どんな時でも、母はを迎えに来ることはなかった。
母がを迎えに来てくれたのは、後にも先にも、あの日だけだった。
74.alternative
たちが連れて行かれたのは、何かの工場の跡地のような所だった。
不良たちがもともと溜まり場として使っているような所なのだろう。
黛と離れ離れにされたが連れ込まれたのは、簡素なソファがあるだけのだだっ広い部屋だった。
その部屋には既に何人もの男たちが居り、を見るや否や下衆っぽく色めきだった。
「まあ座れよ」
「っ!」
ドン、と突き飛ばされるようにはソファに座らされた。
結束バンドの拘束は未だ解いてもらえず、俯いて顔を見せないようにすることだけが今のに出来る精一杯の抵抗だった。
「さっさとヤッちまおうぜ。お前らがずっと狙ってたオンナなんだろ?」
「そう焦んなって。先にタッくんがヤりてぇって言うからよ」
には不良の力関係はよくわからないが、こいつらにとってはタッくんとやらが絶対らしい。
とりあえず、そいつが来るまでは達に手出しは厳禁、ということらしかった。
「マジぃ?どうせタッくん黛さんに夢中でこのオンナのこと忘れてるって」
軽薄そうな笑みを浮かべた男がに近づき、頭を掴んで無理やり顔を上げさせた。
「ふーん、カオはまあまあだな。なあ、お前バスケしてんだってな。オレ背ぇ高い娘好きなんだけど、紹介してくんねぇ?」
品定めするようにジロジロ見てくる男をは睨みつけた。
それが気に障ったらしく、男はニヤついた笑みを一瞬で消しての右頬を叩いた。
「おい、オマエ立場わかってんのか」
叩かれた頬がジンジンとした熱を帯びていく。
だが、は男を睨みつけるのをやめない。
舐められていると感じたらしい男は、ポケットからナイフを取り出しの目の前につきだした。
「カオに傷つけてやってもいいんだぜ?わかってんのか!?ああ!?」
「お、おい、馬鹿、やめろって……」
仲間内でもキレやすいタイプだと認識されている男なのだろう。
不良たちの間にもにわかに緊張が走る。
まだ早い、と言いたげだった。
暴力には手順がある。
のようなタイプの女には、一方的に喚くだけでは効果的に恐怖を与えられない。
「チッ」
男は舌打ちをしてナイフをしまった。
も少しだけ緊張をゆるめた。
まだ、男たちの間には、に本格的に暴行を加えようという空気は感じない。
その「タッくん」とやらが来るのが先か、桜木軍団がここを見つけ出してくれるのが先か。
随分分の悪い賭けだとは思った。
どれくらい、時間が経っただろうか。
マズイ空気になってきたことを、は肌で感じていた。
いつまで待っても、タッくんらしき人物が現れないのだ。
不良たちの中にも、そのことを訝しむものが現れてきた。
「なぁ、タッくん遅くねー?」
「そうだよな……。どこ行ってんだろ……」
そういう男たちの声色に、自分たちのボスを心配するようなニュアンスは含まれていない。
どうやら、このタッくん。あまり慕われているような存在ではないらしい。
「来ねーならオレらで好きにやっちまおうか」という空気が不良の間でにじみ出てきている。
誰かが一言、そんなこと言おうものなら、は防波堤が決壊したように瞬く間に暴力に襲われるだろう。
は、背筋がゾクリと寒くなるのを感じた。
「お?」
(しまった……!)
男のひとりが、の恐怖心を見抜いたようだった。
ニヤニヤとタバコをふかしながらそいつは近づいてくる。
その男を止めるものは、もういなかった。
「ちゃん震えてる?コワイんだあ?かわいいね~」
怯えているを囃し立てるように男たちは笑い出す。
タバコを咥えた男がの隣にどっかりと座る。
そして、思いっきりタバコの煙をに向かって吐き出した。
「けほっ、コホ」
「ははは、むせてるよ。派手なアタマしてるからケッコー遊んでる娘かと思ったんだけど、意外とマジメ?」
気がついたら、今まで一定の距離を保ってを見張っていたはずの男たちは、随分近くでを取り囲んでいる。
「なあ、タバコ吸ったことある?」
「……ねーよ」
は絞りだすように低く声を出したつもりだったが、その声は思ったより震えていた。
「そーなんだ?じゃあ吸ってみよーぜ。デビューしなよ、デビュー」
複数の男たちの笑い声がに浴びせかけられる。
は今度は、恐怖で顔を上げることが出来なかった。
だが、
「オラ。口開け」
「っぅ」
ポニーテールを無理矢理下に引っ張られ、顔を上げさせられる。
一人の男が近づき、の顔を叩く。
「さっさと開けよ、聞こえてんだろ」
