その週の日曜日、は夢を見た。
それは、男子が海南と戦ったあの日を再現している夢だった。
体力の限界を迎え、コートを去ることになった流川楓の、最後のダンクシュート。
それを見て、はあの時と同じく、
(…………流川、どうしてそんなに……、勝ちたいの?)
と、思ったのだった。
には、流川の情熱が理解できない。
67.三井先輩の進路相談
月曜日、朝。
(あ)
は、割と重要そうなプリントの提出期限が先週の金曜日だったことを思い出した。
なぜ今思い出したのかというと、自分の通学カバンを漁ったら出てきたからであり。
今通学カバンから出てきたということはつまり、はそのプリントを提出期限までに提出できていない、ということである。
貰った時は、やべー、書くことねー、るかわにでも相談してテキトーに書くかー、位に思っていたのだが、流川楓とは先週の水曜日の一件以来、うまくいっていない。
もともと会話が多いわけではなかったのだが、あの日以降格段に離す回数が減った。
意識して避けてるつもりはないのだが、何を話していいのかわからないのだ。
(どーしたもんかなー)
はプリントを見ながら溜息をつく。
もうすぐ学校に行く時間だ。
流川はもう自転車でスタンバっていることであろう。
は結局、『進路希望調査票』と書いてある無記入のプリントを再びバッグに詰め込んだ。
「おい、流川、石井。を知らないか」
放課後、部活に行く準備をしていた2人は担任に呼び止められた。
「知らねーっす」
「さっきまでいたんですけど、もう部活行っちゃったのかと……」
石井がそう言うと、担任は「そうか。全くめ……」と呆れ半分、怒り半分な様子で職員室に戻っていった。
「さん、何かしたのかな?」
石井が心配そうに流川に聞く。
「知らねー」
流川は、先ほど担任に向かっていった言葉と同じことを石井にも言った。
「流川くん、さんと何かあった?最近あんまり話してないよね?喧嘩でもしたの?」
「なんもねー」
流川はくだらねーこと聞くんじゃねぇと言わんばかりにバッグを持って教室を出て行った。
「あっ!待って流川くん!」
石井もずんずん廊下を進む流川を見て、慌てて飛び出していった。
基礎練を終え、2対2の練習を行ってから、やっぱりいつもの様に走りこみをしようと外履きに履き替える。
朝倉が入ってから練習の幅が広がり、チームで練習できる時間が多くなってきた。
今、黛と朝倉はリバウンドの練習をすべく、男子と藤崎のシュート練習中のゴール下で待ち構えている。
はそれを見て、「じゃ、アタシらもやりますか」と三井寿に声を掛けた。
「おう」
いつでもいいぜ、と三井は言った。
グラウンドをかけると三井の光景は、最近では見慣れたものである。
そしてしばらくして、
「でもセンパイってホント意外とマジメっすよね。いくら冬も出る予定だからって、今更走りこみしなくてもいーのにさ」
「ウル、……セー、オレは……ハァッ、大学行っても……ハァ……バスケすんだよっ……」
「へー、三井センパイ大学行くんだー」
三井寿が先にバテる、という光景もお馴染みのものになって来てしまっていた。
三井はどうやら、自分の将来を見通した上でも走り込みをすることを選んだらしい。
(大学かー。考えたこともねーや)
は次のインターバルで三井を水飲み場に放置して、また1人で走り出した。
(どーいう体力してんだアイツ……)
三井は休憩しながらグラウンドの走りこみを続けるを見つめていた。
初めて会った2ヶ月前は、もっと線の細いイメージがあったが。
の体力はこの2ヶ月でも随分向上したように思う。
体重も増加したのか、体つきも違う。
(家でもいいもん喰ってんだろうな……)
三井は、がいつも男子の2倍くらいのサイズの弁当を食べることを思い出した。
「そこの君、バスケ部か?……って三井か」
「あ……オッス……」
三井がぼんやりを見ていると、教師に話しかけられた。
三井の記憶を辿ってもその教師の名前は出てこなかったが、向こうはこちらを知っているらしい。
(まあ教師連中の間じゃ有名か……)
三井は数カ月前までは荒れていたのだから。
「……どれくらいだ?走って」
「は?」
教師は外周を走りこんでいるを見ながら尋ねた。
「は今どれくらい走ってるんだ?」
