流川さんちの楓くんが、この頃少し変だ。
この頃というか、昨日の謎の宣言から。
やけに気合が入っている。
男子の練習試合の審判をしながら、はそんなことを思っていた。



64.朝倉光里獲得作戦




 先週までとは打って変わって、流川楓の動きに迷いがなくなったように見える。
そう思ってるのは、だけではないらしかった。
男子はもとより、女子も、ギャラリーすらも流川の気迫の篭ったプレイに戦慄している。

(よくわかんねーやつ)

は半ば呆けながらも桜木のファウルに笛を鳴らした。



 白熱の練習が終わった。
女子たちもそれぞれのメニューをこなし、ストレッチをする。
男子たちの一部は自主練を続行するらしい。
それを見ても、(さて、ベンキョーするか)と、思いかけたところで、(あ、もうする必要ねーんだった)と思い直した。
は学生のため、勉強をする必要があるかないかといえば確実に「ある」のだが、とりあえず「ない」と本人は思っている。
なぜなら、あの一ヶ月半に及ぶ猛勉はすべて、今回の期末テストのためにあったからだ。
じゃあ、自主練でもするか、と思って更衣室に向かい一旦シャツを替える。
黛と藤崎も残って練習するつもりらしかった。
テスト勉強から開放された喜びもあるのだろう。
3人でふたたび体育館に戻ると、彩子の指導のもと基礎練をダムダムやってる桜木花道と、

「あ、三井先輩と流川1on1やってる」

藤崎の指摘通り、2人が戦っていた。
今日の流川ははっきり言って異常だ。
練習であれだけハードなプレイをしていたのに、三井相手にまだまだやる気らしい。
男子たちもこの対決を見守っている。
すさまじいディフェンスの応酬で、両者とも点を入れることが出来ずにいる。
だが、

「あっ!!」

流川が三井のディフェンスを抜き去りにかかる。

「抜いたっ!!」
「イヤまだだ!!」

宮城も思わず叫ぶ。
レイアップシュートをしに行こうとした流川のタイミングに完全に合わせた形で、三井もブロックしようと高く跳ぶ。

「まだあめえっ!!」

三井はシュートコースを塞ぐことに成功した。
しかし、右手のボールをゴール直前で左に持ち替え、そのままリバースレイアップ。

――スポ。

とうとう、流川が得点を決めたのであった。

「流川……三井先輩に勝つなんて……」

藤崎が驚きのあまり目を見開いている。
確かに、今のは完全に三井の裏をかくことに成功していた、いいプレイだった。
体育館中が流川と三井の対決の凄まじさに放心していると、ひとりだけ、あまり事態を理解していないような男が2人に近づいた。

「ルカワァ!!オレが勝負してやろーか?」

桜木花道である。
いつの間にか勝手にドリブルをやめている。
今日一日流川が活躍し続けたのが気に入らないのだろうか、勝負を持ちかける。
しかし、流川はそんな桜木に、

「イヤ、いい」

とにべもなく答えるのだった。
桜木は文句を言いかけるが、三井が間に割り込む。
曰く、「まだ自分のオフェンスが一回分残っている」とのこと。
意外に細かい男である。
流川も若干呆れてるようだが、しぶしぶ位置に着く。

「三井センパイ細けー」

が言うと、藤崎がすかさず

「そういう細かいところにこだわるから先輩は強いんだよ」

と反論した。
さすが三井シンパである。

「ラストね……」
「わかってら!!」

再び白熱の応酬が始まるのか、と思いきや。
ひょいっと、三井がいきなりスリーポイントライン間際からシュートを放った。

「!」

意表を突かれた流川、見送ることしか出来ず、

――パスッ。

と、シュートは入り、三井は高らかに勝利を宣言した。

「うわー、三井センパイキタネー」

は面白がりながら声を上げる。
三井は先輩ではあるが、妙に子供っぽいところもあるのだ。
しかし、子供っぽいことを言い出すことに関しては流川も負けていない。
勝利を宣言する三井に対して、流川は「スリーポイントラインを踏んでいたから同点」と主張してきたのだ。
くだらない言い合いを収めたのは桜木花道。
多分、確実に踏んでいたかどうかは見ていないだろうが、桜木は三井を勝者と認めた。

