「う~、アッチー」
男女合同のサーキットメニューが終わり、女子だけの練習も一区切りつき、女子部は一旦休憩になった。
男子はまだ練習をしているのだから恐れ入る。
鬼キャプテン宮城の圧政はまだまだ続きそうだった。
女子は女子で、朝倉が1週間ぶりに戻ってきた関係もあってまだまだ軽めの練習メニューと言える。
それに明日から……。
「あら、ちゃん」
が着替えをとりに更衣室に入ると、晴子がいた。
部室のテーピング用のテープやコールドスプレーの在庫を確認しているらしかった。
「オツカレサマー……」
がロッカーを開ける。
「明日から流川君たち、国体の練習が始まるね」
「ああ、そだね」
確か練習場所は海南大付属だったか。
国体の監督はそこの顧問らしく、国体まで週何回かはそっちで練習することになっている。
は相槌を打ちながら着替えた。
……ふと、なにか視線を感じる。
振り向くと、当然だが赤木晴子しかいなかった。
着替えながらは尋ねる。
「何?アタシの体なんかついてる?」
「あっ、ううん。ただ……、綺麗な体だなって思って……」
ごめんね、変なこと言っちゃって、と言いながら晴子は部室から出て行った。
79.みかんゼリー
「だから練習すればいいってもんじゃねーんだよ!」
「オレにはオレのやり方ってもんがあるんすよ!」
最近の三井寿の生活は、だいたい宮城リョータとのケンカから始まる。
「オレは赤木のダンナを超える」と言い張り厳しい練習を課す宮城とのいさかいが絶えないのだ。
だが本当にオーバーワークなら安西が止めるだろうし、バスケ部では後輩にしごかれる形になったのが気に食わないという感情が少々あるだけの、三井寿のわがままと認識されていた。
「三井サンだって悔し泣きするくれーなら黙って練習すりゃいいじゃないすか」
宮城のぼそっと言った発言に、三井の顔が真っ赤になる。
「バッ、テメーオレは泣いてなんか……!」
思ってたより大きな声を出してしまった三井に注目が集まる。
気が付くと宮城はいつもの小憎たらしい顔でケケケと言わんばかりにしたり顔をしている。
三井はすかさず宮城の肩に腕を回し、「オイ、宮城。マジでどこで聞いた」と割と本気のトーンで尋ねた。
しかし宮城はどこ吹く風だ。
「ああ、クソ。か?だな」
三井が悔し泣きをしたという話を知っているのは部活内でもしかいない。
くそ、今日の走りこみが終わった後問い詰めてやる、と三井はひとりで怒った。
あいつは男のプライドとかそういうもんをまるでわかっていないのだ、と。
(でもアイツ……)
『最近可愛くなったよなぁ』、とは、三井寿が男子の更衣室でもらした発言だ。
との走りこみは、今や三井にとっての日課の1つである。
最初はちょっとしんどかったこの練習も、ペースに慣れてしまえば何の事はない。
三井は今では走りこみをしながらいろんな事を考える余裕があった。
そう、例えば、
(やっぱ女は黒髪だよな)
と、隣で走るのことだ。
(確かにはバカだけどよ、生意気そうなところは悪くねぇよな)
更衣室で『のやつ、最近可愛くなったよなぁ』と言った三井に対し、『でもあいつバカっすよ』と反応したのは流川楓だった。
流川がこの話題に食いついたのは意外だったが、この2人は割と仲がよさ気なので自然といえば自然だった。
『バッカオマエ、女はバカなくらいがちょうどいーんだよ。あとはよ……』
女はちょっとバカで、年下に限る。というのは三井寿がグレてた時代に学んだ教訓だ。
鉄男に女を紹介して貰うという話になった時、三井は『じゃあ黒髪の気のつえー女がいいな。もちろん年上だ』とリクエストした。
その結果出てきたのが、葉巻をふかして毛皮のコートをに身を包んだ、どう見てもバックにやばい人がいそうな女だったからぶったまげた。
『アンタ、カワイー顔してんじゃん』と幸か不幸かその女に気に入られた三井は、命からがらホテルから脱出したという経緯がある。
それ以降、三井は『女はちょっとバカで、年下に限る』と思うようになったのだった。
(ま、彩子とかはなかなか理想だよな)
あれは宮城じゃなくても惚れてる奴が多そうだ。
「いい女」と形容するのにふさわしい。
赤木の妹は……ありゃダメだ。
好みから外れるというのもあるが、何よりどう頑張っても兄の影がちらつく。
桜木はよく兄である赤木をを知っているのに、その妹に手を出そうと言う気になる。
朝倉はヒールを履くとオレよりでかくなるだろうからダメだ。
そもそもバカすぎる。
黛は目で見る分には全然いいんだが……先ほど回想した女と同じオーラを感じるから無理だ。
