その日の夕飯中、普段は全然しゃべらない流川楓がこんなことを言い出した。
「アメリカに行きたい」
……?アンタ英語全然出来ないじゃん。
63.あの子の考えることは変
テストが終わって2日ほど経過した。
ぼちぼち答案も返ってくる頃合いである。
来週には、玄関前にデカデカと成績上位者の名前が貼りだされることになるだろう。
安西はまだ部活に顔を出してはこないが、影の薄い顧問・鈴木の話では退院が早まり、明日にも自宅に帰ってくるそうだ。
全員ほっと胸をなでおろす。
あとは、インターハイへと一直線だ。
と、思うのだが。
「なーんか、流川調子悪くない?」
「まゆまゆもそー思う?最近変なんだよね、アイツ」
基礎メニューを終わらせた女子達が先に休憩に入り、男子の練習を見学していた。
なこの間の決勝リーグから、なんだか流川の様子がおかしいのだ。
珍しくなにか考え込んでいるようで、練習に身が入っていないというか。
「、なんか知らないの?」
「えー?知らないなー。流川の考えてることってよく分かんねーもん」
「きっと彼は、ナランチャがどうして死んだのか理解できなくて苦しんでるんだと思う」
「それはオメーだけだサキチィ」
今日返ってきたテストの点が大分悪かったようだが、流川がそんなことで悩むとは考えにくい。
安西が戻ってきたら、何か相談したほうがいいだろうか。
そんなこんなで今日も赤木がしきって部活を終えたのであった。
その日の夕飯中、普段は全然しゃべらない流川楓がこんなことを言い出した。
「アメリカに行きたい」
……?アンタ英語全然出来ないじゃん。
はとりあえずたくあんをぽりぽりと食べ進めた。
流川のおとーさんもおかーさんもおねーさんも、その発言に特に心を動かされた様子はない。
「バスケの話か?」
流川に輪をかけて全然しゃべらない流川のおとーさんが、とりあえず流川の言葉の補足をした。
流川は頷く。
「行けば?」
おねーさんはそれだけ言ってテレビのチャンネルを変えた。
好きな俳優が出てるらしい。
「流川、アメリカでバスケのベンキョーしたいの?」
初めて知った流川の願望に、は驚く。
流川はを一瞥して、
「強くなりてぇ。それだけだ」
と言った。
流川のバスケバカっぷりを当然ながらよく知っている流川家の人々は、反対する様子はなかった。
ただ流川のおかーさんだけは、
「まあ、でも急に『行きたい』って言って行けるものでもないでしょう?詳しい人に相談とか出来ないものなの?」
息子を心配して建設的な意見をくれた。
流川はそれにも頷く。
彼は基本的に親に対して素直だ。
多分、来週辺りにでも早速安西に相談する気だろう。
は、焼き魚の骨を器用に抜き取って食べた。
「さっきの話」
夕飯後、洗面所で歯を磨こうとしたら流川に遭遇したは、先ほどのアメリカ行きの話を蒸し返した。
「ホンキなの?アメリカ行きたいっての」
「ああ」
流川は一瞬のためらいもなく肯定した。
最近様子がおかしかったのは、このことを考えていたからだろうか、とは思った。
「強くなりてぇ」
流川は夕飯の時と同じことを言った。
はそんな流川を見て、(変なの。日本でだって強くなれんじゃん)と思った。
には、流川のことがよくわからない。
「お前は?」
「へ?」
流川に突然そんなことを言われて、はきょとんとする。
なぜ彼は自分の話をしているのに、こっちに平気で話題を振るのだろうか。
は困惑するも、流川はじっと見てくる。
その目を見ていたら、は昔、とても昔の記憶を思い出した。
「アタシは……昔、小さいころ、なんか、自分は将来オーストラリアでプロになるんだと思ってた」
謎の確信があった。
別にプロの選手になりたいとか、はそんな風に思ったことは一度もない。
だが、とにかく『自分は将来オーストラリアでプロのバスケ選手になる』、本当にそう思い込んでいた。
そう、なぜかオーストラリアだった。
なぜだったのだろう。
女子のプロリーグならスペインにだってあるのに。
今考えればおかしな話である。
「今は?」
流川はの幼い頃の記憶を掘り下げるように聞いた。
だが、本当にそれ以上何も出てこないのだ。
だから、はふざけていった。
「んー、オーストラリアに行くんだったらコアラの飼育係になりたい。あいつら寝てるだけっしょ?ラクソー」
流川はバカジャネーノ的な目をしてを見た。
でも、にとっては突然バスケのためだけにアメリカに行きたがる流川のほうがバカジャネーノだ。
睨み合いながら、2人はお互いをこう思っていた。
「コイツの考えることは、やっぱりヘンだ」
と。
(流川のやつ、何をそんなに焦ってんだ?)
