花形透に「そいつを離すな」と言われた藤真健司は、の首に回した左腕を更に締めて、右手で頭を押さえつけた。

「ちょ、ま、まって……。くび、首締まってる……ぐえ」
「悪いな、オレ、プロレス技よく分かんねーんだよ」



58.藤真健司、スリーパーホールドをする。




「探したぞ、本当に。今まで、どこで何をやってたんだ?」

花形は懐かしさと哀しみが合わさったような表情でに優しく語りかけた。

も心配している。一度、顔を見せてやれ」

諭すように言ってくる花形透は、何の事はない、の幼なじみというやつだ。
いや、正式には、の従姉妹の、の幼なじみなのだが。
昔は「ちゃん」「ちゃん」「ガッちゃん」だなんて呼び合っていたものだが、いつの間にか面倒になったのか、彼は2人を「」だの「」だの犬猫のような呼び方をする。

「2年前のことなら、もオレも気にしていない。だから……」
「だ、だから、ちょっと、待ってって……、今それどころじゃな……」

花形はに再会できてどこか感慨にふけているような態度で話し続けるが、今のはぶっちゃけそれどころじゃない。
自分にスリーパーホールドを掛けてくる男が、適当に見よう見まねで技をやっているせいで気管が締まっているのだ。
プロレスなら反則である。
かといってきちんと頸動脈を締められても困るのだが。

「マジで、く、くび、締まってるから……い、息が……」

は締めてくる腕を剥がそうと必死にもがく。
その様子を見て花形は、藤真に「悪い、少し緩めてやってくれ」と頼んだ。
藤真が少し腕の力をゆるめた瞬間、は「このヘンタイ!」と藤真のスネを蹴り、相手が怯んでる隙に脱出。

「うわ、イッテーなこの」
「待て!!」

はコートに既に選手たちがいないことを確認し、拾った自分のカバンをまずはコートに向かって放り投げた。

「おお、なんだ!?」

まだ会場内に多くいる観客たちがざわつく。
次に、はそのまま自分のカバンと同じように、2階の観客席の1番前からコートへと飛び降りたのだった。

「うおお!すげー!あの金髪の娘、いま飛び降りたぜ!」
「しかもそのままダッシュしてる!足痛くねーのか!」

カバンを回収し、会場の外へと逃走する
花形と藤真は、の非常識な行動にただ呆気にとられるしかなかった。

「逃げ方本気すぎるだろ……アイツ……」

藤真はに蹴られたスネをさすりながら言った。

「悪かった、藤真。1階に高野と長谷川を行かせてるから大丈夫だとは思うんだが……」

ここまで来たんだ、何が何でもとっ捕まえなければ。
花形は自分の事情に巻き込んでしまった他のメンバーに心のなかで謝罪しながらも、ここで逃がすわけにはいかない、と決意を新たにした。
その時、

「あ、あの~。2人は、ちゃんの知り合いなの?」

湘北の制服に身を包んだ、やけに小さい子と、やけに美人な子と、その2人をまとめてるらしき子が話しかけてきた。
おそらく、今の騒動を見て話しかけてきたのだろう。

「翔陽の花形くんと、藤真くん、だよね。私、湘北の椎名愛梨っていうんだけど、えと、うちのちゃん、何かしたかな?」
「ああ、ええっと、その……」

椎名と名乗った少女からは、不安と不審が伺える。
花形もなんと説明したものか、と逡巡する。
椎名の後ろでは、小さい子が美人の方に「僕は多分、ちゃんが彼からマンガを借りパクしたのが原因だと思う」と推理を披露していた。
マンガの借りっ放し程度だったらこんな騒動は引き起こさないと思うが。

