ねえ、流川。
はっきり言えって言うけどさ。
多分はっきりアタシの気持ち言っちゃったら、アタシ達キリないと思うんだ。
78.I wanna be kind.
家に帰って、の用意した飯を食って、風呂に入った。
最近は熱帯夜が続く。
我が家にはエアコンはリビングにしかない。
その為と一緒に、風呂から上がったあともいつまでもリビングでグダグダしていた。
まあいい、明日は部活が休みだ、と思い、流川はミネラルウォーターを飲んだ。
――トゥルルル。
「ん?流川、電話」
「……おお、出る」
8時過ぎ、電話がかかってきた。
大方親父かおふくろだろう、と流川は当たりをつけて電話に出た。
しかし、電話は意外な人物からだった。
『もしもし?流川さんのお宅ですか?同じクラスの者なんですが、楓くんいますかね』
「……オレだ」
『うお、マジ?お前家の電話出るんだなー……』
クラスの、誰だ?男子だった。
名前を名乗られたが(聞いたことねー)と思った。
いや、多分存在はしてるんだろう。向こうは流川が自分を知っていること前提で話をすすめた。
あとでに確認するか、と思いながら流川はとりあえず用件を聞く。
『夏休みの前にクラスでカラオケしよーぜって話になったじゃん?あれの最終確認したかったんだ。ちゃんか石井から聞いてるだろ?』
「……聞いてねー」
『まじかよー。ちゃんテキトーだなぁ』
そういえば、そんな話も出てたっけか。
流川は必死に記憶を掘り起こした。
ああ、今日、公園でなんか言われたような気がする……。
『とりあえず、明日藤沢駅前に1時に集合だから!よろしくな』
「……明日なのか」
『そーだよ。ちゃんが言い出したんだぜ?『バスケ部休み少ねーからこの日にお願い!』って』
特に予定がなかったからまあいいが、明日なのか。
流川はちょっとびっくりした。
とりあえずあまり気は進まないが承諾し、流川は電話を切った。
そして、に一言文句を言ってやろうと振り向くと、はどこか上の空で日課のストレッチをしていた。
何か考え事でもしてるのだろうか、と尋ねる前に、
「あ……。誰だったの?おかーさん?」
が電話が終わったことに気がついたらしかった。
「おい、明日クラスのカラオケらしいぞ」
「あ、そうだった!そーなんだよ。バスケ部の夏休みの日程決まったらすぐにガッコの電話から幹事の子に連絡したんだよね~」
が思い出したように言った。
多分、さっきの電話のやつが幹事なのだろう。
カラオケなんて行ったことがない流川は、正直行きたくない。
だがそのことをに伝えると、は「ダメだよ、アンタ連れて来いって女子に頼まれてんだから」と言った。
「……そういや、さっき何考えてたんだ」
「え?いや、別に?大したことないよ」
大したことないと言う割には、は結構真剣な顔をしていた気がする。
流川がそれを問う前に、は「そろそろ寝るね」と部屋に戻ってしまった。
翌朝。
と朝食を食っていると、が「ねーねー」と話しかけてきた。
「なんだ」
「んーと、さ。制服の採寸に行かなくちゃなんないんだけどさ、カラオケの前に付き合ってくれる?」
珍しい、と流川は思った。
がどこかに出掛ける時、自分を連れだそうとすることなんて無かった。
やはりまだ、ひとりで出掛けるのは怖いのかもしれない。
そう思った流川は、「おお」とだけ返した。
から目を離したくない身としては、好都合だったからだ。
は「あんがと」と言って、4分の1にカットされたオレンジにかぶりついた。
「やっべ、身長伸びてる!」
自分を採寸してくれている女性に、はそう言って喜んでみせた。
「あらあら元気ね」と言って笑った女には、きっとがちょっと化粧が濃いだけの快活なスポーツ少女にしか見えてないだろう。
流川に黒髪のは、まだ慣れない。
「制服は一週間後に出来ます。こちらに取りに来られますか?それとも……」
「あ……、こっちに」
「配達でいいっす」
が一瞬困ったような顔をしたので、流川はすかさずカウンターの女性に告げた。
「では、こちらに住所をお書きください」
「うす」
流川はさらさらと自宅の住所を書いた。
「……変な遠慮すんな」
そう睨んでやったら、は曖昧に笑った。
やっぱり、まだコイツ元気ねーな、と流川は思った。
いつものなら、「やっべー流川んちの住所知んねー!書いてー!」とか、「流川が取りに行けよー」くらい言いそうだったのに。
集合時間になり駅についたら、例のと仲がいい男連中がいた。
