「流川の分、食べちゃったの!」
80.男の約束
お昼休憩中。
はまず一緒にご飯を食べている女子部にみかんゼリーを配った。
先に男子たちにも配ってから食べようかと思ったが、箱から取り出したみかんゼリーは、夏場ということもありすぐに汗を掻いた。
ぬるくなったらまずくなっちゃうから、と言ってはみんなと一緒にみかんゼリーを食べきった。
そして、「じゃ、他のメンバーにも配ってくんね」と言って箱を持って立ち上がった。
「先生、これ、三井センパイのおかーさんからです」
「ほっほ。どうもありがとうございます」
「いただきます」
「はーい。じゃ、あとは……」
は先生たちに配った後、弁当を食べている部員たちに声をかける。
少しだけ、あれ?と何か引っかかりながら。
「みんなー、三井センパイのおかーさんがデザート持ってきてくれたよー、一個ずつね~」
の呼びかけに、男子たちがわらわらと集まる。
はぽんぽんとその手のひらの上に載せていった。
共犯者である三井にニヤリ、と目配せしながら。
調子に乗ってポンポン配っていく内に、あれ、とは気がついた。
1個、足りなくない?、と。
え、いやだっておかしい。
ちゃんと数えたし。
は慌てて数え直す。 男子は桜木がいないから9人で。
女子は自分を含めて4人で。
マネージャーが2人で。
安西、先生……。
(鈴木先生数え忘れたー!!!!)
気がついたところでもう遅い。
鈴木には、最初に安西と一緒に渡してしまった。
最後の1個を赤木晴子の手のひらにのせる。
う、しまった。空になった。
は恐る恐る顔を上げて、ゼリーが行き渡らなかった最後のひとりの顔を確認する。
流川、楓だった。
オレの分は?という顔をしている。
コイツは末っ子のため、意外と食べ物の恨みが強いタイプだ。
は冷や汗をかく。
もっとよく考えて食べればよかった。
せっかく多めにあったのに、すべて三井とで食べ尽くしてしまった。
「オレの分、ねーのか」
流川が、ギロッとを睨みつける。
「うっ、ご、ごめん!」
この時、は後ろめたさで頭があまり回っていなかった。
流川は当然の事ながら、三井とが先回りして食べていたことなど知らない。
無いなら無いで、大人しく引き下がるつもりだったのだ。
なのに、
「み、三井センパイにそそのかされてさ……」
「あ?」
「、てめっ」
余計なことを言ってしまった。
「流川の分、食べちゃったの!」
しかも、あっさり共犯者である三井寿を売り飛ばして。
「どーいうことだテメー」
「だってー、三井センパイが食っていいっつったんだもんー!」
「コラ、テメーが言い出したことだろーが!」
三井がに食ってかかろうとするが、それよりも流川がの肩に掴みかかるほうが早かった。
「オレの分ねーのか。どあほう」
「ごめん、ごめんってー!」
ゆっさゆっさと揺さぶられる。
食べ物の恨みは怖い。
がされるがままに揺られていると、「流川くんっ」と赤木晴子が止めに入った。
「あ、あの。よかったら、あたしの分あげるから……」
そっと、晴子がみかんゼリーを流川に差し出す。
流川はを揺さぶるのをやめて、じっと晴子が差し出したみかんゼリーを見つめる。
も、晴子を見つめていた。
流川は、
「……別に、いい」
そう言って流川はの肩から手を外し、ふいっと晴子の方へと視線をずらした。
「赤木が貰ったもんだろーが、コイツから」
だから、いい。
そう言って、流川は大人しく弁当の続きを食べに戻った。
は晴子に「ありがと」、と謝り、「でも、ホントにオイシイよ、それ」と伝えた。
「うん、ありがとう、ちゃん」
晴子もお弁当を食べに戻る。
は「このヤロー」と三井に小突かれた。
それに対し、は「すんませ~ん」と、あまり誠意のこもっていない謝罪をした。
「まったく子どもなんだから、ふたりとも」
彩子が呆れたように三井との悪行を非難した。
晴子はふふ、と笑う。
そしてお弁当を食べた後、まだ冷えているみかんゼリーに手を伸ばした。
「あら、ホントにおいしい」
先に食べていた彩子もその味を褒めた。
晴子も期待してぱくり、と一口食べ始める。
(……あ、コレって……!)