「キミたちもバスケ部なのか?」

考えあぐねている花形の代わりに声を発したのは藤真だった。
椎名は頷く。

「コイツ、あの金髪の幼なじみみたいなもんなんだ。ちょっと話をしたいだけだったのに、逃げられちまって」

嘘は言っていない。ちょっと絞め技を掛けました、とかは言わないだけで。

「アイツもバスケ部なんだろ?……なんか、言ってなかったか。昔のこと」

藤真がそこまで言ったとき、湘北の女子3人は各々、なにか思い当たるフシがあるような表情を浮かべた。
だが、

「詳しいことは誰も知りません。さん、何も話しませんから」

美人がお嬢様然とした態度でそう答えた。
藤真は目を見開き、「?」と返した。
何も話してない、というのはどうやら本当のことらしかった。

「そうなのか。その、2年前のことは知ってるか。あの、が、突然バスケ部をやめた時の話」

花形がそう尋ねると、椎名と小さい子は「人づてに聞いたくらいで……」と答えた。
美人だけは「知ってます。その試合、見てましたから」と答えた。

「そうか。不躾な頼みで悪いんだが、あの子に何かあったらオレに連絡をくれないか」

花形は手帳を取り出し、自分の電話番号をさらさらと書き、そのページだけを切って渡した。

「オレは翔陽の花形透だ。君は?」
「黛繭華です。こちらは藤崎千咲さん。私たちはさんと同じ1年です」

黛はぺこりと挨拶をした。
ちょうどその時、人の流れに逆らってこちらに向かってくる長身の男がいた。
金髪の娘を捕まえることに成功したらしい。

「離せー!このばかー!ヘンターイ!」
「花形!藤真!もう限界だ!高野が公衆の面前でこの子にチカン扱いを受けて大ダメージを受けている!」

長谷川は珍しく慌てた様子で喋っている。
長谷川に首根っこを捕まえられているはジタバタと暴れてうるさく叫んでいる。
周りの人たちも「何あれ?」「さあ……?」と不思議そうに見ている。
高野は見当たらないが、たぶん会場内の何処かで落ち込んでいることだろう。

「一志、よくやった!椎名、ちょっとアイツの事借りてくぞ。閉会式までには戻る」
「あ、うん。いいけど……」

藤真に言われて返事をする椎名。
この会話が耳に届いたらしきは「よくねー!」と叫んで暴れていた。

「しーちゃんなんでアタシのこと引き渡しちゃうんだよー!かばえよー!」

長谷川と花形のビッグマンに捕まえられたは、湘北女子の薄情さを嘆いた。

「えーだってー。ちゃんと花形くんだったら花形くんのほうがマトモにみえるんだもーん!ゴメンネ!」
「ちゃんとマンガ返しなよ、ちゃん」

優等生軍団の翔陽と、見るからに不良っぽい金髪の娘が揉め事を起こしていたら、多分椎名じゃなくても「悪いのは金髪のほうだな」というジャッジを下すだろう。
世の中そういうものである。
なのには未だにムダな抵抗をしている。
藤真は「オレたちは近くのファミレスで話し合うから。なんかあったら来てくれ」と椎名に伝えた。
そして、

「ほら行くぞ、観念しやがれバカ娘」

と言って、藤真と花形はを連行していった。
最後に、

「一志、つき合わせて悪かったな。高野のことも頼む」

と、言い残して。
椎名は見るからに苦労人ぽい長谷川に「お疲れ様です!」と声をかけた。
長谷川は、力なく笑ってその場を去った。
翔陽の全員が去ったあと、

「……のやつ、マジで何やらかしたんだ?」

お嬢様モードをやめた黛が、ポツリと呟いた。

「うーん、花形くんちの窓ガラス全部叩き割ったとか?」

椎名の想像は意外と激しかった。

「んー、でもそんな怒ってるっぽくはなかったわよね、花形さん。藤真さんの方はどうだか知らないけど」

ま、考えても仕方ないか、と黛は花形から受け取った連絡先を手帳の中に仕舞った。

「そういえば、」

藤崎が口を開いた。

「花形さんはちゃんの幼なじみとして……。藤真さんは、ちゃんのなんなんだろう?」
「うーん……」
「さあ……」

謎は、深まるばかりである。
とりあえず、女子たちは男子の控室の方に向かった。



「みんなー!インターハイ出場オメデトー!!!」

控室から出てきた男子たちを迎えたのは、自分のことのように勝利を喜ぶ椎名と、今なお感動して泣き続ける赤木晴子と、しっちゃかめっちゃか勝利を祝福してくる桜木軍団だった。
もともとお祭り気質のある湘北メンバーはそれにのり、周りに少し迷惑なくらいワイワイと騒いだ。
女子の試合は休憩を挟んでこの後に行われる。
閉会式は更にその後だ。
木暮と赤木は試合の結果を安西に電話で連絡しにいくようだった。
椎名もそれに着いていこうとした時、