不良たちによってタバコとライターが用意される。
それでもが歯を食いしばって抵抗しようとすると、目の前にライターの火をちらつかされた。
「おいおい、服燃やされてーか?」
「!」
男はそう言っての制服のスカートの端にライターの火を近づける。
「……わかったよ」
「最初っから大人しく言うこと聞きゃいーんだよ」
が口を開いた隙に、男がタバコを1本咥え込ませてきた。
「ほら、息吸ってろよちゃんと、火ぃ点かねーからよ」
そして、のタバコの先端にライターで火をつけた。
初めて吸ったタバコの煙にはくらくらするのを感じた。
「アハハ!ちゃんタバコデビューできてよかったなぁ!」
あまり知識がないので分からないが、こいつらが吸ってるようなモノだ。
間違いなく初心者向きではないだろう。
「げっほ」
煙の吸い方も吐き出し方もわからず、は咽てしまい、タバコが口からポロッと落ちた。
「……熱っ」
「あーあ落としちゃった、勿体ねぇ」
熱さで反射的には足をばたつかせてタバコを地面に落とした。
火のついたタバコが、の制服のスカートを焦がしたのがわかった。
「おいおい、しっかりしろよ~」
「じゃあちゃんと吸えるまで練習な、ちゃん」
男たちはゲーム感覚でにタバコを吸わせる。
なんて悪趣味な奴らだろう、とは色を失った。
黛はどうなっているだろうか。
自分より酷い目に遭ってないことを祈って、は必死にタバコの煙を吸った。
が少しだけ煙にも慣れてきた頃、不良たちもこの行為に飽きを感じてきたようだった。
「なー、もうよくね?」
男の誰かがをジロジロ見ながら言う。
この「よくね?」はもちろんのことではなく、「タッくんどうでもよくね?」の「よくね?」である。
既に蔓延していた空気が、その一言で凝固したように感じた。
ニタニタと、タバコを吸わせてきた男がからタバコを奪い放り投げる。
そして、動けないを無理矢理抱きかかえ、自分の足の間に座らせた。
「っ!」
制服のブラウスの上から、乱暴に胸を揉まれる。
「おいおい~、ちゃん全然おっぱいないじゃん~。こんなんでカレシ満足すんの~?」
ははは、と不良たちはの羞恥を高めるように笑った。
「ちゃんのカレシ超ランボーだもんな。いてぇのなんのって」
「やっぱ夜の方もランボーなの?あのカレシくん。ムッツリそうだもんな~」
知るかそんなもん。
は悔しさが込み上げてくる。
何でこんな男たちに流川のことまでバカにされなくてはならないのか。
怒りで目頭が熱くなった。
「なあ、ちゃん初体験いつ?まさかハジメテってことはねーよなぁ?」
を後ろから抱きかかえている男が、ブラウスのボタンを一つ一つ、プチプチと外していく。
「おお~!」と男たちが期待感を高めるようにその光景を見ていた。
は、ただ目を瞑り唇をぐっと噛み締め、耐えるより他にはなかった。
だが、
――ざくり。
布が引き裂かれるような音がした。
が目を見開くと、最初ににビンタした男が、のスカートを裂いていた。
「ひ、ぁ」。は恐怖から声も出せなくなる。
「なあ、こっちもいいだろ?」
ナイフを持ったその男の一言に、男たちは更に興奮を高めたようだった。
肌蹴させられたブラジャーとキャミソールを引きずり下ろされ、のブラジャーが露出する。
そしてを抱きかかえている男は、の顔に舌を這わせ、「ちゃん楽しもーぜ」と声をかけてきた。
そしてブラジャーのホックが外され、胸が曝け出させられる。
それとほとんど同時に、ズタボロにされたスカートが引きずり降ろされた。
――イヤッ!
の恐怖が限界まで達した。
体を必死に振り、のパンツを脱がそうとしてくる男を蹴飛ばす。
「イッテ!おい、なにす……」
――じゃきり。
男のひとりが、に怒鳴り終わる前に。
ナイフを持った男が、の髪の毛を一房切り落とした。
ずっと、自覚はあった。
それは、数日前から自分が見知らぬ車に付け回されているということだけではなく。
自分はいつか、すごくしょうもないことで死んでしまうだろうと言う自覚である。
しょうがない。だって、しょうもない生き方してるのアタシだし。
インガオーホーというやつだ。
適当に生きてりゃ、適当に死ぬよ。
には、いつからかそういう自覚が芽生えていた。
「俺だって好きでこんなふうになったわけじゃない」。
父親の口癖だった。
はその言葉が大嫌いだったが、いつの間にかもそれを口にするようになってしまった。
男のひとりが、にのしかかる。
――ママ!助けて!ママ!!