練習が終わり。
「三井さん」
片付けを終わらせて最後にもう一度水分補給をしていた三井を、赤木晴子が呼び止めた。
「おう、お疲れ」
「はい、お疲れ様です。……あの」
晴子が、何か言いたそうに口ごもる。
どうした?と三井が尋ねると、晴子は意を決したように言った。
「お昼にちゃんが配ってたみかんゼリー……、本当は、三井さんのお母さんが作ったんじゃないんですよね?」
「!」
三井は驚く。
なぜ赤木晴子がそれを知っているのか、と。
そして、晴子は晴子で、三井の様子から自分の考えが正しいことを悟った。
「やっぱり……。あのゼリー……覚えがあったから。ちゃんの好物なんです。……さんが作った、みかんゼリー」
「……お前、なんか知ってんのか、のこと」
どこかただならぬ様子の晴子に、三井は慎重に声を掛けた。
赤木晴子はぐっと顔を上げて、三井を見つめる。
その大きな目には、今にも涙がこぼれんばかりに溜まっていた。
そして、懇願するように言った。
「お願い、三井さん、ちゃんを助けてあげて……!」
そう言って口を抑えて涙する晴子に、三井は困惑する。
(おいおい、今日だけで3人も女が泣いてるところ見たぜ……)
しかも全員、絡みである。
三井は晴子の肩を優しく掴み、「どういうことだよ……。を助けろって」と先ほどの発言を問い質した。
「さんが……試合に来なくなってからなんです……!ちゃんの様子がおかしくなったの……!!」
晴子は、泣きながら自分との中学時代のことを語りだした。
は、四中のエースだった。
その実力は誰もが認めるものだったし、は今よりだいぶ印象の違う、誰にでも親切な優等生だった。
勉強もスポーツもできて、人気者だった。
ただ、ひとつ。
『……あら、ちゃん。どうしたの、その背中のアザ』
『……え?ああ、なんでもないよ。ちょっと練習中にやっちゃって』
晴子がその質問をしてから、は人前で着替えなくなった。
誰よりも早く部活に来て、誰よりも遅く帰ったからだ。
でも、晴子はなんだか胸騒ぎを覚えた。
あれは、バスケの練習でできるようなケガじゃない。
誰かに、まるで蹴られたような……。
(誰がそんなことを!)
晴子は、が誰かにいじめられているのではないかと思った。
当時クラスは違ったが、と同じクラスの友人からクラスでのの様子を聞いたり、晴子自身も部活内でに何かする者がいないか目を光らせていたつもりだった。
だが、1月、2月経っても、が学校でいじめられているような雰囲気はなかった。
自分の気のせいだったのだろうか。
そう思い、最後に確認を、と思って、親に「今日は遅くなるね」と言い、の練習に最後まで付き合った日があった。
その日も、
『ちゃん……バスケの練習で……そんなところに傷はできないわよ……?』
やっぱり、の体には、妙のアザや傷があった。
晴子の指摘には困ったように笑うだけで。
どうしていいかわからなかった晴子は、出来る限り、と同じ時間まで練習して、一緒に帰るようになっていった。
ところで、にはいつも、試合の度に応援に駆けつけてくれる人物がいた。
の両親と、その従姉妹のである。
の幼なじみだという花形透は、自分の部活の関係もあって来たり来なかったり、という感じだったが、それでもこの3人はほとんど毎回来ていたように思う。
は料理が得意で、よく手作りの差し入れを持ってきてくれた。
みかんゼリーは、その中でも人気のお菓子だった。
だが、晴子達が2年の夏の大会の時。
が応援に来なくなった。
その日のことを、晴子はよく覚えている。
なぜなら、試合前にが体調を崩したからである。
青白い顔をして、過呼吸を起こしているようだった。
『ちゃん、大丈夫?あたし、先生呼んでくる……!』
晴子が女子トイレでぐったりしているを見つけそう言うと、は晴子の腕をぐっと掴んで、
『お願い……赤木さんっ、だれにも、言わないでっ……』
と頼んできた。
そんな、と晴子は思ったが、のことだ、もしかしたらチームに心配をかけるのが嫌なのかもしれない。
そう思った晴子は『じゃあ、さん探してこようか?』と言った。
だが、は首を振り、『……ちゃんは、もう、来ないよ』と、どこか諦めたように告げた。
『どうして……?』
そう訪ねても、は答えない。
その代わりに、晴子は察した。
(ちゃんの様子がおかしいのは、さんがいないせいなんだわ)
と。