「サキチィ、どっちだったの?」

は藤崎に正しい裁定を求めた。
しかし、

「い、いやぁ、僕、細かいこと気にしないタチだから」

しっかりしろよ三井シンパ。
だが、藤崎が三井のプレイを見ていないわけがなく、また、本当に三井がラインを踏んでいなかったら、彼女は真っ先にそれを主張するはずだ。
言い合いをする男子を見ながら、はなんとなくこの勝負の行方の真相を察した。
とりあえず、今日は三井の勝利ということにしておくのが吉か。
だが、この騒動はこれだけでは終わらなかった。

「やっぱり逃げるか……。オレと勝負するのがそんなに怖いか」

先程から流川に相手にされてなかった桜木花道が、本格的に流川に勝負をふっかけてきた。

「何言ってる」

流川も単純なので、とうとう桜木の言葉に耳を貸す。

「てめーは絶対オレに勝てるって言えんのかよ」

流川に火がついたのが、にもわかった。

(うわあ、やめとけ桜木。勝てっこないって)

は早くも桜木に同情する。
たしかに桜木花道のバスケは急成長中で見ていて面白いが、流川とはまだまだ天と地ほどの差がある。
どうなるものか、と観戦を続行しようとすると、

「ホレ今日はここまでだ。上がれ上がれ!」

三井と宮城に男子も女子も追い出されてしまった。

「えー、なんでっすか。ちょっと見たかったのに」

は唇を尖らせる。

「ま、私はなんとなくわかるけどね、オトコゴコロって奴よ」

そんなを、黛は馬鹿にしたように笑った。
三井と宮城は体育館を締め切る。
せっかく着替えたのに無駄になってしまったか。
はおとなしく更衣室に向かおうとする。
その時、

ちゃんちゃん!もう昇降口に貼りだされてるぜ!」

桜木軍団のひとり、野間がこちらに走りこんできた。

「マジ!?サキチィ、まゆまゆ、行こう!」
「うん」
「おう!」

3人は、野間が来たのと同じ方角に走りだす。
『朝倉光里獲得作戦』、いよいよ最終段階だ。



湘北高校はテストを返却するのと同時に、5教科と5教科の総合得点の上位 30名を昇降口に貼りだす。
前回の中間はその貼り紙を見向きもしなかったではあるが、今回はコレが大変重要な役割を担っている。
だけでなく、黛と藤崎、そしてなぜか桜木軍団も昇降口で真剣な面持ちでそれを見ていた。

「よし、英語と国語、ギリ引っかかった!」
「ホントだ!ちゃんスゲー!」

高宮も一緒になって喜ぶ。
英語のところには、26位  85点。
現国のところには、24位  80点。
古文のところには、29位  79点と書かれていた。

「僕も、数学はともかく生物と物理、なんとかなったよ」
「やるじゃねーかチビッコ!」
「うるさい、チビって言うな」

生物には、18位 藤崎千咲 88点、物理には25位 藤崎千咲 64点とあった。
それに加え、数学のところを見てと黛は驚いた。
なぜなら、

「うわあ、サキチィ数学100点てなんだよ。小学生かよ」
「うわっ、ホントだ。引くわ」

1位 藤崎千咲 100点とあったからだ。
しかも、よく見ると同率1位が数学は結構いる。
どうやら100点を取った奴が、今回6人いるらしい。

「数学って、完全に理解できた単元は基本的に全部解けるから。僕みたいなタイプのやつは、ケアレスミスしない限り100点か0 点しか取らないよ」
「うわー、意味わかんねー」

と、言いつつもは藤崎の頭をぽんぽんなでた。

藤崎は「つまり、暗記科目として数学を解く奴は最後の先生のイジワル問題を落とすけど、数学の仕組みを理解して解く奴はだいたい全部解けるってことさ」と得意気に語った。
黛は、意味不明なことを言う藤崎をゴミを見るような目で睨みつけた。
そして、