藤崎はかわいい後輩ではあるがただのガキンチョだし、……あとは。
(ま、悪かねーよな)
再び隣で走るを三井はチラ見した。
は最近髪を切って黒に染めた。
多分、何らかの事情があったのだろうとは思うが、それはわからない。
だが、事情はどうあれ、なんていうか、その、可愛くなった、と思う。
一度そう思うと、今までが派手な金髪だったから気が付かなかっただけで、割とそのものは最初からカワイーやつだったじゃねーかと三井は思うようになってきてしまったのである。
走り終えて一旦休憩を入れる。
1分後経ったらまた走りださなければならないので、今のうちに息を整え水分補給をする。
の男子顔負けで豪快にガブガブ水を飲む仕草も、なんだか可愛らしいと思えてしまう今日このごろだった。
「くん、少しいいですか?」
ふと、安西がこちらに向かって手招きをしていることに気がついた。
「はーい」
と、は三井に少し会釈して安西の元に駆け寄り、体育館の中へと消えていった。
三井も休憩が伸びるなら正直ありがたい。
そう思い木陰に移動しようとすると、校門の方に妙なバイクがやってきた。
(なんだ、ありゃ)
赤いタンデム仕様のCBR400F。
2人乗りをしている、のまではわかるが……。
あれは、サイドカーだろうか。
妙に背の高い男が、バイクに取り付けられたサイドカーに乗っている。
全員制服を着ているが、湘北のものではない。
それだけでもだいぶシュールな光景だったのに、校門の前にバイクを止めたライダー2人は颯爽と降りてヘルメットを外した。
(な……)
運転手は、女だった。
そして、後ろに乗っていた男と、サイドカーに乗っていた男は……。
(翔陽の、藤真と花形じゃねーか!)
あいつら、女の運転でバイク乗ってんのかよ。
「ああ、ちょうどよかった」と言ったのは藤真だった。
藤真は三井に気がつくなりつかつかと歩みを進めた。他の2人もそれに倣う。
「よお、三井。……いるか?」
少し周りを見渡す藤真に、「あ、ああ。今呼んでくる」と少々呆気にとられながらも三井は返事をした。
「違う、逆だ。あいつがいねーことを確認してんだよ、オレは」
走りだそうとした三井のシャツの首の後を藤真は強引に掴む。
「なんだよ、がいると都合ワリーのかよ」
たるんでしまったシャツを直しながら三井は機嫌悪そうに質問した。
「まあ、な」と花形は少しだけバツの悪そうに返事をする。
そして、藤真は先程バイクを運転してきた女を指していった。
「こいつ、のイトコのだ。オレらと同じ学校の3年」
「よ、よろしくね」
「お、おう……」
、と名乗った女は少々戸惑いながら挨拶をしてきた。
だが三井もなぜ3人が来たのかもよくわかっていないので、さっきから戸惑いっぱなしだ。
この女がなんなんだ、とも思うが、の従姉妹なのか、と思うと少しだけ興味が出てくる。
は、先ほどまでごついバイクを運転してきたとは思えないくらい、ひどくおっとりとした雰囲気の少女だった。
ほんわかとした平和ボケしてそうな顔は、あまりと似ているとは思えない。
なんていうか、タヌキ顔である。
そして何より、全体的に肉付きが良い。
あの断崖絶壁の体型を持つとは似ても似つかなかった。
あんまジロジロ見るのもアレだしな、と思って三井は本題を切り出す。
「じゃあ何しに来たんだよ?練習試合の申込か?」
ならば安西を呼ぶ必要がある。あと、宮城も。
冬も3年が全員残る翔陽は、まだ藤真がキャプテンを務めているはずである。
「あ……ううん。違うの。私達、ちゃんを見に来たの。……ちゃん、ここでバスケしてるって、聞いたから」
なんだよ、やっぱに用があるんじゃねーか、と三井は不思議がる。
そんな彼女の言葉を補足するように、花形は「にはバレないように頼む」と三井に案内を促した。
「……なんでわざわざこそこそ見に来てんだよ」
「色々あんだよ。いいから早く案内しろ」
三井が不審がるも、藤真は一蹴した。
なんなんだよいったい……。
ぶちぶち言いながら三井は3人を体育館の方へと案内した。
体育館では、湘北のバスケ部員にとってはいつもの光景が広がっていた。
「だからさー、そういう時はもっと足の裏使えって前から言ってんじゃん」
「うっせーな。わかっててもそうそうできるもんじゃねぇっつうの」
「まあまあ」
女子部で何か話し合いをしているのを、安西は遠くからほっほっほっと眺めていた。
どうやら、またが女子に指導しているらしい。
あいつは本当に教えるのがうまい、と三井はその様子を見ながら思った。
