放課後、バスケ部。
そこには、

「あれ?朝倉さんがいる……」

女子たちに混ざって練習をする朝倉光里がいた。



65.はじまりの朝に光あれ。




 インターハイまであと約一ヶ月。
さあ今日も気合入れて練習をしよう、と石井ら1年生トリオが向かった体育館には主将・赤木剛憲を始めとしたスタメンたちの姿はなかった。
副将の木暮に聞くと、どうやら赤木は宮城達赤点軍団を引き連れて職員室に追試の直談判をしに言っているらしい。
とりあえず基礎トレだけはしておこう、という木暮の号令に従って、普段より人数の少なくなった男子バスケ部はいつもの練習を始めた。
そのとき、桑田が女子の方を見て、気がつく。

「あれ?朝倉さんがいる……」

そこには、どこかうつろな目をしながらもしっかりとパス練習をこなす朝倉光里がいた。

「ほんとだ……。なんで?」

石井も不思議がる。
彼女はバスケ部には結局入らなかったはずなのに。

「朝倉さんそっち行ったよー」
「はい!……あ、あれ!?私、なぜ手にバスケットボールを!?」

からパスを受けた朝倉は、それをキャッチした瞬間おかしなことを言い出した。
何か、目を覚ましたような雰囲気である。
黛が小声で、「チッ。もう洗脳が解けたか」と言ったのを石井は聞き逃さなかった。
朝倉は、「わ、わ、私、なんでまたバスケなんか……。塾行かないと……!」と慌てふためいている。
女子3人は「ヤバイ。どーするどーする」と話し合いを始めている。
何やら非合法なやり方で朝倉をバスケ部に引き入れたらしい。
昨日から再びバスケ部に顔を出し始めた監督の安西が、「ほっほっほ」と笑っていた。



 私、どうしてまたバスケやってるんだろう。
勉強しなくちゃいけないのに。バスケは、もういいやって思ってたはずなのに。
手元にあるボールを眺めながら朝倉は思った。
どうして自分が体育館にいてバスケをしてるのか、思い出そうとするも今日一日の記憶があまりない。
朝に黛にあったことまでは覚えているのだが。

(今朝、勉強に関するショックな出来事があったことまでは覚えてるんだけど……)

なにか、あれよあれよと口車に乗せられてここまで来てしまった気がする。
だから自分はダメなのだ。
もうバスケはやめたんだ。進学するためにも、親を安心させるためにも、自分は勉強ををしなくてはならない。
朝倉がそう思ってると、

「何をしてるんですか朝倉くん。くんと1on1ですよ。準備してください」
「え、え!?」

いつの間にかそういうことになっていたらしい。
バスケ部の顧問の安西が、練習の続きを行うことを促す。
内容は、との1対1。
他の2人は、見学して良い点と悪い点を指摘するように、と安西に言われていた。
実力者同士の1対1は、見ているだけで勉強になるから、と。

「先攻朝倉さんでいい?始めよっか」

あれよあれよという間に朝倉もポジションについてしまう。
と、とりあえず始めなければ。まだ塾の時間には間に合う。帰るのはこの後にしよう。
根が真面目でお人好しな朝倉は、とりあえず自分のせいで部活が中断することだけは避けなければ、と思った。
そして、こうも思った。

さんを倒したら、帰らなきゃ)

と。
それが、

――キュキュ!

「朝倉さん速い、レッグスルーからステップバックした!」
「でも、」

――バシ!

どれだけ大変なことかも知らずに。

(うそ、見抜かれてた……!?)

朝倉は、前に抜くと見せかけドリブルをした後急激に止まり、右手のボールをレッグスルーで持ち替えた後更に一歩下がった。
そこからジャンプシュートを行ったが、は後方に高くジャンプしてブロックをした。
のジャンプ力にも驚いたが、朝倉はそれ以上に見抜かれていたことを驚いた。
自分の背の高さのおかげで、大抵の選手は朝倉にインサイドに行かせないようにディフェンスをすることが多い。
それを利用して、あえてアウトサイドでゴールを狙うための技術も朝倉は身につけた。
今のフェイクもそうだった。
走り出す、と相手に思わせるために大きく前足を出してからステップバックをする。
朝倉の得意技の1つだ。
長い足による1歩目は相手の選手にとって脅威になる。
前に行くと見せかけた足にはあまり体重はのせず、レッグスルーで相手をボールに反応させた後ステップバックでジャンプシュート。
だが、は今、自分に抜く気がないと1歩目で気がついていた気がする。
それが、少しだけ、朝倉のプライドに火をつけた。
次はのオフェンスの番だ。
絶対に止めてみせる。
朝倉は意気込んだ。
平面の動きはのほうが分はあるだろうが、自分にはこの身長がある。
は朝倉に対峙されるもエンドライン間際でバックロールターンで朝倉を抜く。
だが、朝倉も負けじと背後からのレイアップをはたき落としにかかる。
朝倉がジャンプして体をぶつけることで、のシュート体勢を崩すことに成功する。
しかし、