その日の試合は結局、不調を押して出場し続けたの活躍で、四中は勝つことができたのだった。
だが、次の試合の時も、の様子は不安定で、晴子は試合になるまでずっとに付き添っていた。
ベンチ入りできたとはいえ、スタメンでもない自分にコート上でを支えるほどの実力はない。
だからせめて、試合が始まるまでは、を支えてあげたかった。
そんなことが繰り返された、準々決勝前の事だった。
『、こんなところにいたのね。先生から聞いたわよ』
『……ママ……!』
いつものように、会場内のベンチで晴子にもたれかかるようにぐったりしていたの元にやってきたのは、の母だった。
『ちゃんの……お母さん』
晴子は……――友達の母親にこんな感情を抱いていいのか分からなかったが――の母が、あまり好きではなかった。
いつも試合を見に来てくれてはいるが、その後の試合を激しく叱責する姿を、何度か見てきたからだ。
どうして?ちゃんあんなに頑張ってるのに。だから勝てたのに。……褒めてあげたっていいのに。
晴子はそう思いながら、その様子を見なかったことにしてその場から離れたことが、何度かある。
『のお母さん……またやってたよねー』
部活のメンバーが集まっているところに戻っても、話題はそのことで持ちきりだった。
そんな人物だったから、晴子は、の母親があまり好きではなかった。
『あの、ちゃんのお母さん!ちゃん、ちょっと気分が悪いみたいなんです。でも、その、風邪とかじゃなくて、きっと試合のプレッシャーとかで……』
『赤木さん、いいから……!』
晴子はをかばうようにまくし立てたが、の母は晴子の存在など気にならないようだった。
『そうみたいね』
そう言いながら、の母はの腕を引っ張り、ベンチから無理やり立ち上がらせる。
『……よくあることだわ。誰にでも。試合前に気分が悪くなるなんて。でもね、』
の母は、屈むようにしてと視線を合わせた。
『感情のコントロールをしなさい。一流のスポーツ選手はそういうこともできなきゃいけないの』
その発言に反応したのは、ではなく晴子だった。
『ちゃんのお母さん!あのっ、ちゃんが言いたいのは、多分そういうことじゃないと思うんです!』
だって、おかしい。
こんな言葉、自分の母親に言われるなんて。
(きっと、ちゃんは、さんがいなくなって不安で、それをお母さんにわかってほしいだけなのに……!)
だが、は、
『いいの、赤木さん!……ごめんね、ママ。……ママの、言うとおりだね』
と母親に言い、晴子を向き直って『もう、大丈夫だから』との母と一緒に会場に向かってしまった。
(そんな……。どうして?……どうして、ちゃんっ!)
悔しさで涙が滲んだ。
その日も、の活躍で四中は準決勝へと駒を進めることになった。
そして、皮肉にも、の母親の指導が効いたのか……。
次の試合の時、が過呼吸を起こすことはなかった。
(……もう、大丈夫なんだよね?)
あまりにいつも通りの振る舞いをするに、晴子は信じたいような、信じたくないような気持ちで一杯になった。
そして、時は進み、決勝戦の日。
試合前も体調を崩すこと無く、傍目にはいつも通りの様子では出場し、四中を勝利へと導いた。
そして……。
その日を境に、は部活を去ったのだった。
「……そんなこと、あったのか」
時折涙を流しながら晴子はの過去を語った。
三井寿はその言葉に真剣に耳を傾けていた。
「はい……。でも、あたしじゃ、ちゃんを助けてあげられないんです……」
「なんで、だよ」
「あたし……見ちゃったんです。無理矢理、暴いちゃったんです……。ちゃんの秘密を。だから……あたしが傷つけちゃったから……ちゃんは……」
――最っ低!!!
晴子の脳裏に、あの日のの姿が浮かぶ。
そうだ、あの日、試合終了後に、自分が無理にの姿を追わなければ……。
は、部活をやめずに済んだのかもしれない。
「お願い、三井さん……!ちゃんを助けてあげて……!」
晴子は、三井に泣きつきながら、再び懇願した。
――三井さんなら、きっとちゃんのこと、理解してくれる……!
そう思いながら。
「た、助けるったってよぉ……」
自分の胸に泣きつく晴子を見ながら、三井は困惑する。
助けるだなんて言っても、手段がわからない。
赤木晴子の話が正しいとすれば、は今も母親に苦しめられているとでも言うのだろうか。
(でもよぉ……)
――あいつ、いっつも部活じゃケタケタ笑って、楽しそうだぜ?
