「あ」
「あ!」

と藤崎が同時に声を上げた。



77.私のでっかい花




 朝。はいつもより少しだけ早く目を覚ました。
目覚まし時計を止め、カーテンを開けて伸びをする。
部屋の全身鏡に映った自分を見る。
イテテ、と言いながら、頬のガーゼを外した。
腫れは大分引いたが、青くなっている。
今日もガーゼを付けなければならないだろう。
寝ぐせのついた髪は、まさに「染めました!」と主張するような黒さだった。

(う~ん。ケッコー地味だよな~)

それを狙っての事だったといえばそうなのだが。
前髪を弄る。
眉より上に切ったほうが、エキゾチックでカワイイか?
はすきバサミを取り、前髪を切る。
ヨシ、これで行こう。

(また流川に『誰だオメー』って聞かれたらどうしよ)

あれ、結構凹むんだよなー、と思いながらは洗面所に向かった。



「おはよー」
「おー」

ご飯の準備をしていたら、流川がリビングに降りてきた。
は流川のお母さんが用意してくれたメモを見る。
味噌汁よし、ご飯よし、焼き鮭よし、大根と人参の煮物よし、生野菜サラダよし、オクラ納豆よし、唐揚げよし、牛乳よし、だ。
あとは、「炭水化物は2種類用意してね」とのことなので、はピザトーストを焼いた。

「それにピザトーストなのか」
「ん?そーだけど。いいから顔洗ってきなよ」

どこか不満気な流川を意に介さず、は流川を洗面所に追いやった。
いやあ、我ながら朝食の準備頑張った。
あ、お弁当にも詰めなきゃ、とはそそくさと弁当の準備をする。



顔を洗った流川がリビングに戻ってくる。
キッチンに居るに向かって、流川は言った。

「なんかあったら、すぐ言えよ。どんなことでも」
「ん、そう?じゃとりあえずこれ運んでよ」
「……おう」

流川がなんだか神妙な面持ちでそう言ってくるので、もなんとなく神妙な面持ちでお盆を渡した。



 体育館には、既に宮城と三井の両名がいた。
国体の選手に選ばれて張り切っているのだろう。
は体育館をちら見した後、更衣室に向かった。
は今日、学校指定のジャージを着てきた。
昨日の件で制服が着れない状態になってしまったからだ。
一応長期休み中、運動部はジャージで来ていいことになっているのだが、そのジャージというのがまあ恐ろしくダサいので、は早く採寸しに行こうと思った。
着替えている途中、赤木晴子が入ってきた。
集合時間にはまだ早いのに、感心なことである。

「……、ちゃん?」
「……おはよー……」

そして、当然のことながらを見て驚いた表情を浮かべた。

「ど、どう、したの?その顔も、髪も……」

晴子が今にも泣き出しそうな顔での顔を覗きこむ。
この子に心配をかけるのは嫌だな、とは思うのだが、自分はいつもどうしてもうまくいかない。

「あの、昨日、自転車で転んだの。……そんだけ」
「ま、待って、ちゃん……!」

はそれだけ言って、早々に更衣室から立ち去ってしまった。



 まあ、体育館に行ったら行ったで、

!?オマエどうしたんだよその頭と顔……」
「……なんつーかよ、大胆なイメチェンだな……」

宮城と三井両名にびっくりされてしまったのだが。

「昨日自転車でコケちゃったんすよ。頭は……なんとなく?」
「そ、そうなのか?」
「なら、いいんだけどよ……」

2人は少々訝しむような目でを見たが、はそんな2人を無視するようにモップがけを始めた。



結局、はこの日、会う人会う人に「自転車でコケたの」と言い訳して回った。
言い訳を繰り返している内に、制服のスカートはその際に破けたのだという設定も加わった。
「どんな派手なコケ方したんだよ」、と、ロードワーク中に三井に言われて、は「そりゃもうアクロバティックだったんすよ」と言って笑った。