「ギャハハハ!ちゃんどーしちゃったんだよそのアタマ!」
「うっせーな、色々あんだよ。シンキョーの変化だよ!」
「休み中にキンパに染めるならわかるけど、休み中に黒に戻すかフツー!」
クラスメートの男たちは、無遠慮にのことを笑った。
も一緒になって笑っている。
がそんなふうに笑って過ごしているのを見て、流川も少し安心した。
「流川くん久しぶりー!バスケ部ベスト16だったんでしょ?すごいよねー!」
「わあ!流川くんだ!ホントに来てくれたんだねー」
「ねえねえ流川くん、私のこと覚えてる?」
気がつけば、流川も女子に囲まれていた。
全員普段の制服と違い私服のため、誰が誰だかさっぱりわからない。
もっとも、制服を着ていたところで流川には見分けがつかなかっただろうが。
返事もせず適当に無視していると、「流川くんやっぱりクールだねー」と女子達は勝手に盛り上がっていた。
「よし、皆集まったからいくぞー」
幹事の掛け声とともに、20名弱集まった集団がゾロゾロと移動した。
「……石井、テメーも来てたのか」
「ああ、流川くん。うん、一応、バスケ部のお疲れさま会らしいから」
「そうか」
は女子の集団にまみれて進んでしまったので、流川は石井と特に盛り上がる話題もなく集団についていった。
どうせ自分も石井も、カラオケなんてロクに楽しめやしない。
クラスの連中が「バスケ部のお疲れ様会」という名目にかこつけて遊びたいだけだということは、よくわかっていた。
と、思いきや。
「石井くんすごーい!」
「超美声~!」
「なんだよ、やるじゃねーか石井!」
石井は、意外や意外、バラードからラップまで歌いこなし、今では完全にクラスのカラオケマスターの称号を手に入れていた。
流川はなんだか敗北気分を味わった。
別にカラオケマスター扱いされたいわけではないのだが、石井を完全にこちら側の人間だと認識していたため、裏切りにあった気分だった。
はで自分の番が来たら楽しそうにキャイキャイはしゃぎ、クラスを盛り上げていた。
「ほら、アンタもなんか歌いなよ。まだ1回も歌ってねーじゃん」
歌い終えたが、隣に座った。
「別にいい」
流川はふいっと視線を外す。
「よくねーって。いちおー主役なんだから!ほら、一曲くらいはさ、流川がいつも聞いてる曲入れたげる!」
そう言って、が勝手にカラオケ本をめくり、リモコンを操作する。
「おい勝手に……」
「はい入れたよー!みんなー流川にちゅうもーく!!」
の一言に女子が色めきだつ。
「ヤバーイ!流川くんの歌聴けるなんてー!」
「この歌何ー?洋楽だよね!」
「流川くんカッコイー!」
歌が始まる前から盛り上げられてしまって、流川は完全に逃げ場を失ってしまった。
「一曲だけだぞ……」
流川はイラッとしつつを睨みつけた。
だが、はそんなことを意に介さず笑っていた。
そして、実際歌が始まり……、
「……流川くんすごーい……」
「こ、声は、かっこいいよね!」
「ギャハハハハ!!流川やべー!オレらここでならオメーに勝てるわ!」
流川楓は、望み通り一曲で開放されることになった。
(クソ……だからイヤだったんだ)
いくらバスケ以外に関心のない流川でも、自分が苦手とするものを強制された挙句、周りから「下手だね」みたいな評価が下ればいい気はしない。
でも、
「アハハハハ。流川ヤバイじゃん!いっつもカッコつけて洋楽聞いてるくせにー!」
が楽しそうに笑ってるんだったら、それでもいいか、と思ってしまう自分がいた。
「ばいばーい!また二学期ねー!」
「ばいばいさん!流川くんもまたねー!」
カラオケが終わり、時刻は5時を回っていた。
はクラスメイトに手をブンブン振って別れを告げている。
石井は男子たちに気に入られ二次会に強制参加させられるようだった。
「じゃ、アタシらもさっさと帰……あ、」
がこちらを見ながらしゃべりかけると同時に、何かを見つけたのだろうが。
一瞬、言葉を止める。
「なんだ」
「ううん、なんでもない」
「何でもねーことねーだろ」
昨日から、こいつは何かまた隠し事をしている気がする。
流川は少しムカッとしながらが先ほど視線を止めた先を見た。
映画館だった。
流川でも知っているような、有名な映画のポスターが貼ってあった。
「見てーのか」
「……別に、いいよ。ご飯用意しなきゃいけねーし」
「……行くぞ」
「え!ちょっと流川!」
どうせ2人で過ごすのは今日で最後だ。
