「なるほど……、そんなことがあったんですね」
顧問の鈴木は、安西から激闘の全国大会の話を聞き、感慨にふけるように頷いた。
体育館で、一心不乱にボールを追いかける少年少女たちを見つめる。
これがこの子たちの青春の過ごし方なんだ、と、鈴木は眩しそうに見つめた。
「……見せてあげたかったですね。女の子達にも、全国大会を」
安西は、和気あいあいと練習する女子部を見ていった。
素人の鈴木にはよく分からないが、彼女たちは弱小で留まるにはあまりにも惜しい実力を持っていると安西は評した。
「きっと、喜んでくれたでしょうね。男子達の活躍を」
男子の快進撃を、自分のことのように喜ぶ女子部の姿を鈴木は想像した。
だが、
「――いいえ」
安西は、小さく首を振った。
「彼女たちに見て欲しかったのは……女子の全国大会ですよ」
73.、ハイエースされる。
全日本ジュニアの合宿に飛び立つ前日、流川楓はリビングで家族と揉めていた。
突然、「自分はお盆に帰省はしない」と言い出したからだ。
「どうしてよ。兄貴もお父さんも私も、あんたの合宿のために休みずらして取ったんだけど。意味なくなるじゃん」
流川のおねーさんが、弟のわがままに呆れながら怒った。
今年のお盆は金曜から始まる。
だから、その週か次の週にお盆休みを取るのが一般的らしい。
しかし流川家の人々は、お盆が全日本ジュニアの合宿と期間が被る為、少しだけ遅れて取得することにしたらしい。
余談だが、バスケ部のお盆休みはきっちり13日から15日となっている。
この休みの少なさは、鬼キャプテンと化した宮城リョータが決めたものだ。
的には夏休み特にすることがなかったので良かったのだが、朝倉あたりは塾の関係でどうしても休まざるを得なくなる。
また、流川も前述の通りジュニア合宿の関係で、本来は帰宅した18日から3日間休み、家族で帰省する予定となっていた。
だが、どうして突然それをやめると言い出したのか。
は、リビングにほど近い階段の2段目でうずくまり、流川家の人々(主におねーさんと流川)の口論を聞いていた。
「……が、1人になるだろ」
流川がそういうのが聞こえた。
「別に大丈夫でしょ。ちゃんいい子だし、家の留守任せたってさ。ねえ、お母さん」
「そうねぇ。盗られるものもないし……。ちゃんも大丈夫だって言ってたわよ?」
このゆるさのおかげで助かっている点も多々あるが、本当に流川家の女性はゆるい。
突然転がり込んできた家出少女に、まさか家の留守を任せようと言うのだから。
だが、だって流石に3日程度だったら留守番できる自信はある。
父親からもらっているお小遣いだってあるし、流川家は大分住み慣れた。
洗濯機だって1人で回せるし、料理だって多少はできる。
むしろ流川のほうがそういう生活力みたいなものはない。
どうせアイツ、米とか研げない。
アタシは研げる。
は誰にも見られていないのにフフンと鼻を鳴らした。
「おばあちゃん楽しみにしてるのよ、楓に会うの」
「……悪い」
「末っ子はわがまま」と言う言葉をどこかで聞いたことがあるが、流川楓もどうやら大概そうらしい。
結局、流川家の人々は、末っ子のわがままに折れる形になったらしい。
せっかく鬼キャプテンの温情でジュニア合宿の後3日間は休んでもいいことになったのに、流川のことだ、休まず部活に出るに違いない。
話し合いが終わり、リビングから人が出てくる気配がした。
は盗み聞きがバレないように早々に階段を駆け上がり部屋に戻った。
『……が、1人になるだろ』
流川が帰省を拒否した理由としてあげたのは、この件だけだった。
はちょっぴりへこんだ。
自分のせいで流川はおばあちゃんに会えないし、流川家の人々にも迷惑をかけてしまった。
かと言ってが「アタシは平気だよ」と流川を説得しても、多分信じてもらえないだろう。
なんせ……。
「ねえ、アタシってシンヨー無い?」
「はあ?」
水曜日。
部活終了後の更衣室で、は女子に語りかけた。
今更衣室にいるのは女子部だけだ。
2人に増えたマネージャーは、現在男子のミーティングに参加している。