「しまっ……!」

は空中で一度ボールを引っ込めた後、そのまま両手でボールを掴み直してシュートを放った。

――パス。

ボールがゴールに入る。

「さ、流石さん!空中で姿勢を立て直した!」
「でも朝倉もスゴイよ!の速さについて行けるなんて……!」

いつのまにか男子たちも練習そっちのけで2人の1on1を見ている。
とりあえずはの勝利で終わったが……。

「どうする、朝倉さん?」

が、第2ラウンドを始めるか聞いてくる。
朝倉は、メガネを外し、髪を解きながらこう答えた。

「もう一度、お願いします」

と。



「全くこのバカどもが!追試の前日はウチで泊まり込みで勉強をさせるからな!」
「ゲー!赤木のダンナとひとつ屋根の下か……」
「は、は、晴子さんとひとつ屋根の下……!!」

赤木はとりあえず宮城と桜木にげんこつをお見舞いした。
こいつら、全く反省しとらん。
職員室で頭を下げて追試のチャンスを貰い、男子バスケ部のスタメン達はようやく体育館に向かっていた。
木暮のことだ、きっと既に基礎トレは済ませてしまっているだろう。
赤木は「スマン、遅くなった」と言いながら体育館の扉を開けた。
そこに広がっていたのは、と朝倉光里の1on1の風景だった。

「もう一度!お願いします!」

もうどれくらいやっているのだろうか。
朝倉は悔しさを滲ませているような、そして同時に興奮しているような顔でを睨みつけながら言った。
闘志むき出しの朝倉を見ながら、はリストバンドで汗を拭った。

「オッケー」

ふたたび始まる彼女たちの対決。
赤木はそれを信じられないものを見るような目つきで見つめていた。

――あの朝倉が、に圧倒されている。

朝倉光里はかつて、椎名と藤崎相手に勝ったことのある少女だ。
赤木はその現場の目撃者だった。
だが、その朝倉がに退けられ、翻弄されている。
が放ったシュートが入ると、朝倉は再び言った。

「もう一度、お願いします!!」



 だめだ。違う。私こんなんじゃなかった。もっと動ける。もっとできる。
朝倉光里は息を深く吐き出し、呼吸を整えながら思った。
久しぶりにやったバスケだったが、思ったほど体の動きは悪くなっていなかった。
ならば取り戻すべきは勘である。
と闘うにつれて朝倉の感覚はどんどん研ぎ澄まされていった。
それこそ、引退する前、中学3年のあの頃のように。

(もう少しだ。もう少しで掴める!)

「もう一度お願いします!」

は無言で頷く。
この1on1の中で朝倉の動きは、のバスケにだんだんついていけるようになった。
不思議と疲れはなかった。
むしろ普段勉強している方がよっぽど疲れた。
不思議なものだ。
もう、バスケはいいやって、思ってたはずなのに。

「もう一度!お願いします!」

どれほどやられようとも、湧き上がってくる闘志。

(私、この人に勝ちたい!)

その感情だけが、今朝倉の体を動かしていた。

「あっ!」

何度目かのスティール。そこで朝倉はようやく思い出した。

(そうだ!さんのスピードに無理やりついていっちゃダメなんだ!まずはさんの動きをよく見極めて、そこから反応して動こう!)