流川のいなくなった洗面所で歯を磨きながら、は不思議そうに首を傾げた。
そして土曜日。
部活終了後の女子更衣室にて。
「じゃあ、明日は私の家の車で順々に拾ってくから」
「ん、あんがとね、まゆまゆ」
「僕はそこのゲームセンターに用がある」
明日の計画を女子たちは立てていた。
明日は日曜だが、ずっと大会や部活続きだったため赤木の判断で休みにしたのだ。
安西がいないのでIHに向けての具体的な練習メニューもまだ決まっておらず、だったらいっそ休みにして、しっかり英気を養ったほうがいいという木暮の提案を採用した形だ。
まあ、ここ数ヶ月の部活漬けに日々を思えば安西がいても同じ結果になった可能性は高いが。
というわけで、女子たちは横浜にある遊園地へ遊びに行くことにしたのだ。
アクセスの不便さがあるものの、黛が車を出してくれるとのことなのでたちは有り難くその提案に乗った。
藤崎の話では、「地味な遊園地ではあるが、コアなゲームをたくさんおいてあるゲームコーナーがあり、初心者でも楽しめると思う」とのことで、その遊園地自体の概要はも実はよくわかってない。
とりあえず 明日を楽しみに帰宅する女子たちだった。
翌朝。
が玄関に向かったら、靴を履こうとしてる流川が先にいた。
「あれ?流川も出かけんの?珍しーね、休みの日でもバスケばっかじゃん、アンタ」
流川は靴紐を結びながらこちらを一瞥し、返事もせずぷいっとそっぽを向いた。
(えー、なにこいつ、態度悪っ)
機嫌が悪いのだろうか。
「……テメーは?」
流川は質問に答えないくせにに尋ねた。
「女バスで遊ぶんだよ。まゆまゆが車出してくれるっていうからさ、ウチんちに行っとかないと……」
流川がどいたので、も靴を履きだす。
黛が迎えに来る時間までまだ大分余裕があるが、は自分の家まであらかじめ移動しておかなければならない。
さすがに、「るかわんちまで迎えに来てよ」とは言えなかったのだ。
の返答を聞いた流川はそれに対してやっぱりなんの返事も残さず、さっさと玄関を開けて出て行ってしまった。
(なんなんだよアイツ……)
さすがにこんな態度をとられると腹が立つ。
(流川のやつ意味ワカンネー。あ、遊園地行きたかったのか?)
誘われなくて悔しかったのか、流川。は一瞬そう思うが、
(いや、しーちゃんじゃあるまいし……)
ちなみに椎名は、どこから聞きつけてきたのか「私も行きたい!」と計画が決まった段階で女バスに特攻してきたが、全員から「勉強しろ」と言われてすごすごと引き下がった。
そして、藤崎曰く「イマイチ盛り上がりにかける遊園地」に到着した。
「はあ?ジェットコースター運休?マジでやることねーじゃん」
「申し訳ありません」
黛は唯一ここの遊園地のジェットコースターだけを楽しみにしていたらしいが、残念ながら今日は点検で運休していた。
「ねー、なにあれ、潜水艦?」
「うん、結構有名な奴だよ。ちゃんここ来たこと無い?」
「うん。遊園地とかゼンゼン行ったことねーや」
黛にとっては「チャチな遊園地」らしいが、にとっては何もかもが目新しかった。
日曜日だというのに人はまばらで、主な客層は小さな子供のいる家族連れだ。
女子高生たちが遊ぶには少々物足りないかもしれない。
だが、
「ねー!あれ乗りたい!」
「あれって……メリーゴーランド?、いつからそんな乙女キャラになったんだよ」
「乗ったこと無いんだもん!いいでしょ!?」
そう言ってはアトラクションまで駆け出した。
それこそ、小さな子供のように。
「ちゃんが遊園地来たこと無いの、意外かも」
黛と藤崎は、そんなを不思議そうに見ていた。
一方その頃の流川楓は、アメリカ留学を安西に直訴して、
「私は反対だ」
真っ向から否定されていた。
めぼしいアトラクションにだいたい乗り、大観覧車でジャンプをするなどをして係員にしこたま注意を受けた後、たちは藤崎の案内するゲームコーナーへと向かった。