安西も、女子には自分で教えるより、こうしてを通して教えたほうが部内に信頼関係が生まれることを知っているのであえて任せている部分が多い。
「ほら、あそこにいんだろ。あいつ最近髪切ったんだよ。あと、黒に染めた」
「そう、みてーだな」
藤真が様変わりしたを見て驚いたようだった。
だが、と花形は藤真より驚きに満ち溢れたような表情をしていた。
「ちゃん……。昔の、まんまだね……」
「あ、ああ……」
言葉を失っているような様子に、三井は少し心を傷めた。
自分にも、経験があるからだ。
バスケ部をやめた時の周りの態度も、どんどん荒んでいく自分を見る時の母親の悲しい目も、突然髪を切って部活に復帰した自分を見た時の、父親の表情も。
すべて、忘れられるわけがない。
(あー、チクショー)
のせいだ。無駄に感傷的になるのは。
は三井たち4人が複雑な思いで自分を見つめていることなど露知らず、「じゃ、アサヒがディフェンスね。まゆまゆ、よーく見とけよー」と、アウトサイドフットターンの実践的な使い方を実演してみせた。
「すごいね……。ちゃんが、バスケしてる……」
その様子を見て、はポツリと呟いた。
その声には、既に涙が混じっていた。
三井が振り向くと、は手で顔を覆っていた。
それでも目だけは隠さず、のバスケを目に焼き付けようとしているみたいに、食い入るように見ていた。
だが、その見開かれた目からボロボロと大粒の涙が溢れる。
「ああ、どうしよう、透ちゃん……。ちゃんが、ちゃんがバスケしてるよぅ……!」
はとうとう泣き出してしまった。
藤真が彼女の肩を抱く。
花形は、その言葉に同意するように、「ああ……」とだけ返事した。
三井はなんだかいたたまれないような気持ちになって、それでもを見つめていた。
(多分あいつは、どれだけたくさんの奴がバスケ部に戻ることを望んでたか、しらねーんだろうな。まあ、オレもよく知らねーけどよ)
は、相変わらず女子と楽しそうに練習していた。
「ごめんね、三井くん。変なとこみせちゃって……」
女子トイレから戻ってきたの目は、洗ったのだろうか、少しだけ赤みが引いていた。
「それでこれなんだけど……」と、トイレに行く前に花形に預けていた荷物から、白い箱のようなものを取り出す。
よく、ケーキとか買うときについてくるタイプの手持ちタイプの箱だった。
「これ、私が作ったの。よかったら、部活の皆で食べてください」
「おお、サンキュ」
三井はその言葉に甘えて箱を受け取る。
「保冷剤は入れてあるんだけど、早めに食べてね。人数足りるといいんだけど……」とは少し不安げに言った。
「開けてみていーか?」と確認すると、は「どうぞ」と言った。
中には、小さいプラスチック容器に入ったみかんゼリーが大量に入っていた。
「部員の人数がわからなかったから20個位しか作ってないんだけど……」
「おお。十分だぜ。ありがとな」
三井が再び礼を言うと、は「よかった」と笑った。
みかんゼリーは疲労回復にもいいから……とは言った。
きっと、に食べてほしいくて持ってきたのだろう。
藤真が「そろそろ行くぞ。海南にも行かなきゃなんねーし」というと、「そうだった。ありがとうね、三井くん」とはお礼を言う。
「お前ら海南にも行くのか?」
「明日から国体の練習だろ?高頭先生に挨拶しねーと」
そうだ。国体の監督は海南の顧問の高頭に決まり、明日から三井たちも海南の体育館で練習する頻度が増える。
こちらの挨拶は当然の事ながら安西と鈴木と宮城で行ったらしいが、翔陽は藤真と花形が行くらしい。
自分のところの顧問とは向こうで落ち合うことになっている、と藤真は言った。
その約束の時間に迫ってきている、とも。
「それじゃあ、本当にありがとう。……三井くん、ちゃんのこと、よろしくね」
「お、おお」
よろしくったってよぉ、と思いながら返事だけはする。
校門まで一応付き添うと、やっぱりは自分がバイクの運転席に跨がり、藤真が後ろに乗った。
お前らそれでいいのか、と突っ込みそうになるが、花形が背筋をぴんと伸ばしてサイドカーに座っているのを見て、そのあまりのダサさに三井は何も言えなくなってしまった。
「……気をつけて行けよ」
「うん、それじゃ」
「またな」
そう言って、3人は去っていった。
やっぱ女に運転させるってだせーよ、と思いながらその背中を三井は見送った。
「あれ、三井センパイどこ行ってたの?トイレ?」
「ちげーよ」
三井がグラウンドに戻ってきたら、女子への指導が終わったらしいももう戻ってきていた。
「じゃ、サボりだ」
ダメだよサボりはー、とはケラケラ笑う。
うっせーな、と三井は言う。