三井寿はの笑顔を思い出す。
バカっぽくて、快活な印象しか受けないあの笑顔を。
それでも、今胸の中で泣いている赤木晴子が嘘を言っているとはとても思えない。
しかし、赤木晴子は今までに関して、だいぶ口が堅かったはずだ。
それこそ、流川に問いつめられても、口を割らないくらいには。
それがどうして、今になってこんなにの過去を語るのか……。
『あ、あれ?なんでだろ……』
『うん……おいしい……』
三井は、今日の午前中、みかんゼリーを頬張りながら涙したを思い出した。
(あいつ……最近しょっちゅう泣いてんな……)
いつも、笑顔でいればいいのに。
(笑えば、割と、なんだその……そこそこ、可愛いから、よ)
三井は、泣きじゃくる晴子に声を掛けた。
「あの、って女か」
鍵を握ってるのは。
赤木晴子が、の過去を話し出したキッカケは。
晴子はこくんと頷く。
「多分、さんなら……何か知ってると思うの」、と。
だが、との間に出来ている溝も大分深いのだろう。
なんせ、に合わないようコソコソ湘北に来たくらいだ。
でも実際は、お互い、涙を流すほど想い合っているはずなのだ。
「わかったぜ、赤木」
意を決したように、三井は言葉を発した。
県予選の決勝、倒れてしまった様子を見に来たの言葉を思い出しながら。
『アタシもね、戻りたい自分がいるんだ。戻りたい場所がある』
の戻りたい場所ってのは……、と花形透の元じゃないのか、と。
あの3人は幼なじみだと聞く。
そして、何かのきっかけで、絶縁状態になってしまったのだとも。
三井に何ができるのかは分からないが、せめて。
「オレが、を守ってやるよ。あのって女とを、もう一度引きあわせてやる」
三井の言葉に弾かれたように晴子は顔を上げて、そして再び泣き出した。
ずっと、ひとりで抱えていた悩みを語れる人ができて安心した、そんな様子だった。
「ねえ流川ー」
「なんだ」
夕暮れの道を、流川楓は自転車で走っていた。
もちろん、後部座席にはを乗せて。
「アンタさ、他校の人たちと仲良くやれんの?」
「……知らん」
は生意気にも、明日から国体の練習が始まる流川楓の心配をしているようだった。
「だってさー。流川、ヒトと仲良くすんの苦手じゃん。英語のコミュニケーションどころか、日本語だって厳しいじゃん」
「テメー、振り落とすぞ」
オレは日本人に生まれたんだから日本語くれーわかる。
流川はそう思いながら自転車を漕いだ。
蛇行運転してやると、は落ちないように流川に少しだけ強く抱きついた。
「だいたい、テメーの方こそ……」
「ん?」
しっかりしろ、と言うつもりだった。
でも、途中でやめた。
多分、コイツはコイツなりにがんばろうと思ってはいるのだろう。
あまり余計なことを言ってはいけない気がした。
……つい最近、この言葉がきっかけでを思いつめさせて泣かせてしまったことを、流川は一応覚えていたのだ。
「……大会、女子も出るんだろ。……5人目、集まったんだな」
「ああ、うん。そーなの。安西センセーにお願いしてね、陵南の……」
は嬉しそうに部活のことを語り出す。
男子の一部が国体の練習に行く日、女子は市民体育大会に向けての練習をするとは聞いていた。
楽しそうに明日からの練習と、大会への期待を語るに、流川はやっぱり、(ああ、コイツオレとちげーな)と思った。
明日から国体に向けての練習が始まり、今までライバルだったメンバーとも仲間になる。
そして、全国を目指す。
だが、もちろん流川は、仲間になるとはいえ神奈川のライバルたちと仲良く慣れ合うつもりは一切ない。
ムダな衝突がしたいという意味では決してないが、「全員ライバルだ」、という認識を持って練習に挑む気でいる。
そのライバルには、同じ湘北から選ばれた宮城や三井すら含まれる。
そしてもちろん……。
(仙道……!)
流川はメラメラと闘志を燃やす。
同じく明日から他校のメンバーと練習が始まるとは、真逆と言ってもいいくらいの心境だった。
「……とりあえず、なんかあったら海南に連絡しろ」
「……ん、わかった。……あ、ガッちゃんによろしくね」
はそう言って、少しさみしそうに微笑んだ。