「ここはいつ来てもすごいよ!こんなにたくさんのエレメカを揃えているところは日本でも早々ないんだって!ほら、関西精機のミニドライブが有る!こっちはアタリのロードブラスターズだ!!」
「ああ、うん、そう……」
「やっべ、サキチィの言ってることが全然理解できねぇ」
なんか車のゲームっぽいものの前で興奮する藤崎を引き気味に見守ると黛。
相当貴重な何からしいが、残念ながら2人には全く理解できない。
藤崎はお目当てのゲームを見つけたらしく、早速プレイ開始。
とりあえず見守っていると、スコアがどんどん積み重なっていった。
「陵南戦のビデオを見たが、君はまだ仙道くんには及ばない」
安西にそう言われた流川は、内心ギクリとする。
彼にとって、その人物は触れてほしくなかった存在だ。
――このままでは、仙道に勝てない。
その焦りが、流川に渡米を考えさせたと言っても過言ではなかった。
それを見抜いているかのように、安西は続けた。
「いまアメリカに行くという、それは逃げじゃないのかね」
「ちが……」
流川はとっさに否定する。
流石にそのつもりはない。
逃げで渡米を考えているわけではない。
アメリカなら、もっと強くなれるのではないかと考えただけだ。
だが、安西は言葉を遮るように続けた。
「まして全国にはもっと上がいるかも」
流川は目を見開く。
全国には、アレよりもっと強いやつがいるのか、と。
流川は、ここまで完膚なきまでに渡米を否定されてしまい。
つい、ムキになって聞くつもりのなかったことまで言ってしまった。
「じゃあ、だったらどーなんですか」
と。
「やべぇ!サキチィ!今何コンボだ!?」
「いけ!殺せ藤崎!」
色々なゲームを転々とし、最後は藤崎が一番得意だ、という格闘ゲームになった。
ちょうど対戦相手がおり、藤崎に負けてムキになったらしい相手は連戦を要求してくる。
「相手もなかなか手応えのある奴で嬉しいよ!僕は夏休みに東京に行ってこのゲームの全国大会に出場するんだ!こんなところで強敵と戦えるのは幸せだね!」
藤崎千咲の青春がそこにはあった。
「……くんが、アメリカに行きたいと言い出したのかね?」
安西は、先程より鋭い声で言った。
「イエ」
流川は否定する。
ただ、実力のある人物としての名前を出したに過ぎなかった。
安西は、
「なら……、彼女なんかはもっとダメだ」
きっぱりと否定した。
安西はしばらく言葉を探すように少し俯いた後、こう言った。
「彼女は、負けるべきなんだと思う」
「?」
思っても見なかった返答に、流川は驚く。
安西はそんな流川を見て、「まあ、彼女の問題は、彼女の解決することだ」と話を元に戻した。
そして、流川にアメリカ留学に対する1つの答えを提示した。
「とりあえず……、君は日本一の高校生になりなさい」
アメリカはそれからでも遅くはない、と。
「まさか全国常連のPAMさんにこんなところでお手合わせ出来るなんて、夢にも思いませんでした」
「こちらこそ、まさか君のような実力者がいたなんて……知らなかったよ」
「去年までは中学生だったんで、公式大会には出られなかったんです。でも、今年地区の予選を突破しました。8月、楽しみにしてます」
念のため言うが、これはバスケの話ではなく、藤崎のプレイしている格ゲーの話である。
対戦が終わった後、相手がこちらの筐体にやって来たのだ。
「き、君が今までプレイしていた子かい!?」
と、その青年は最初、藤崎を見てひどく驚いていた。
まさか女の子なんて……という感じだろう。
だが、その青年を見て藤崎も驚いていた。
去年の全国大会、見てました!と。
2人は互いに固い握手を交わし、全国大会での健闘を祈りあった。
(そんなにユーメーなゲームだったのか……コレ)
はオタク世界のディープさに触れて驚いていた。
全国大会ってなんだよ、という気分である。
黛も同じ心境らしく、ボー然とそのやり取りを見守っていた。