最終日くらい外で食ったって、おふくろは怒んねーだろ。
流川はそう思いながらチケットブースに向かった。
映画はちょうど今から始まる回があったので、それを2枚購入した。
「おい」
のところに戻りチケットを1枚渡す。
「ごめんね、……あんがと」
「別に……」
スクリーンに向かう途中、流川は言った。
「言えよ。どんなちいせーことでも、全部。……聞くだけなら聞いてやる」
もう、のどんな小さな変化も、見逃したくなかった。
映画の内容は、主人公が過去に行ったり戻ったりを繰り返す冒険映画だった。
しかもそれの最終作だったので、前作を見ていなかった流川には正直話がよくわからなかった。
でも、コイツが見たいなら。
少しは我慢してやろうと流川は思った。
その後適当な店でご飯を食べて、2人で家へと帰って行った。
家のリビングで、流川は英語のリスニングのCDを聞きながらが風呂から上がるのを待っていた。
今日も夜は寝苦しそうだ。
リビングのエアコンの涼しいカゼに当たりながら流川は英語のテキストに目を通した。
「るかわー」
スポっと、流川の耳からイヤホンを抜かれる。
集中していたので気が付かなかったが、いつの間にかは風呂から上がっていたらしい。
は「それさ、聴くだけじゃなくて発音もしなきゃ意味ないらしーよ」と、流川の持っている英語のテキストを指していった。
「発音……」
「流川今日カラオケで超オンチだったじゃん?耳ワリーのかなって思って。ちょっとこれ読んでみてよ」
そう言って、はテキストの例文を一つ指差した。
「い、『いん、あばうと』」
「発音悪!」
まだ全てを読み上げてないのに、は遮って笑った。
流石に腹がたったのでを睨みつけてやると、は「英語のセンセーゆってたじゃん!リンキングが大切だって!」と笑い続けた。
「リンキング……?」
何だそれは。と思っていると、はテキストを持って意外とマトモに解説を始めた。
こいつ、やっぱりアタマ悪くねーのか。
流川はショックをうける。
悔しくなったので、「じゃあテメーが言ってみろ」とけしかけると、は「じゃ1回聞かせて」と言ってリスニングCDのテキスト部分を聞いたあと、全く同じように発音してみせた。
コイツは本当に耳がいい。
とてつもない敗北感に襲われたまま、流川は風呂へと向かった。
「ねえるかわ~」
「なんだ。まだ起きてたのか」
流川が風呂から上がり、もうそろそろ寝るか、と思いながらリビングに戻った時、はリビングのソファでゴロゴロしていた。
そして、妙に甘えた声で流川の名を呼んだ。
「アタシここで寝たい。ダメ?」
「……ダメだろ」
は「えー」と唇を尖らせる。
「アチーんだもん」と言って、「今日だけでいいから!」と主張した。
(ガキかこいつは)
流川は呆れる。
だが、確かに昨日も暑く、今日も同じくらい暑い夜になりそうではある。
そしてこの家でエアコンがあるのはリビングだけだから、はグダグダとここに残っていたのだろう。
涼しい場所から動こうとしないなんて、まるで猫である。
「ダメ?」とが弱った声を出すので、流川はあっさりと折れた。
そもそも、が家のことに関してわがままを言うのは非常に珍しいのだ。
(やっぱり、普段はおふくろや姉貴に遠慮してるのか、コイツでも。)
そう思って、流川は座敷の押し入れに向かった。
(客用の布団……あったよな)
布団を二組、押し入れから出してリビングに戻る。
「おい、ソファとテーブル、どかせ」
「……!サンキュー!」
布団を持ってきた流川を確認すると、は嬉しそうに家具を移動した。
「あれ?流川もここで寝んの?」
二組ある布団に注目しては言った。
「もったいねーだろ、空気」
ここで一緒に寝る理由は、本当にそれだけだった。
流川だって、できることなら涼しい場所で寝たいとは思っているのだ。
「それもそーだね」とは言って、リビングのカーペットに布団を敷いた。
「なんかさ、シューガクリョコーみたいじゃね?」
「そーだな」
さて、明日も部活だ。
さっさと電気を消そうと、流川は部屋の照明のスイッチに手を伸ばした。
「」
「ん?」
「……これくれーのことなら、すぐ言え。できるかできねーかは、あとから考える」
そう言うと、は小さな声で「ありがと……」と言った。
――バチン。
と音がして電気が消えた。
は、久しぶりの休日を満喫できたなー、と今日一日のことを振り返った。
でも、なんだか今日は一日中、流川に気を遣わせてしまった気がする。