「なんかさー、ひとりで留守番も任せてもらえないんだよねー」
は着替えながらほっぺを膨らませた。
隣のロッカーの黛繭華が、「ガキかよ」と呆れた。
「ねー、実際どーよまゆまゆ。アタシって、シンヨーにアタイする人物?」
「……信用、ねぇ」
黛はふぅっ、と息を吐く。
その姿もなんだか憂いを帯びていて美しいと、もっぱらの評判だ。
「ま、私は別に、あんたが金貸してくれって言ってきたら貸してやろうかなって気になる程度には信用してるけどね。……5万くらいは」
「おおー」
さすが金持ちは言うことが違う。
それは多いのか少ないのか、には測りかねた。
多分、黛に「そもそも信用って何だと思う?」と尋ねたら、間違いなく「クレジットカードのことでしょ」って言う。
いや、やっぱり言わないな。こいつバカだし。
「じゃあサキチィは?アタシってシンヨーできる?」
は、今度は藤崎に話題を振った。
藤崎は着替えのシャツに首を通した後、「……初めて見た時は、正直どうかと思ったけど」との金色の髪の毛をさしながら言った。
「今は、信頼してるよ。ちゃんのこと。誰よりも」
「……サキチィ~!!」
やっぱこいつイイ子だよ。とは藤崎の頭を撫でる。
先代の部長も、きっとこの子の信頼に応えたくて張り切ったんだと、今ならわかる。
藤崎は照れくさそうに、「まあ、そろそろ付き合いも長いしね」と言った。
「アサヒはどう?アタシのことシンヨーできる?」
は最後に朝倉に尋ねた。
朝倉は「う~ん」と真剣に唸っている。
そして、真剣な顔をして、
「まだ、わかりません」
と言った。
「だって私達、まだ知り合って間もないですし……。人を疑うにも信用するにも、まずは相手を知ることから始めないと!」
朝倉は教師のように指を1本ピンと立てた。
は、(アサヒのクセになんかアタマよさそーなこと言ってんなー)と関心した。
が素直にそのことを褒めると、朝倉は「あれ?そうですか?」と照れた。
だって、本当にそのとおりだと思ったのだ。
自分と、流川の間に足りないものが、それだと思ったのだ。
自分たちは、お互いのことを何も知らない。
だから流川は、のことを信用していないのだ。
は思った。
夏休みの間に、なんかイイトコ見せようと。
部活でも家のことでもなんでもいい。
流川の信用を得られなければ、流川家に迷惑をかけ続けることになってしまう。
それは嫌だった。
「よし、アサヒ。アタシがんばる。シンヨーされるために!」
「え?そんなに気にしてました?別にこれからじっくりお互いのこと知っていけば良いんじゃないでしょうか……」
の突然のやる気に朝倉は若干引き気味だ。
「ううん。それじゃ遅いよ」
きっと流川は国体にも選出されるだろう。
つまり、今後も今回のようなブッキングが起こる可能性があるということだ。
その時に、が原因で流川に不自由をさせることがあってはいけない。
「夏休み中に、なんとかする!」
は言い切った。
朝倉は「え、えっとやる気になってくれたのは嬉しいんですけど……、すみません!私明日から夏期講習なんです!」とに頭を下げた。
翌日。
部活も終わり、皆少ない夏休みを満喫しようと、それぞれの過ごし方を相談しているようだった。
宿題やらなくちゃとか、田舎に帰るだとか、祭りに行くだとか、そのようなことを皆話している。
「そんじゃお先」
「ん」
「ばいばい」
は女子更衣室を後にして、いつもどおり自転車置き場に向かう。
いつもと違うのは、流川楓がいないことくらいだった。
は勝手知ったる様子で流川の自転車にまたがる。
(よし、ガンバロー)
何を頑張るのかよくわかってないが、とりあえず流川に信用されるために。
は、部活を通して人から信用されることの喜びを知った。
今まで信用されたり期待されてこなかった訳じゃないが、それには特に喜びを感じたりしていなかった。
そんな余裕がなかったのだ。
だが、今。
自分なりに仲間と呼べる存在と信頼関係を築いていく中で、は自分に自信をつけてきていた。
どうしようもない生活を送っていた自堕落な自分から、生まれ変われたような気がしていた。