人の気もしらねーで、と思っていると、が三井の持っている箱に注目した。
「あれ?三井センパイそれ何?」
「あ、ああ。さっき、よ」
さてそう説明したものか、と三井は考えを巡らせる。
翔陽の3人が来たことを、三井は口止めされていた。
「おふくろが来て、部活の皆と食えって寄越したんだ」
なんかこの説明マザコンっぽくねーか?とちょっと気にしながら三井は答えた。
だが、そんなことを気にしているのは当然ながら三井だけで、は「マジー?開けていーい?」と早速食いついた。
しょうがねぇな、と言いながら三井は木陰に移動して箱を開ける。
みかんゼリーを見たは、「わーおいしそう!」と子供のようにはしゃいだ。
そんなに喜ばれてしまうと、「またあとでな」と言ってしまいにくくなってしまう。
「……食うか?」
「え、いいの?」
「……おう」
本当は弁当の時間に皆に配る予定だったが、仕方ない。
三井は「ほらよ」と言って1つに寄越した。
丁寧に、1つずつプラスチックのスプーンが入っていた。
「わーい、いっただきま~す」
は上機嫌でぱくっと食べる。
その瞬間顔をぱあっと輝かせて、「うわ、これおいしい!三井センパイのおかーさんお料理上手だね!」と絶賛した。
なんだかウソをついてるのが後ろめたくなって、三井は「お、おう」とちょっとだけ視線を逸らした。
だが、その隙に、
「ほんと、おいし……」
ぼろっと、の目から涙がこぼれた。
「お、おい」
「あ、あれ?なんでだろ……」
は突然泣いてしまったことを照れ隠しするように、「おいしすぎるからさ~」と笑った。
涙をゴシゴシ拭き取り、二口目を食べる。
「うん……おいしい……」
は再び、ぽろぽろっと涙を零す。
(こいつ、ホントは分かってんじゃねーのか?)
これを作ったのが三井の母ではなく、だということを。
三井は訝しむが、は何も言わず涙をこぼしながら、バクバクっと残りのゼリーを食べる。
三井はその様子に、その昔、少年院帰りの仲間がマックで『うめぇ、うめえよ!』と涙をこぼしながらハンバーガーを食べていた様子を思い出した。
食べ終わったは再び涙をゴシゴシ拭く。
化粧剥げるぞ、と言いたくなった。
「もー最近さ、泣いてたり、変なとこばっか見せちゃって、悪いね」
「ああ……。別に……どうってことねーけどよ」
そうだ、別にどうってことはない。
でも本当は、ちょっとは知りたい。
どうしてバスケ部をやめたのか。
どうして髪型を変えたのか。
どうしてみかんゼリーを食べただけで泣くのか。
「三井センパイも食べちゃえば?メッチャおいしいよ?」
に促されるまま、三井はみかんゼリーを食べることにした。
「ああ、こりゃうめぇな」と素直に褒める。
は「でしょー?って、これ三井センパイのおかーさんが作ったやつじゃん」とノリツッコミをしていた。
その設定をすっかり忘れていた三井は、やっぱりさっきの発言がマザコンっぽく聞こえてしまってなかったか心配になった。
三井がゼリーを食べている間に、は箱を覗き込んで「にー、しー、ろー」と数え始めていた。
そして、
「ねえ、このゼリーさ、残り18個なんだよ」
「おう」
「……アタシ達さ、今日16人じゃん?」
「……おう」
男子が今日は9人、女子が4人、マネージャーが2人、そして安西先生。
がにやっと笑う。
三井も、が何を言いたいのか理解しニヤッと笑った。
「18個あったよーって持っててもさ、2個食べれる人とそうじゃない人に別れるじゃん?」
「……最初から16個だったってことにしちまえば……」
2人でこっそり早く食べたことも、バレない。
は「いえーい、食え食えー」と、新たなみかんゼリーのケースに手を伸ばした。
「そーいうの、割と好きだぜ」と三井も悪ガキのような笑みを浮かべてみかんゼリーを食べる。
18-16は2。
2人で分けても、あと1つずつは食べられる。
更に、昼に部活の奴らに配る時もしれっと自分たちの分も配ってしまえばいい。
お互いの分前は合計3つずつ、ということになる。
「おいしー!三井センパイが話のわかるやつでよかったよー。ヤス先輩とか絶対『皆に悪いよ』って止めるもん」
「アタマカテー奴多いんだよな、石井とかよー」
はニコニコしながらみかんゼリーを食べ続ける。
その様子に、
「……ん、どした?」
「あ、いや、なんでもねーよ」
どうしてここ最近、のことが気になるのか、わかった気がした。
多分、コイツが最近、よく泣くからだ。
よく泣くから、なんとかして笑わせたいと、なぜか思ってしまうのだ。
『なぜそう思うのか』という部分を。
三井はあえて考えないようにした。