「あー、一時間、ちょいっすかね」
教師はそれを聞くと、そうか……と呟いた。
それから三井の方を向いて、「バスケは楽しいか?」と聞いてきた。
三井はあまり面識のない教師に聞かれて少々面を食らう。
教師はそんな三井の様子を見て、「ああ、悪い」と謝った。
「お前もも、バスケ部に入ってから学校にきちんと来るようになったし、問題行動もおさまったと聞いてな。そんなに楽しいのかと思って」
がこちらに戻ってくる。
一瞬、教師の存在に気がついてびくっとしたようだが、そのまま前を通り過ぎて走り続けた。
「全く。提出期限くらい守らんかあいつ。今回の期末だって前回よりは良かったんだから、説教することはないというに……」
教師はそんなを見て不満げに漏らした。
どうやら教師はに何かの提出物を寄越すように言いに来たらしい。
テストの話題になったので三井は口を噤んだ。
もしこの教師が職員室での補習直談判の一幕を知っていたら最悪だ。
とばっちりでこっちが説教されかねない。
だが、教師は「あとはあの頭だな。派手な容姿はつまらないトラブルに巻き込まれやすい」との頭髪についての指摘に移っていった。
結局、は説教される運命にあるようだ。
「しばらくしたらまた来る。三井もに提出物を出すように言っておいてくれ」
「オッス……」
結局、最後まで教師の名前は出てこなかった。
と、思っていたのだが。
「おい、三井、いつまでは走ってるんだ!」
しばらくして、再び教師のほうが戻ってきた。
どうやらタイムリミットが迫っているらしい、イライラした様子でを見ている。
「さあ、いつっすかね」
三井も割りかし適当に答えた。
はやっぱり教師の存在に気が付き、一瞬びくっとなった。
「もういい、そろそろ職員会議の時間だ。三井、に明日こそは出すように言っておけ!」
「オッス」
教師は、今度こそいなくなった。
そして三井はやれやれ、と思いながら、
「!とっくに5000走ってんだろーが!戻ってこい!」
と、怒った。
は三井の顔を見てイヤソーな顔をしたが、「もう担任来ねーよ!いいから戻れ!」と再び怒鳴った。
グラウンドから息を切らせたが戻ってくる。
が教師を避けようとしてわざと多く走り続けていたのを三井は見抜いていた。
水を飲んでいるを見ながら、三井は言った。
「お前、なんか悩み事でもあんのか」
は水をガブガブ飲みながら、少し水道から口を話したあと、「別にないっす」と言って再び水をガブガブ飲んでいた。
三井は呆れながらも言った。
「嘘つけ。なんだっていいけどよ、そういう心のモヤモヤしてるとこ誤魔化すために練習するのだけはやめておけ。ロクなことになんねーぞ」
三井は先輩として、そして経験者としてに忠告した。
は、「うっ」という顔になる。
図星だったらしい。
「ったく。適当にクールダウンしたら体育館の裏んとこ来い。話くれー聞いてやるから」
「……ウス」
少し間があったが、はおとなしく三井の言うことに従うことにしたらしい。
三井は先に、体育館の裏の影になっている階段のところで腰を掛けながら彼女を待った。
「はあ?『進路希望調査票に何書いていいかわからない?』」
「もー、だってさー。マジで悩んでんだもんー」
の悩み事は、進路についてだった。
と言っても、進路なんて入学したての1年生のにはまだまだ先の話だ。
適当に書きゃいいじゃねえか、三井は思った。
進路についてのことなんて、よっぽど自分のほうが真剣に悩んでいる。
しかし、は意外にも真剣に悩んでいるらしかった。
意外、本当に意外だが、意外と繊細な一面も持っているらしい。
「進学とか、就職とか、適当なこと書いてりゃいいじゃねぇか。まだ1年なんだしよ、そんな具体的なこと聞かれねーだろ」
「じゃあ三井センパイなんて書いたの?」
「そりゃ『進学希望、推薦で』だろ」
「わー、本当にキボーだね」
は呆れたように言うが、三井はなぜか得意になって「そりゃそうだろ、なんたって『希望』を調査してるわけだしな」と言った。
「アタシさー、将来とか本当に考えたことないんだよね。行きたいガッコもないし、なりたいショクギョーとかもないんだよね」
「ふーん、お前高校受験ん時どうしたんだよ。なんでココ選んだんだ?」