私の本来の得意分野はインサイドだ。朝倉は深呼吸して冷静さを取り戻す。
どう考えても現時点で自分はに劣る。
だが、自分がに勝ってる部分だってある。
身長と、パワーだ。
朝倉は、あえてシュート体勢になったのタイミングに合わせて飛ばなかった。
フェイクかもしれないし、フェイクじゃないかもしれない。
はその辺りがうまいから、自分ではまだわからなかった。
だが、

「すごい!朝倉がとうとうブロックした!!」
ちゃんを止めるなんて……!」
「とてもバスケをやめてたとは思えない動きね」

自分の身長なら、がシュートを放った瞬間を見極めれば届く。
朝倉が弾いたボールは勢い良くバウンドした。
すかさずそれに食らいつく朝倉。
今度は自分の攻撃の番だ。
朝倉はショルダーフェイクを駆使しながらゴール下に近づく。

(今だ!)

を完全に抜いた。
そう思った瞬間に。

――バチン。

自分のボールがにスティールされる。

(ウソ、完璧に抜いたと思ったのに)

だが驚いているヒマはない。
朝倉はドリブルしているに並走する。
の速さには慣れてきた。
あとはのシュートのタイミングを良く見極めて跳べばいい。
ここまできっちりとディフェンスについてこられたら、だってレイアップを狙うしか無い。
そこをはたき落としてや……

「え」

が撃つ、と思ったのと同時に跳んだ朝倉は、自分の遥か頭上をぽーんと飛んで行くボールを見送るしかなかった。
急スピードでゴール下に向かったは、そのまま立ち止まること無くふわりとスクープショットを放った。

――スポン。

ボールが、入る。
朝倉は呆然としながら、それでも、今ののプレイを見ることで、自分の中の勘が完全に取り戻せたことを確信した。

「も、もう一度!お願い……」
「も、もういいだろう朝倉、何もいきなりそんなに飛ばさなくても」

さすがに何回もひたすら対決を続ける女子達を見て、木暮は慌てて止めた。
だが、朝倉はつい熱くなって言い返してしまった。

「よくないですよっ!」

そうだ。よくない、よくない、全然よくない。
今まで、一度も、小学生の頃から、中学の時も、全中の時も、この間の助っ人で参加した試合の時も。
朝倉は、負けてもいい、なんて思ったことは一度もない。
そして、それはもちろん、今も、だ。

「もう一度、おねがいしますっ!」

朝倉は吠えた。
は頷いた。
木暮は驚いた。
赤木は一人納得した。

「だから言っただろう、『のバスケを知らずに辞めていったのでは、後悔が残るだろう』、と」



 再び1on1を初めてしまった2人を見守るように、あるいは呆れるように黛は溜息をついた。
朝倉から預かったメガネを、藤崎がいじっている。
本来レンズがはまっているべき場所には何もなく、藤崎はフレームに指を通して眼鏡をくるくる回して遊んでいた。
伊達メガネだ。
あのダサい二つ結びも、多分、メガネと一緒で、朝倉なりの周囲へのアピールだったのだろう。
『バスケはやめて、勉強をします』、という。
でも、見た目だけ変えたって、人間中身は早々変わるもんじゃない。
それは自分だって、だって同じだろう、と黛は思った。
朝倉は、本当は全然『勉強が好きな優等生』なんかじゃないのだ。
むしろ、今がむしゃらにに立ち向かってる姿こそが、本来の朝倉光里だ。

「ま、良いけどね、ひとりくらい。熱血バスケ馬鹿の部員がいたってさ」

『もう一度お願いします!』とにいう朝倉を、黛はどこか羨ましそうに見つめた。



 勘を取り戻して、1つわかったことがある。
それは、『は自分じゃどうにも出来なくないくらい、果てしなく強い』ということだ。
さっきまでは相手の力量が測れていなかった。
だから好きに踏み込めた。
勘を取り戻せば勝てるだろう、と思っていた。
だが、……今の自分では、とても太刀打ち出来ない。
朝倉は、本日何度目かののシュートが入っていくのを見送り、ようやくふう、と一息ついた。
もう、何も言うことはなかった。