「ま、でもよ」
「ん?」

走り込みが終わって休憩中、三井と一緒には日陰でクールダウンをしていた。

「オレは……なんだ、その。いい、と思うぜ。その髪はよ」

三井が、あまりこちらを見ずに言った。
照れてるらしかった。
まあ、硬派を気取っている三井が女の髪型を褒めるなんて、なかなか難易度の高いコトだったんだろう。

「えっ!?マジっすか?良かった~」

は、三井に言われてほっと胸を撫で下ろした。

「いや~、実はさ、自分でも結構思い切ったことしたなーって、思ってて、さ。……今日、学校来るの、ちょっと、……キンチョー、してたん、だよ、ね……」
「……?」

照れててこちらを見ていなかった三井が、突然振り返った。
驚いたような顔をしている。
どうしたんだろうか、自分の顔に何かついてるのだろうか。
は、少しだけ鼻声になっている自分に気づかないふりをして続けた。

「だからさ、オトコのヒトに、褒められて、……ちょっと、安心、し、た……」

ああダメだ。
結局、昨日あれだけ泣いたのにもかかわらず、の目から涙がこぼれ落ちた。

「おい、どうした!?……誰かに、やられたんだな?その顔も……」

三井が血相を変えて尋ねてくる。
は「違う」と言って首を振った。

「違うって、お前……」

三井は、顔を覆って静かに泣くの様子に、言葉を失ったようである。

「……ムリヤリ、切られたのか。……ヒデーことするな。言ってみろ。懲らしめてやる」

そういう三井には、あまり殺気立ったものを感じない。
きっと、を慰める目的で言ってるだけにすぎないのだ。
彼は、流川より少しだけオトナだ。
相手を殴ったって、取り戻せるものはない。それを分かっている。
もちろん、犯人を告げたら告げたで彼は報復行動に出るのかもしれないが、その犯人達は昨日流川と桜木軍団によって再起不能にされた。

「……『懲らしめる』ったって……。三井センパイ、ケンカ、よえーじゃん……」
「今それ言うか?フツー……」

が少しだけ冗談ぽく返すと、三井は呆れたように返した。
「オレにだって方法はあんだよ。宮城連れてくとか、鉄男呼ぶとかよぉ……」とぶつくさ言っている。

「……本当に、本当に大丈夫なんだな?」

三井が、念押しするように確認してくる。
「……ウス」とが小さく言うと、三井はポン、との頭に手をおいた。

「でもよ、なんかあったらすぐ……」
ちゃん……!」

その時、三井の言葉を遮って、はっと息を呑むような声が聞こえた。
声の方向を振り向くと、洗濯をしに外の水道まで来たのだろう。
ユニフォームの入ったカゴを抱えた赤木晴子が、こちらを見ていた。
彼女はカゴをその場に置き、靴も履き替えずと三井の元に駆け寄ってくる。

「どうしたのちゃん!……やっぱり、そのケガ……!」

朝中断した話の続きをするように、晴子は慌てて言った。
なんてタイミングの悪い。
うまくいかない。ぜんぜんうまくいかない。
人に心配されないことって、どうしてこんなに難しいんだろう。
は泣き出したい気分だった。
いや、現に泣いてはいるのだが、それとは別の事情で泣き出したかった。
の肩を掴んで晴子は「……なにがあったの?」と恐る恐る尋ねてきた。
晴子は一瞬三井にも目をやるが、三井はどうしたものかと戸惑っている様子だった。

「誰がこんなこと……」

晴子がそっとのガーゼに触れる。
「誰が」とは言っているが、晴子は犯人に一種の確信を持っているであろう。
にはわかっていた。
中学の時、似たようなことが何度かあったからだ。
はその度にただ適当に誤魔化すしか無くて、こんなふうに心配してくれる晴子が煩わしいとすら思っていて……。

――最っ低!!!