は寝返りを打って流川のいる方に向き、「まだ起きてる?」と尋ねた。
「おー……」
半分くらい眠ってそうな返事が聞こえた。
は、昨日から悩んでて言えなかったことを、ようやく言う決心がついた。
「あのさー。実は、アタシさ。まゆまゆに、『家こないか』って、誘われてるんだけどさー……」
エアコンの機械音しか響かない暗闇では、流川楓が今の発言にどんな反応を示したのか、にはわからなかった。
「…………それで」
「ああ、うん……。それでさ」
布団の衣擦れの音が響いた。
は今じっとして動いていないので、これは流川が立てた音である。
「アタシさ……。この家、居てもいい?」
しん、と部屋が静まり返ったような気がした。
いつもは窓全開にしているので蝉の声がうるさいが、今日は窓を閉めきっているので何も聞こえない。
ただただ、エアコンの振動だけがこの部屋で響いていた。
しばらくして、
「……好きにしろ」
という返事だけが、暗闇の中で聞こえてきた。
はその返事にホッとして、「うん。好きにするね」と答えた。
「言いてーコト、それだけか?」
「あ、うん。そうだけど」
「……そうか」
また、布団の擦れる音がする。
「オレは」、と言った流川の声が割りと近かったので、多分流川はこっち側に寝返りを打ったんだなとは思った。
「テメーの考えてることが、よくわからん。だから、はっきり言え。どんなことでも」
流川は、それだけ言って、寝息を立て始めた。
は、やっぱりちょっと泣きそうになりながら、「……うん」と返事をした。
ねえ、流川。
はっきり言えって言うけどさ。
多分はっきりアタシの気持ち言っちゃったら、アタシ達キリないと思うんだ。
は暗闇の中、天井を仰ぎ見ながら思った。
今日だけでも、は流川に「コイツアタシのことわかってねーな」と思ったことがいくらでもある。
(本当は、今日の映画、キョーミ無かった)
あの時映画館の前でが本当に見ていたのは、その映画のポスターの隣に貼られていた、恋愛映画の方だったのだ。
それに、本当は。
(髪を短く切るのも、黒に染めるのも、ヤだった)
でも、自分へのけじめとしてしたことだったから、仕方がない。
それでも、流川に褒めて欲しかった。
勇気が欲しかったから。
ウソでもいいから、「似合う」くらい言って欲しかった。
(まあ、でもなー。コイツにそんなこと求めてもなー)
は隣で寝ている流川の寝息を聞きながら思った。
コイツに自分の繊細な乙女心を理解して欲しいと思っているのが間違っているのだ、と。
(でも、ま、いっか)
そんなこと、これからいくらでも言う機会がある。
はそう思って眠りについた。
翌日。
最後の朝食作りが終わった。
流川は結局最後までの献立センスに不満がありそうだったが、がそれに気がつくことはなかった。
そして、部活へ行った。
更衣室に行くと、既に赤木晴子がいた。
「おはよう、ちゃん。……あら?ちゃん、どうしてお兄ちゃんの写真飾ってるの?」
晴子が不思議そうにのロッカーの上の、赤木剛憲の超ドアップ写真を片付けようと手を伸ばす。
その瞬間、晴子の後ろの壁から成仏したはずの人型のシミがもわわ~んと浮かび上がってきて、は「な、なんでもないよ!」と慌てて自分のロッカーにしまった。
(チクショー!こいつら復活の機会を伺ってやがる!)
とりあえず部室に赤木剛憲の写真を飾っている間は平気そうだったので、はこの写真はしばらくこのままにしておこう、と思った。
の態度に、不思議そうに首を傾げながら更衣室を出て行った晴子と入れ違いで、黛が入ってきた。
「おはよ、まゆまゆ」
「ん、おはよ」
黛は大きくあくびをしてみせる。
その寝起きのちょっと油断した感じも素晴らしく美しいと、親衛隊がいたら涙を流して喜んだことだろう。
「あのさ、家の、ことなんだけど」
「おー」
「アタシ、やっぱしばらく流川んちに厄介になることにしたから、いいや。誘ってくれて嬉しかった。なんかあったらよろしくね」
がそう告げると、黛は「ん……」と返事した。
気のせいか、その姿はどこか元気が無いように見えた。
「あ、そだ、まゆまゆ。あのさ……」
は、壁のシミが一応は消えたことを受けて、黛にしか見えなかった「女子の顧問(仮)」がどうなっているのかを婉曲に尋ねた。
そうしたら、
「はあ?女子の顧問?そんなん最初からいねーだろーが」
と、なぜか正論を言われてしまった。
はやっぱり怖くなり、「ソ、ソウデスネ……」と行って更衣室を後にした。