら!」
はどこか煮え切らない様子で去っていった。
勝負が決まる前はいやに穏やかだったのに。
アイツなんか気性が荒いところあんなー、とはの背中を見ながら思った。
さて、椎名たちのいる席に移動を……と思ったその時だった。
の首に、腕が回った。
男の腕だ。
誰だ、湘北の男性陣だったら未だコートにいるはず……。
が答えに行き着くより先に、その人物がに挨拶をした。
「よう、久しぶりだな。この金髪貧乳バカ娘が」
なんだかとてつもなく屈辱的な名称で呼ばれた気がする。
がホールドされた状態から必死に顔を後ろに振り向かせると、
(うわ、コイツ……、1回見たことある、ちゃんの学校で……)
サラリとした茶色がかった髪の毛の美少年が立っていた。
くそ、コイツがアタシに何の用だ。
必死になってもがくも腕は解けそうにない。
まずい、こいつがいるってことは、多分。
「!探したぞ!藤真、そのままにしておいてくれ。逃げ足だけは本当に早いんだ」
花形透と。
約2年ぶりの再会である。