あの事件に繋がってしまったのだ。

「ごめん、赤木さん……。本当に、大丈夫だから」

は、自分の肩を掴んでいる晴子の腕をはがすように掴む。

「そんな……」

あくまでも「大丈夫」と言い張るに、晴子は三井に視線を配った。
「三井さんも、おかしいと思うでしょう?」と言う風に。
は、「赤木さん」と言って晴子の手を握るように掴んだ。
そして、頑張って、視線をそらさずまっすぐ晴子を見据えた。

「……『自転車で転んだの』……って言ったら、信じて、くれる?」

晴子も、まっすぐを見つめ返した。
しん……と、静寂が訪れる。
どうしようもない自分だけど、この怪我だって身から出た錆だけど、は、晴子に信用して欲しかった。
その思いが、伝わったのか。
晴子は、一瞬だけ悲しそうに目を伏せて、

「……わかったわ。ちゃんが言うのなら、信じるわ」

と言って、に微笑みかけた。
「……ありがとう」。はそう言って、晴子に抱きついた。

「ごめんね……、いつも、いつも……!でも、お願い、あともう少しだけ、待っててほしいの……!もうちょっと、アタシが、マトモな奴に、なれるまでさっ……」

晴子に見られないように、は再び泣いた。



「……、大丈夫なのか?」

を体育館に見送った後、三井はこの場から離れず晴子に尋ねた。
晴子は、唇をきつく結び、「わからない」という風に首を振った。
三井は眉をひそめる。

「でも、ちゃんが、信じて欲しいって、言うのなら……」

赤木晴子は、待つ、という選択をしたのだ。
三井にはこれ以上口出しは出来なかった。



 部活が終わり、女子更衣室では、夏期講習でいない朝倉以外の女子部が着替えていた。

「ったく、早く言えよなそーゆーことはよー」
「ごめんって」
「僕は怒ってないよ。なんとなく、そうじゃないかと思ってたから」

は、昨日中途半端な説明で終わってしまった、「なぜ自分が流川の家にいるのか」という事情を掻い摘んで説明した。
とりあえず、機嫌を損ねてしまった繭華おジョーサマのご機嫌取りに追われる。
ふたりとも、なぜが家出しなければならなくなったのか、という部分は深入りしてこなかった。
はそれを申し訳なくも思い、ありがたくも思い、とりあえずふたりの好意に甘えてそこを語ることはなかった。

「このこと、赤木さんには話してんの?」
「うっ……話してないっす」
「わーお」

藤崎があまり驚いていない口調で感嘆の声を上げた。

「あ~らら。ただでさえ同級生の男女が同じ家に住んでるってだけでセンコーに大目玉喰らいそうな話なのによぉ」
「……僕、昼ドラ興味ないけど、この三角関係は気になる」
「……チクショー他人事だと思いやがって……。大体流川とアタシそんなんじゃねーし」

「じゃあなんなんだよ」、と黛に問われ、はて、自分と流川は何なんだろうか、とは首を傾げた。
そして、「ああ、あれだ!姉貴みたいなもんだよ、アタシ」と言った。

「ふ~ん、まあ、いいけど。……でもさ、やっぱ、流川んちじゃ色々あれでしょ?私の家、広いから」

黛が、鏡を見て丁寧に髪を梳かしながら、言った。

「別に、あんたひとりくらい増えても、どってことないわよ」

はその一言に、心臓が飛び跳ねた。

(そっか……別に、流川んちじゃなくても……いいといえば、いいのか)

考えたこともなかったが、確かに、的には三食昼寝付きで住まわせてくれる所があればいいわけで。
現状は、流川家がたまたまそんなを受け入れてくれたに過ぎない。
経済的にも黛家のほうが間違いなく豊かだし、仮にの家出が学校にバレたって、女子の家に世話になってると言ったほうがまだ心証はいいだろう。
でもは、

「マジで?う~ん、ちょっと、相談してみるね。あの、ほら、今流川んちの人帰省しててさ……」

なぜか、答えを出すことを引き伸ばした。
がどこの家に住むかなんて、本当は、誰に相談しなくても決められることだったのに。



「じゃ出発しまーす」
「おおー!」

無駄に大所帯になった。
今日は帰りに、昨日できなかった写真の現像をするつもりだったのだ。
そのことを流川に告げたら「オレも行く」と言って聞かなかった。
まあ昨日の今日だし仕方ない、と思って、流川には自転車を引いてついてきてもらっている。
そして、昨日と同じ黛と藤崎。それに桜木軍団もついてきた。
計8人がゾロゾロと歩き、はやっぱりジャージ姿の自分が嫌になった。