「……もう良いの?朝倉さん」

へた、と座り込んだ朝倉に、が近づいてくる。

「……はい、もう大丈夫です」

朝倉は、今まで全国の強豪を相手に戦ってきた少女だ。
勝った相手もいる。負けた相手もいる。
それでも、その中の誰にも、より強いと思わせる相手はいなかった。

中学3年の時の関東大会。
神奈川の覇者、立花に破れて2位で出場することになった全国大会。
結局、再び立花の中学に負けて朝倉達はベスト8で終わった。
そして、その立花も、愛知のには敵わなかった。
自分たちをあれだけ苦しめた女の子の、更に上を行く女の子がいるのかと朝倉は驚いた。
強くなる、という行為の果てしなさに、胸を打たれた。
だが、そのも、ついに優勝に手が届くことはなかった。
女王・西園寺には、3年間誰も勝つことはなかった。
朝倉は、それでいいと思った。
最強の道を極めるのは、自分じゃなくても良い、と。
だが、今、
彼女と闘うことによって、その時の自分の気持が嘘だったということがわかった。
いや、その時はその時で、一応本気でそう思っていたつもりだったのだが。
不思議な事にのバスケは、朝倉の心を踊らせた。
あれだけ散々やられたにも関わらず、朝倉の心は今、「この人に勝ちたい」という思いでいっぱいだった。
自分の限界が見えた気がして、だったら親の言うとおりに勉強に集中しよう、とやめたバスケだったが。
いま、朝倉は、「この人のバスケ部に入ったら、私はどこまで強くなれるのだろうか」と期待に胸を躍らせている。

さん……。私、バスケ部、入ります」
「ん、ちゃん、で、いいよ。バスケ部は、そう呼ぶことになってんの」
「そっか……。よろしくね、ちゃん」

は、座り込んでいる朝倉に手を伸ばし、握手を交わした。
何か琴線に触れたのか、その様子を見ていた石井は感動して涙ぐんでいた。



 朝倉は、とりあえず今日のところは家に帰る、と告げ、体育館を去っていった。
塾をやめて部活に入るために、親を説得しなければならないのだという。
達は朝倉を見送った。
そして、

「ふー。つっかれたぁぁぁぁ」

朝倉が出て行った瞬間、はドテンと体育館に倒れこんだ。

「ほっほっほ。お疲れ様です、くん」
「オツカレ、
「お疲れ様、ちゃん」

黛がのドリンクを持ってきてくれた。
上体を起こして飲んでいると、藤崎がバサッとタオルを掛けてくれる。
男子たちも口々に先程までの熱戦を絶賛する。

「すごいじゃないか!朝倉って全中でも活躍してたような子なんだろ?」
「そっすねー、流石に連戦はキツかったっす。でも初日でキャプテンなのに負けるのってちょっとカッコ悪いじゃないっすか」
「全く、大物だなは」

新しく強力な女子部員が入ったことを興奮気味に喜ぶ木暮。
は、「でもあいつ帰宅部のくせに体力ありすぎんだよー」と愚痴った。
そんな気の抜けた事を言うの様子に、少し遠くで三井寿は苦笑いをした。

「たく、あいつはほんとにスゲーんだかすごくねーんだか」

近くにいた流川に同意を求めるように言う。
緊張がほぐれたかのように穏やかな空気が流れる体育館。
だが、彼、流川楓だけは、どこか険しい顔でを睨みつけながら言った。

「そうか。朝倉でもダメなのか」



 翌日。放課後。

「はい、朝倉光里です。いろいろありましたがやっぱりバスケ部に入ることにしました!これからよろしくお願いします」
「えー、では、『しょーほくノート』のきてー通りに朝倉さんに何らかのコートネームをつけなくてはなりません」

久しぶりに部室から引っ張り出した『しょーほくノート』を読み上げながらは言う。

「えー、朝倉さんのバスケは『 登りゆく朝日よりも、 明るい輝きで『道』を照らしている』とのことで、アサヒ、に決定しました」

おー、と藤崎がぱちぱちと拍手をする。
朝倉はどうもどうもと会釈した。

「だが、朝倉、その、勉強の方は本当にいいのか?」

赤木心配そうに尋ねる。
実際、彼女の成績はシャレにならないくらい悪い。
だが、朝倉は苦笑いしつつ大丈夫です、と答えた。

「一応、やっぱり成績が下がったら部活やめなきゃいけないんですけど……、両親も、心配してたみたいで。バスケやってた時のほうがまだ成績良かったんじゃない?みたいなこと言われちゃいまして。だから、とりあえずは部活入ってみて考えようって言われました」
「ダイジョーブダイジョーブ。石井くんとかめっちゃ頭いーから。テスト前はみんなでベンキョーしよ」

は気楽にそういった。
赤木は溜息をついたが、朝倉はお願いします、と笑顔で答えた。
とりあえず、これで女子部員が一人増えたのだ。
監督の安西も、ほっほっほ、と嬉しそうに笑った。