「先輩」

と話しかけられた。

「あ、流川くん!もー大活躍だったね!すっごいおめでとー!!」
「どもっす」

独特の言語で祝福して来る椎名に、とりあえずお礼をする流川。
そして、本題を切り出してきた。

のヤツどこっすか。見当たんねーんすけど」
「ああ、ちゃんね。今ちょっとお友達に連れてかれちゃって!閉会式には戻ってくると思うよ!」
「そっすか」

流川はそれだけ言って椎名から離れた。
そしたら、今度は三井が椎名に話しかけてきた。

「椎名、どこいったか知らねーか?」
「ええー!?三井君も?だからちゃんは翔陽の花形くん達と……」

用件は1回にまとめてほしいよね!と椎名が理不尽に三井に怒っていると、再び流川が戻ってきた。

「ショウヨウ?なんでっすか」
「もー!だからお友達だからだよ、翔陽の花形くんとちゃんが」

説明は1回で聞いてほしいよね!と、自分の説明不足を棚に上げてぷりぷり怒る椎名。
だが、流川はそんな椎名の様子を意に介さず、「なんでっすか」と更に問い詰めた。

「あいつ、翔陽の試合だけは見に行きたくねーっつったんすよ、前」

流川は、『翔陽』という単語を聞いただけでどこか様子のおかしかったのことを思い出しながら語った。
それなのにそこに『オトモダチ』がいるたぁどういう了見だ、と言わんばかりに。

「あー、そういえばそんなこともあったねえ!何でだろ……」

椎名も首を傾げる。
会いたくなかったのかな?という風に。

「流川、しーちゃんを困らせないで。ちゃん達、ファミレス行くって言ってた。近くにあるの1軒だけだから、多分そこだよ」

藤崎が助け舟を出した。
ここで椎名を問いただしたって、答えなんか出やしないのだ。

「わかった」

藤崎をちらっと見ながら短くそう告げ、流川は出口の方に歩き出していった。
間違いなく、ファミレスに乱入しに行くのだろう。

「あ、ちょ、ちょっと流川くん!そうだ、三井くんはちゃんに何のご用事?」

すっかり置いてけぼり気味だった三井に話を振る椎名。

「いや、ちょっとよ、さっきポカリ買いに行かせた時の金渡してねーなと思って。別に今じゃなくてもいいんだけどよ……」

桑田には既に返金済みだ。三井はこういうことに関して意外とマメなところがある。

「ええっとさ、じゃあ、流川くんについてってあげてくれないかな。……正直ね、あんまり仲良しな雰囲気じゃなかったんだよね、花形くんとちゃん。いや!悪い人じゃないとは思うんだけど、流川くんが何か勘違いしたりしないかなーって」

椎名はヒヤヒヤとした様子でつかつかと歩みをすすめる流川に目配せをする。
三井もその様子を見て、「あ、ああ」と流川のあとを駆けて行った。
三井と流川を見送り、椎名が赤木達と公衆電話に向かった後、残された黛は藤崎にこう切り出した。

「なーんか流川ってさ、なんつーの?に対してやたら専制的だよね。支配的っていうかさ……」

まゆまゆ難しい言葉知ってるね。うっせーな、世界史の単語にあったんだよ。と軽く言い合いしてから、藤崎は「ちょっとわかる」と同意した。

「自分が一番ちゃんに詳しくなきゃ気がすまないって感じだよね。ちゃんに関することで、自分が知らないことがあるのは許せないって感じがする。全部把握しておきたい、みたいな」
「うーん……まあ、ねえ……」

何が彼をそうさせるのか。
流川は、が誰にも話してないことまで聞く気はなさそうだったが、『誰かは知っているのに自分は知らない』という状況をやたら嫌っているようだった。

「それがいつか、を傷つけることにならなきゃいいけど」

黛は溜息とともにそう呟いた。