「いらっしゃいませ~」

インスタントカメラまるごとの現像だったため、時間は大分かかるらしい。
とりあえず8人は時間まで近くの公園へ移動した。

「ホント朝ちゃん見た時驚いたよな~」
「おう、でも似合ってるぜ」
「マジで?うれしー」

桜木軍団が気を遣ってくれているのだろうか、の髪を努めて明るくほめてくれた。
「花道が突然ボーズにした時は笑いもんだったけどな!」と大楠が思い出し笑いをする。

「桜木……今どうしてんのかなぁ……」

赤木晴子の話では、リハビリを頑張っているとのことだ。
早く、戻ってくればいいのに。
は思った。
今日、安西の口から正式に国体のメンバーの発表があった。
湘北からは、三井、宮城、流川の3名が選ばれた。
もし桜木が万全だったら、選ばれてたんだろうか。

(……そりゃないか)

いくら桜木の成長速度がすごくても、彼はバスケを初めて3ヶ月の素人だ。
神奈川の選抜メンバーを見る限り、万全でも桜木の入る余地はなさそうだった。
気がつけば桜木軍団は藤崎をブランコに乗せ、「誰が一番藤崎の乗ったブランコの勢いをつけることができるか」で競争をしていた。
また藤崎怒るぞ、と思ったが、先日の1件で藤崎もそこそこ桜木軍団に心を開いたらしく、表情だけだとわかりづらいが楽しそうに背中を押されている。
がベンチでその様子を眺めていると、隣りに座っている流川が眠りこけているのに気がついた。

「あ、そだ、流川ー」

起きて起きて、と流川の頬をペチペチとひっぱたく。

「明日クラスでカラオケだよー」
「…………おー…………」

聞いてねぇなこりゃ。
流川は再び眠った。
しばらくして、藤崎ブランコ大会の優勝者が野間に決まる。

「じゃ、そろそろ行こっか」

適当に時間を潰せたので、達は再び写真屋に向かった。



「うわ……」
「なにこれ……」

現像した写真を確認中、女子達は驚いた。
3年生の集合写真の中に、1枚、赤木剛憲の超ドアップが写っていたからだ。
ものすごい迫力満点のゴリラである。

「誰だこれ撮ったの……。ズーム設定間違えたのかな?」
「アサヒだよ、絶対」
「やっぱ撮るの代わっといて正解だったわ……」

黛が溜息をつく。
朝倉は、なぜ本人がいないところでもおっちょこちょいパワーを炸裂させることができるのだろうか。
勉強中だろう朝倉を思って、は不思議がった。

「これ、どうする?赤木さんに渡しとく?」
「いや……貰っても困るだろこんなん……。自分の兄貴の超ドアップ写真なんて」
「なんか、魔除けになりそう」
「かといって捨てる訳にはいかないだろ……」

が写真の処遇に困った、その時だった。

「あ」
「あ!」

と藤崎が同時に声を上げた。



「ごめんね、流川。また学校戻ってもらっちゃって」
「……別に」

本当は、現像した写真はすべて一旦家に持ち帰るつもりだったのだが。
写真屋の前で皆と別れたあと、は流川に頼んで再び学校に舞い戻った。

「すぐ終わるから」
「おー」

そう言って、は更衣室の鍵を再び借りて、入った。
そして、赤木剛憲の超ドアップ写真を、壁に、貼った。
その瞬間、しゅわ~というか、じゅわ~みたいな音を立てて壁のシミがみるみる消えていった。

『もう思い残すことはないわ……』

みたいな女の声が聞こえたような気がしたが、は無視をした。

(じょ、除霊成功……か?)

恐山のお守りを持ってしても消えなかった部室の霊が、赤木剛憲のドアップ写真で成仏したのだった。

(と、とりあえず、写真、飾っておくか)

は部室から適当に写真立てを見つけ出し、赤木剛憲の写真をはめた。
そして、自分のロッカーの上に、置いた。
なんかもう、ず~んとした表情でこちらを見ている赤木はなんとも言えないくらいシュールな感じを醸し出している。
とりあえずありがたいような気がしたのでその写真に手を合わせて、は再び更衣室を後にした。

この写真が、後々くだらない騒動を引き起こすことになることを、はまだ知る由もない。