「マユカちゃん、あれじゃね?」
「あ、ホントだ。あった」

水戸洋平の指差す方向を見ると、どうにか世界史に、30位 黛繭華 80点という項目を見つけた。

「あー!良かったぁ!まゆまゆバカだから無理かと思ったもん!」
「僕も」

コクコクと藤崎は頷く。
黛は髪を優雅に掻き上げ「まあ、実力よね」と調子に乗った。
少し離れたところでは黛の親衛隊が「さすが黛さん!才色兼備だなんて素晴らしい!」「天は黛さんには二物も三物も与えるのだなぁ……!」と感動していた。
そして、は「じゃ、あとは任せたよ」と、桜木軍団に声を掛けた。
高宮、大楠、野間はいたずらっぽい笑みを浮かべ、ペンや紙でできた花の装飾品を取り出した。

「お、いーね。もーさ、『当確!』みたいな感じで目立たせて!」
「おう、任せろ!」

桜木軍団は早速作業に取り掛かる。
瞬く間にと藤崎と黛の項目は、一発で人目を引くような派手なデザインにされた。
これなら明日、テストの成績に落ち込んでいるであろう朝倉光里も、間違いなく見るだろう。

「よし、じゃ明日は朝にここ集合ね!朝倉さんを張ろう!」
「おー」
「おっす」

の号令に2人は頷く。
そろそろ流川と桜木の勝負も終わった頃だろう。
は更衣室で着替えてから、自転車置き場に向かうことにした。

「なあ、マユカちゃん。本当に朝倉さん入部するかな?」

が去った後、成績上位者の貼り紙を見ながら水戸洋平は尋ねた。

「さあ。でも、の考えたことだから。なるようにはなるんじゃない?」

黛繭華そう言って優雅に笑った。



「センパイたちオツカレサマー」
「おう」
「おー、気をつけて帰れよ」
「桜木もばいばーい」
「…………」

あ、ダメだ。完全に魂抜けてる。
体育館に一度顔を出してまだ残っているメンバーに挨拶をしてから、は自転車置き場に向かった。
しばらくしてやって来た流川楓の表情には迷いがない。
きっと完膚なきまでに桜木花道を叩きのめしたのだろう。
はいつもどおり自転車の後部座席に座る。
自転車を漕ぐ流川の後ろ姿が、今日はなぜか一段と大きく見えた。



 翌朝。

「朝倉さんこねーな」
「テストの成績が悪くて落ち込んでるとか」
「ありうる」

朝倉光里の登場を今か今かと待ち構え、昇降口で待ち伏せをする女子3人。

「あ!来た!」

長身のメガネを掛けた少女がこちらに向かってくるのがわかった。

「行け、まゆまゆ」

は黛に小声で指示する。
黛は朝倉のクラスの下駄箱に、さも偶然かのように通りがかった。

「あら、おはよう、朝倉さん」
「あ、黛さん。おはようございます」

何も知らない朝倉は、ぺこりと丁寧にお辞儀をした。

「そういえば、そろそろテストも返ってくるころね。朝倉さん、今回どうだった?」

下駄箱に靴を入れている朝倉に、早速吹っ掛ける黛。
朝倉は、その姿勢のままピシリ、と固まった。

「どどど、どうって……い、いつもどおりでしたよ……」

明らかに動揺している朝倉。

「わ、私のことはともかく、黛さんはいかがでした?」

朝倉は話題の矛先を自分から相手に変えた。
だが、黛はその質問を待っていた、と言わんばかりに麗しく歩きながら言った。

「私も、いつもどおりだったわよ」

と。
朝倉と黛が下駄箱から昇降口の広場に向かう。
貼りだされている成績上位者の紙を見て、朝倉の歩みがはた、と、止まった。

「あ!黛さんすごい!世界史30位じゃないですか!」

すごいすごい!と朝倉は黛を絶賛する。
人に褒められるのが好きな黛は、「そうでしょうそうでしょう」と天狗になった。
そして、言った。

「バスケ部に入ったからよ」

と。

「え?」

朝倉は目を瞬かせる。
なんでバスケ部に入ったから?という感じである。

「私だけじゃないわよ。他の教科も見なさい」

黛の美しい指先が指す方向をつられて見る朝倉。
そこにはなんと、他の女子部員の名前も乗っているではないか。
それも全教科。数学に至っては1位だ。

「な、み、みなさん、頭良かったんですね……!!」

特にのことを思い出しながら朝倉は思わず言ってしまった。
すかさず身を隠していた下駄箱から体をヒョイッと乗り出し、朝倉に近づくと藤崎。

「それは違うよ朝倉さん」
「アタシたちはね、バスケ部に入ったから成績が上がったんだよ」
「ええええええ!!??そ、そんなわけないじゃないですかー」

バスケ部に入っただけで成績が上がったら朝倉は苦労してない。
動揺しつつもたちの主張を否定する朝倉。
しかし、は自分たちの主張を固めるための最後の一打を決めた。
藤崎が何かの紙を黛に渡す。