しかし、それらのきっかけはすべて、流川楓がもたらしてくれたものだということをは自覚している。
流川から信用されないと、は真の意味で自分に自信が持てない。
だからこそ、流川楓に自分を信じて欲しかったのだ。
「オマエ、変わったな」なんて言わなくてもいいから、せめて。
(怒ったりしなくなるといいなー)
まあ、家出してる奴が何言っても説得力無いか。
わかってはいるんだけどね。
帰宅してシャワーを浴びた後、は自室でファッション誌を読んでいた。
そう言えば今度の見たい映画が公開されるらしい。
夏休み中に見に行けるだろうか。
そう思っていると、下階から「ちゃーん。電話よー」と聞こえた。
多分流川だろうな。
がバタバタと階段を降りて受話器を受け取ると、やっぱり流川楓だった。
「もしもし?」
『おー』
「合宿どう?ちゃんと仲良くやれてる?」
『……まあまあ』
今は休憩時間なのだという。
ちゃんと親に連絡するなんて意外とえらいなー、なんては思っていた。
『そっちは?なんか変わったことあるか?』
流川が問い詰めるようにに聞いてきた。
「えー?変わったこと?別に……」
と、言いかけて、は「あ」と思い出した。
(あのフィアットパンダ、今日もいたんだよなぁ)
あの乱暴な運転は、嫌でも目につく。
『なんだ』
でも変なコトを言って、ムダな心配をされたくなかった。
「あ、イヤ。大した事ないや。別に変わった事なんてないよ?」
『……そうか。じゃ』
それだけ言われて、電話は一方的に切れてしまった。
何が知りたかったのだろう。
は首を傾げる。
ちなみに、この電話は日曜まで1日3回の頻度で続き、が「テメーはアタシの父親か!」とキレたことで収まった。
探られるというのは、気分のよくないことである。
「じゃあ、今日楓帰ってくると思うから」
「はーい。気をつけて行ってクダサーイ」
は、玄関で流川家の人々を見送った。
結局流川は帰省せず家に残るので、だったら出発を早めてしまいましょうということで、彼らは朝早くに神奈川を発った。
もそろそろ部活に向かう時間だ。
今日は午前練だけだ。
うまく行けば、近くの映画館での見たがっていた映画が見れるかもしれない。
流川のおねーさんから預かった合鍵を持ち、も家を出た。
そして練習も終わり。
達はインスタントカメラをバッグに詰めて、近くの写真屋へと向かっていた。
お盆休み前に現像しておこうと思っていたのを、すっかり忘れていたのだ。
引退した3年生たちに渡す写真もあるので、2学期が始まるまでに現像できればそれでよかったのだが。
「アサヒは今週の金曜まで塾だってー」
「集中コースとか、受けても意味あるのかしらね」
「ない」
3人は朝倉に対して思い思いのことをしゃべった。
そしてはそそっと藤崎に近づき耳打ちした。
「ねえサキチィ、あの恐山のお守りさ……」
「……みなまで言うな」
「ねー!やっぱそうだよねー!!」
はヒィ、と怯えた。
藤崎が青森で買ってきた割りと霊験あらたかそうなお守りを部室に飾っておいたのだが、なんと一晩で真っ黒になってしまったのだ。
今朝部室に来たら、赤木晴子が「あら?何かしらこれ」とそのお守りを拾おうとしているのを慌てて止めた。
彼女はまだ部室の心霊現象に気づいていない。
なるべく早めに対処しなくては……。
「テメーら何コソコソ喋ってんだよ」
黛がつまらなさそうに話に割り込む。
しかしこいつが一番取り憑かれてそうだしなあとは言いよどむ。
「まゆまゆ、魔除けになるものなんか持ってない?」
「はあ?持ってるわけねーだろ」
「だよなー」
と話しながら、曲がり角のところを出たところでは歩みを止めた。
「!」
「何、どうし……」
黛と藤崎も息を呑む。
「よぉ、久しぶりだなあ。オレら随分探したんだぜ?君のこと」
男が、ひとり。
ニヤニヤしながら近づいてくる。
は気がついた。
囲まれている。
回りにいる男たちも今目の前にいる男の仲間なのだろう。
何台かのバイク。そして、あの川崎ナンバーのフィアットパンダが目に入った。
「……寄るな」
は威嚇するが、男はせせら笑った。