こういう時、はいつも母に助けを求める。
しかし、母親がを助けに来たことなど一度もない。
中学の時、は髪を金色に染めた。
そのまま学校に行き、教師にしこたま怒られて、生徒指導室で保護者の迎えを待つように言われた。
その時も、母はを迎えには来なかった。
そう、どんな時でも、母はを迎えに来ることはなかった。
母がを迎えに来てくれたのは、後にも先にも、あの日だけだった。
照りつける太陽の中、朝が昼になり、昼が夜になり、夜が雨になった。
はシュートを打ち続けた。
それでも、母がを迎えに来てくれたのは、あの日だけだったから。
だからは……今も、ずっと。
あの日のように、シュート練習をして母の迎えを待ち続けている。
わかってる。母は迎えになどこない。
それでも、は母に助けを求めずにはいられなかった。
「おい!ちゃんと押さえつけてろ!」
興奮した男の声を、はどこか他人事のように聞いていた。
でも、体は今も必死に、生きようともがいている。
こんなところで死にたくないと、もがいている。
「おとなしく、しろっ!」
男がの顔を拳で殴る。
口の中が切れたのか、血の味がした。
ああ、こんなことになるなら。
こんなことになるなら、流川にちゃんと、謝っておけばよかった。
なんで怒ってんの?とか意地張ってないで。
の頬に、今まで流さなかった涙が伝った。
(ごめんね、流川。アタシ、結局何も変わってなかったみたい)
これはツケなんだ。
今まで人に迷惑ばっかりかけて、適当に生きてきた人生の。
もっと、マシな人間になりたかった。
みんなから、流川から、信用されるだけの。
の両足を男たちが抑えつける。
ああ、もうダメだ。
が思った。その時だった。
――バァン!
今まで開くことのなかった扉が、突然蹴破られるように開いた。
がその扉から差し込まれた光の方に反射的に向くと、そこには……。
「!!」
(る、かわ……。なんで……ここに?)
の目から、大粒の涙が零れた。
アンタにだけはこんな所見られたくなかった。
しっかりしたかった。
迷惑、かけたくなかったのに。
「どけ!」
それでも、来てくれたのだ。
のために。
彼はいつも、母の代わりにを迎えに来てくれる。
扉を開いて最初に飛び込んできた光景は、男たちに取り押さえられているの姿だった。
は服をほとんど着ておらず、制服のブラウスが腰のあたりに巻き付いてるのみだった。
「!!」
に向かって走り出すと共に、立ち向かってくる男を数人なぎ倒した。
泣いてる。アイツ、また泣いてる。
あの、全てを諦めきった顔で、は泣いていた。
(くそ!簡単に諦めんな!)
「どけ!」
流川は男たちに怒鳴った。
くそ、その女を離せ。
それはお前らが簡単に触っていいような女じゃない。
特別なんだ、そいつは。
特別なバスケの才能を持った女なんだ。
初めてのバスケを見た時、胸が高鳴った。
それを今でも覚えている。
アイツはオレに、自分の価値を理解していないと言った。
でも自分の価値を理解してないは、テメーの方だ。。
こんなどうでもいいような奴らに、簡単に自分を投げ出したりすんな。
ああ、畜生。
こんなことになるなら、のそばを離れるんじゃなかった。
流川は、生まれて初めて自分がバスケを優先したことを後悔した。
の周りにいる男を、引き剥がすように殴りつける。
1人、2人と倒れていく。
に跨っていた男を引きずり下ろして、馬乗りになる。
流川はひたすら、怒りに任せて不良を殴り続けた。
を返せ。
アレはオレが最初に見つけたんだ。
だからオレのモノなんだ。
くたばれ。
二度との前に姿を現すな。
全員、ぶっ殺してやる。
流川は怒りを暴力に変換して振るい続ける。
男の鼻がひしゃげる。
骨が折れたかもしれない。
それでも、一発、二発と。流川は男の顔に叩き込んだ。
小さい頃、気に入っていたおもちゃを兄貴に取られて、取っ組み合いの喧嘩になったことがある。
それと今と、何が違うんだろうか。
激情に身を任せ不良を殴りつける中、流川のアタマのヤケに冷静なところは、そんなことを考えていた。
そんな流川を現実に引き戻したのは、
「おい流川!もういいだろ!よせ!!」
と、必死に流川の腕を掴み取る水戸洋平の声だった。
気がついたら、流川がのしかかっていた男は失神し、口から泡を吹いていた。
他にも男が数人倒れて、意識のある者も「ひ、ひぃ!」と、流川と目があっただけで悲鳴を上げた。
「ま、マジで殺すところだったぜ…」
大楠が、ゴクリと息を呑んだ。
高宮も流川の行為に青ざめていた。
(、はどうなった!?)
ようやく幾ばくか冷静さを取り戻し、流川はを探そうと部屋を見渡す。
は、少しだけ簡単に衣服を羽織り、黛繭華にすがりついて泣いていた。
(、泣くな。……泣くんじゃねぇ)
流川はの方に歩み寄ろうとする。
その時、何を勘違いしたのか、と黛の比較的近くにいた男が「く、来んなぁ!」と流川を見て怯えた。
こんなゴミクズみたいな男が、に触ったのか。
流川の頭を再び怒りが支配する。
間の悪いことに、男は2人のいる方向に這いずってしまった。
それを視界で捉えた流川は、二度、三度と男を蹴った。
こんな、ひとりじゃなんにもできないようなロクデナシヤローが、のことを面白半分で弄んだのだ、と。
許せるわけがなかった。
だが、
「もう、もうやめてよ流川ぁっ!」
はそう叫んでしゃくりあげた。
黛がを抱きしめ、鋭く流川を睨む。
ああ、そういえば、兄貴から取り戻したオモチャ、オレはあの後すぐに壊してしまったんだ。
流川はなぜか、どうでもいいような昔のことを思い出した。