「悪いねふたりとも、すっかり付きあわせちゃって」
「ああ、いいよ……。なんか貴重なもん見れたし……」
「うん……」
ゲーセンを単なる不良とオタクのたまり場としか思っていなかったと黛には、ちょっと理解できない世界だった。
流川が帰った後、安西は座敷に座って思案していた。
彼は、昔の生徒を思い起こさせる。
高い素質、闘争心、実力、そして若さゆえの傲慢さ。
安西は、その生徒の成長がとても楽しみだった。
期待を掛けていた。
だが。
(まさか彼があそこまで思い悩んでいるとは……)
流川が突然アメリカに行きたいと言い出して、安西は内心驚いていた。
彼のことだ。いつかは渡米も視野にいれるだろうとは思っていたが、まさかこれほど早くにそれを決断するとは。
それほど彼には仙道の存在が脅威に映ったのだろうと、安西は慮る。
そして、もうひとり。
(くんも……難しい生徒だ)
流川との会話の最中に話題に出てきた生徒の事も考える安西。
……彼女は、もし彼女が行きたいというのならば、それはそれで安西は賛成したかもしれない。
もし、彼女が言ったならば、だが。
(彼女は、負けるべきなんだ)
安西は流川にも言った言葉を思い返す。
のことをこの数ヶ月見守っていて、安西には彼女に足りないものがわかりつつあった。
そして、どうすればよいのかも。
だが、その彼女にとって必要なモノが、湘北高校女子バスケ部という環境において得ることが難しいことも、理解していた。
、彼女は負ける必要がある。
だからといって、ただ年上や男性などの格上の存在に負けるのでは意味が無い。
同じ女子高生に戦って負ける必要がある。
だが、安西もほどの実力を備えた女子高生というものは、なかなか見たことがない。
女子も全国大会にでも行ければ可能かもしれないが、今すぐはとても無理だ。
(陵南の……あの子は……)
確か、バスケをやめてしまったらしい。
練習試合の時に見かけた少女・を思い出しながら安西は思う。
女子は、難しい。
今日の記念に、と藤崎がゲーセンで取ってくれた遊園地のキャラクターのぬいぐるみを持ち帰りながら、は自分の家から流川の家までの道のりをひとりで歩いていた。
途中、自宅のある階を見上げる。
電気が点いている。
(ママ……)
は、あの家に帰ることが出来ない。
「あ、流川もいま帰りだったんだ?」
流川家の前で、ばったり流川楓に遭遇した。
「あれ?どした、汗びっしょり。結局バスケしてたんでしょ」
どうせ流川の休みの使い方なんてこんなもん、とは当たりをつける。
流川は頷く。
正解だったようだ。
返事をしてくれるあたり、朝よりは機嫌が良さそうだった。
玄関に2人で入る。
「ただいまー」とは声を掛けた。
流川はそんなに、
「仙道と戦ってきた」
と告げた。
「へ?」
あっさり言うが、仙道は他校の先輩だ。
まさかそのへんほっつき歩いてるところを偶然見かけて「バスケしようぜ!」なんて展開になったとは考え難い。
どちらかに戦いを仕掛ける意志がなければ、この2人の戦いは成立しにくい。
そして、その意志があったのは間違いなく流川の方だろう。
「なんで?」
「あの女もいた」
「『あの女』……?」
は少し考えて、多分のことだな、と思った。
流川がギリギリ存在を認識してかつ、名前は出てこない女、ともなると大分絞られてくる。
そして、話の流れ的に陵南生だと思うほうが自然だ。
(あいつバスケやめたーって言う割には、まだバスケ部んとこチョロチョロしてんだな)
「で、なんでセンドーさん?」
は話を元に戻す、だが。
「オレは、日本一になる」
流川は唐突ににそう宣言してきた。
そしてすさまじい眼力でを睨みつけた後、流川はシャワーを浴びにバスルームへ向かった。
(な、なんなんだあいつ……)
は呆気にとられてその背中を見送ることしか出来ない。
アイツの考えることは、変。
改めてそう思っただった。