「……みんなが止めるから」
「なんだそりゃ」
の言うことはよくわからん。
とりあえず三井は明日提出しなければならない進路希望調査票のことを解決しなければ、と思った。
「なんか、小さいころの夢とか、テキトーに書いとけよ」
「えー?……コアラの飼育係?」
「おう、それだ。それ書け」
「ヤダよ、アタシ動物苦手だもん」
じゃあ何で言ったんだ。
そういえば前に猫見かけた時は、こいつは1人で猛ダッシュして逃走してたな、と三井は思い出した。
しかし、これでは本当に書くことがない。
「なんか頑張って搾り出せよ。ほら、中学の頃にエスパーになりたがるとか、そんなんあるだろ」
「えー、ムリ。アタシ女の人ってって22歳で死ぬと思ってたもん。だからその前に自爆してやるーとか、中学の頃なんてそんなんばっか考えてたよ」
「また特殊だな」
普段割りと変なことを言い出すキャラではないはずのだったが、進路や将来のことを尋ねると殊の外シュールな発言が多かった。
そういうのはだいたい藤崎の担当だと思っていたのだが。
なんとなく、が思い悩んでしまうのも頷けた。
大体女は22歳で死ぬってなんだよ。
あれか、女の人生をクリスマスケーキに例える奴の派生か。
そこまで言って三井は、あ、と思いついた。
「ほら、あれとかいいんじゃねーか?『お嫁さん』、とかよ」
三井はちょっと照れくさく思いながら言った。
女はだいたいこれになりたがる。
だが、
「ヤダ。絶対ムリだし、アタシ結婚しないもん」
は今日一番の否定を見せた。
三井は少し驚く。
がどうのこうのではなく、自身の乏しい女性の知識から、女という生き物は皆、将来的には結婚したがるものと思い込んでいたからだ。
「へー、お前、結婚とかしたくねーのか」
「うん。ヤダもん」
「お前さっきから『ヤダ』ばっかりじゃねーか……」
人が折角色々と意見出してやってんのによお。
三井は少しつまらなく思い、文句を言う。
だが、は「ヤなもんはヤだもん」と口を尖らせた。
その後も侃々諤々の論争をし、結局の進路希望調査票には上から、「おはなやさん」「おかしやさん」「はいしゃさん」と書くことになった。
上から2つはがギリギリ嫌がらなかった進路であり、最後の1つは三井が「この職業は重要である」と力説したため採用される運びとなった。
は満足気に伸びをして「んー。解決したぁ。三井センパイ相談乗ってくれてありがと」と言った。
三井は、多分この内容なら出しても出さなくても怒られるし、感謝されるようなことじゃねーよ、と言おうとしたが、そうやって笑うが本当に明るく言うので、三井は先程までのは割と深刻に悩んでいたのか、と気付かされた。
こんなもんテキトーに書けばいいのに。変なところでマジメなやつである。
進路希望調査票を埋めた後、三井はあることに気がついた。
それは、『は今回の進路のことを考えるときに、一切バスケに関する発言をしなかった』ということである。
高校卒業後は特にバスケを続ける気がないのだろうか。勿体無い。
そう思いながら体育館に歩き出すを見ていると、そういえばこいつ、昔バスケ部やめたことあるんだっけか、と藤真から聞いた話を思い出した。
「」
「ハイ?」
三井が呼び止めると、は金色のポニーテールをふさふささせながら振り向いた。
「ああ、……お前よぉ、」
三井はどう聞こうとするか一瞬悩む。
だがのきょとんとした顔を見ていたら、別にそんな気を遣わなくてもいいかと思い、ストレートに聞くことにした。
「その、バスケ部、何でやめたんだ?中学の頃」
ケガとかが原因だったら、もっといろいろ気を使って練習させなければならないだろう。
これからと練習することも増えるだろうから、その確認がしたくて三井は尋ねた。
しかし。
その時ざぁっと夏の熱風が吹き荒れて木々を揺らした。
のポニーテールも揺れる。
は自分の唇に1本指を当てて。
「ヒミツ」
と言った。
その一瞬があまりにも絵になっていたので、三井は思わず見とれてしまった。
そんな自分を誤魔化すように、「な、なんだよヒミツってのはよ」と悪態をついた。
だがは、いつもの様にヘラっと笑い、「まあまあ、大切なのはこれからっしょ」と言った。
進路希望調査票も1人で書けなかったくせに、よく言うぜ。