「これを見なさい」

それを朝倉に見せる黛。
それは、4月に行われた新入生の学力テストの、黛の結果だった。
見事に赤点が6つほど並んでいる。

「わぁ、ひどーい!」

朝倉は自分並みにひどい成績に思わず喜んでしまう。
黛はすかさずギロリと朝倉を睨みつける。

「ひい、ごめんなさい!」
「まあいいわ。私ね、その時はバスケ部入ってなかったの」
「えっ」

もすかさず「そーそー」と同調した。
こいつ入部すんの遅かったんだよー、と。

「それでね、バスケ部に入ったら成績がああなったのよ」
「えええええええええ!!!!」

黛は再び成績上位者の貼り紙を指す。
今度こそ仰天する朝倉。
だが、今黛が持ってる紙と校舎に貼られている紙が動かぬ証拠だ。

「朝倉さん!あなたね!『勉強のためにバスケやめました』なんて言ってるけど大きな間違いよ!!湘北のバスケ部には男子のキャプテンを筆頭に成績上位者が集まっていて、ここで部活をしていると!なんと!頭の良さが伝染して自動的に成績が上がるようになっているのよ!!!」
「な、な、な、なんですって――――――!!!!」

朝倉は驚きのあまりひっくり返りそうになっている。
そんなわけあるかと普通なら分かりそうだが、朝倉は黛の気迫と成績の落差に「ありえるかも」と思ってしまったらしい。
朝倉が馬鹿でよかった。3人は心のなかでほくそ笑む。

「そーなんだよ朝倉さん。アタシ達ほんとはバカなんだけどバスケ部に入ったおかげで勉強できるようになったの!だから朝倉さんもムダに塾とか行ってないでさっさと入部しよーよ」
「さあ早くさあさあ、早く」

も黛を援護するように畳み掛け、藤崎がすかさず既に判子を押すだけですむようになっている入部届を突き出す。

「わ、わ、わ、わかりました……!わ、私……バスケ部に……」

藤崎は朱肉を朝倉の親指にベタっとつけて、そのまま朝倉の指を入部届の印鑑のところにピタッと押し付けた。

「入りますっ!!!」
「おおーっ!」

遠くで事の顛末を見守っていた桜木軍団が拍手をする。

「はいじゃあ放課後バスケ部来てね。朝倉さんのロッカーはこの間使ったのと同じでいいから。今日の分の着替えは貸すね」
「わかりました!!」

すっかりトランス状態になった朝倉は、錯乱したまま教室に向かった。

「いやー、うまく行ったねー!」
「朝倉のやついつか詐欺とか引っかかるんじゃねーの」
「というか、今回の僕らがやったのも詐欺の常套手段だけどね」

朝倉が見えなくなった後、しめしめという感じで女子たちは話しだす。
詐欺の常套手段というのは他でもない。
今回の成績のことについてだ。
今回、3人は自分の担当科目を決めてそこの部分しか勉強していない。
だから実はは文系教科はいつもどおり赤点だし、藤崎も「作者の気持ちなんてわかるわけがない」と現国と古文はすこぶる悪い。
黛に至っては普通にバカなので世界史以外は全部赤点だ。
それでもとにかく1ヶ月半もの間、テスト範囲だけを勉強し続けたのだ。
湘北がレベルの高くない高校だったことも相まって、朝倉の目には「女子バスケ部は全教科に上位成績者がいる優秀な部活」に映ったことだろう。
どんな形であれ、とりあえず朝倉を入部させることには成功したのだった。
女子たちはその事実にキャイキャイとはしゃぎ、黛親衛隊は黛の演技の素晴らしさに涙を流して賛美していた。
だが、今日の放課後、バスケ部は皆気がつくことになる。

本当に勉強すべきだったのは女子達ではなく、男子のスタメン達だったのだ、と。