「ひっでーな。オマエいっつもあの乱暴モンの彼氏くんとつるんでるからよ、女だけになるの待ってたんだぜ」
そこまで言われて、はこの男とどこで会ったかを思い出した。
4月。あのストリートコートで、を無理矢理ナンパしようとした男だ。
「」
「大丈夫。……お願い。桜木軍団に伝えて。でも、バスケ部には言わないで」
は小声で藤崎と黛に頼む。
藤崎は震えながらも小さくうなずいた。
だが黛は、「私も行く」と、男たちに歩みだそうとしているに声を掛けた。
「ダメだよまゆまゆ……!」
「テメーより私のほうがああいう連中に顔が効く。……くそ、クルマかよ。何するか分かんねーぞあいつら」
黛は後半、ほとんど独り言のように吐き捨てた。
もう一人の男がに歩み寄り、肩を抱き寄せてきた。
「なあ、オレらとドライブデートしねえ?イイトコ知ってんだよねー」
虫酸が走る。
は何も答えず顔を背けた。
「ナメてんじゃねーぞガキ!」
「っ!」
のポニーテールが引っ張られ無理矢理顔を挙げさせられる。
それと同時には「サキチィ逃げろ!!」と叫び、藤崎はその声に弾かれるようにもときた道を駆け出した。
「おい!チビが逃げるぞ!」
「ほっとけ!どうせ何もできねぇよ」
男たちはと黛の方を見てニヤニヤと笑った。
「オレらの言いてーこと、わかるよな?」
「……さっさとすれば?」
今日桜木軍団は学校に来ていた。
桜木もいないのに律儀なことだと笑ったら、オレらもアイツいねーとヒマなんだよ、と少しだけ彼らは寂しく笑った。
学校からここまではそう遠くない。
藤崎ならきっと、呼んできてくれる。
「オラ、手後ろに回せ」
男にそう言われて、は大人しく従う。
右手と左手の親指を、プラスチックの紐のようなもので固く結ばれる。
結束バンドというやつだ。
「さっさと乗れっ」
「が、ぁっ」
そんなに抵抗していないのに、は蹴飛ばされるように車内に放り込まれた。
狭い後部座席には既に男がひとり乗り込んでおり、またしてもに「久しぶりだな」とバカにした笑みを浮かべてきた。
運転席の男は知らない男だったが、こいつらが今回の首謀者だということはわかった。
「あの時大人しくオレらと遊んでくれりゃあオトモダチを巻き込まずに済んだのによぉ」
そう言って男は無遠慮にの体に触ってきた。
反吐が出る。
は目をつぶってじっと耐えた。
外では黛がと同じように拘束されている。
だが、その扱いはより幾分か丁寧に見えた。
「やべ、あれ黛さんじゃん」
運転席の男が、タバコをふかしながら呟いた。
「マジ?黛さんに手ぇ出したらタッくんに叱られるぞ……」
後部座席の男も、幾分か緊張した声でつぶやいた。
は、少しだけ安堵する。
タッくんが何者かは知らないが、とりあえずこいつらが黛を無体に扱うことはなさそうだった。
車のドアが開けられ、黛も乗ってくる。
「ようこそ黛さん。狭い車内ですがごゆっくり」
両手に花だな、と運転席の男はからかった。
「テメーら、ソイツになんかしたら承知しねーぞ」
黛が隣の男に凄んで見せる。
だが、
「あー残念だなぁ。せっかく金髪の娘とカーセックスでもシャレ込もうと思ったのに」
男はおどけて笑ってみせるだけだった。
助手席に、最初に声をかけてきた男が乗り込む。
「定員オーバーだな」と、バックミラー越しにたちをあざ笑った。
「そういえばこの子名前なんて言うんだ?」
後部座席の男が助手席の男に尋ねる。
助手席の男は、回収したと黛のバッグを荒らす。
生徒手帳を見つけ、「へー、ちゃん。いー名前じゃん」と下卑た笑みを浮かべた。
「やっぱ名前もしらねーでレイプすんのと知ってからレイプすんのじゃぜんぜん違うよな」
ハハハハ、と何が面白いのか、車内が男たちの笑い声に包まれる。
「よし、そろそろ行くぞ」
運転席の男がそう言いながら車を発進させると、周りを取り囲むように数台のバイクが並走した。
隙を見て逃げ出すという考えは捨てたほうが良さそうだった。
(クソ……)
藤崎が戻ってきても、これでは何の手がかりも残せそうにない。
の思考が恐怖でまとまらない内に、フィアットパンダは道路を暴走し始めた。