海南大附属高等学校体育館。
今日はこの場所で、神奈川選抜の国体に向けての顔合わせが行われる。
海南バスケ部のマネージャーは、国体の選手達が到着する1時間ほど前から学校に来て、雑務をこなそうとしていた。
だが、

(あら?もう来てる子がいる……)

体育館に、人影を発見する。
顧問の高頭ではない。
なぜなら、彼は背が低かった。
昨日までに叩き込んだ国体選手のデータを思い出すに、神奈川選抜の最低身長選手は宮城リョータの168センチでは無かっただろうか。
それよりも大分低い……ということは、彼は国体の選手ではない、ということである。
海南の選手が今日の部活が休みだということを忘れて来てしまったのだというのだろうか。
しかし、もしそうだとしたらにはすぐわかるはずだった。
覚えがない、ということは……。

「あなた、相田彦一くんね?」
「お、オハヨーゴザイマス!!!」

声を掛けた少年に、ものすごく大きな声で挨拶をされてしまった。

「お、おはよう。朝から元気があっていいわね」
「ハ、ハイ!国体のマネージャーとして選ばれたからには、精一杯やらせてもらいます!」
「そ、そう……。よろしくね……」

そう彼ら2人は、神奈川選抜のマネージャーとして、本日の顔合わせに呼ばれているのだった。
ヤケにガチガチになっている彦一を見て、はくすりと笑う。

「そんなに緊張しなくてもいいわよ。私は去年も国体のマネージャーやってたから。わからないことがあったら何でも聞いてね」
「あ、アリガトーゴザイマス!!!お役に立てるよう頑張ります!!!」

相田彦一は相変わらず大きな声で返事をした。
は思わず耳を塞ぎたくなったが、持ち前の笑顔でとりあえず誤魔化す。
だが、この時はまだ知らなかった。
去年までの海南の選手だけで行われていた国体と違い、今年の神奈川選抜には、マネージャーも含めて曲者揃いだということを……。



81.課外授業ようこそ先輩




 湘北高校体育館。
既に男子バスケ部も女子バスケ部も集まっている体育館の入口に、小さな客人がやってきた。

「お、おはようございます!あの、安西先生、いらっしゃいますか?」

その声に駆け寄ったのは、だった。

「サナさん!おはよー」
「え、えっと、……ちゃん!?わー黒にしたんだね!似合ってるよ!久しぶり!」

彼女は、陵南高校2年長妻桜南。
一度陵南と湘北で合同練習をして以降、や藤崎のことを気にかけてくれている他校の先輩だ。

「ほっほっほ。長妻くん、ようこそいらっしゃいました」

安西がやってきて、長妻に体育館に上がるよう促した。
長妻は靴を履き替えて、ぺこりと安西に頭を下げた。

「今回はお招き頂きありがとうございました。あの、私、全然弱いですけど、一生懸命やりますので!よろしくお願いします!」
「ほっほっほ。こちらこそ。田岡先生にも改めてお礼を伝えておいてください」
「はい!」

そんな挨拶を交わす2人を見て、は「サナさんそんなかしこまんなくていーよ」と言った。
「アンタが言うな」とすかさず彩子のハリセンが頭に炸裂する。
男子のスタメン、つまり問題児軍団がいなくなると、彩子の指導の対象はもっぱらに集中しているようだった。

ちゃんも、私のこと呼んでくれてありがとう」
「いやいや、お礼言うのはこっちだって。アタシらまだ4人しかいないからさ、大会出られなくて……」

9月に行われる市民体育大会。
そのエントリーをするのに、湘北高校女子バスケ部はどうしてもあと1人足りなかったのだ。
そこで、白羽の矢が立ったのが陵南の長妻桜南だった、というわけである。
正直に言うと、が長妻を呼んだのは「バスケやってる知り合いがそれくらいしか思いつかなかった」程度の理由しかない。
どうせだったら仲良くしてくれそうな人がいいよね、ということで、女子部でも満場一致で長妻を呼ぶ、という話に決まった。
だが、陵南高校のバスケ部顧問、田岡茂一側には……。
長妻桜南を快く湘北に送り出すことにした、深い理由がある。

――が、そんなことは、やっぱりには関係がないのだった。

「みんな集まってー、サナさんきたよー」

の呼びかけに女子部が集まってくる。
藤崎は長妻に「サキチィちゃんも久しぶり!元気だった?」と声を掛けられていた。

「じゃ、とりあえずショーカイすんね。コイツが黛繭華。通称まゆまゆ。顔に似合わずマジモンのヤンキーだからいぢめられないように気をつけてね」
「オイコラ。よけーなこと言ってんじゃねーよ。初めまして、サナさん。黛繭華です。よろしくお願いします」
「よ、よろしくおねがいします……」

手始めに黛を紹介すると、長妻はそのあまりの美貌(と、少しだけ感じるどす黒い気迫)に少し気後れしているようだった。
小さい体を縮こまらせて、ペコっと体を折った。

「で、こっちのデカイのが朝倉光里。アサヒって呼んだげてね」
「わー。本当に背高いね、羨ましいなあ。私、湘北の1回戦見てたよ!アサヒちゃんすごかったよね!」
「あら、そうなんですか?ありがとうございます!」

朝倉は「よろしくお願いします!」と朝倉に握手を求めた。
長妻は「わー!手もおっきい!」とはしゃいでいた。
一通り挨拶が済んだところで、男子は副キャプテンである安田を中心にウォーミングアップを、女子は長妻を交えてまずは部室でミーティングを行った。



 ミーティングの議題。
それはズバリ、「このチームをどんなチームにするか」である。
5人しかいない急造チームとはいえ、安西はこのチームの方向性を明確にすることができていた。
あとは、それをどうやって彼女たちに伝えるか、である。
監督としての腕の見せ所だ。
あらかじめ部室に用意しておいたホワイトボードとビデオデッキのついているテレビの前に安西は立って、講義を始めた。

「今年の春に行われたNCAAのバスケットボールトーナメント、見た方はいらっしゃいますか?」

安西の言葉に、女子達はシン……となった。
そりゃそうだ。
一介の女子高生に、アメリカで行われた大会のビデオを手に入れろ、と言うのは難しい。
朝倉は「結果だけなら……」と言った。
おそらく雑誌か何かで知ったのだろう。
藤崎と長妻も、同じように頷いた。

「女子はスタンフォード、男子は……ネバダだったと思います」
「おお、よく知ってますね」

安西は朝倉に微笑みかける。
彼女は勉強こそ不得手だが、バスケの知識は豊富だし、実際知識欲もあるのだ。
女子も朝倉の回答を聞いて、「おー」と歓声をあげていた。

「と言っても、私が皆さんに今から見せるのは、決勝戦ではありません」

安西はそう言って、一本のビデオをデッキに差し込み再生を始めた。

「これって……」
「男子じゃん」

女子の不思議そうな声に、安西は反応する。

「そう、男子です。白のユニフォームのチームを良く見てください。こちらはケンタッキー大学。……ここ10年あまり活躍してないので、みなさんにとっては馴染みのない大学かもしれませんね」

テレビに映し出される映像を見る女子たちに、安西は語りかける。

「対戦校はルイジアナステイト大学。LSUと言えば聞いたことがあるかもしれませんね。ファイナル・フォーの常連の強豪校です」

ふんふん、と女子は頷く。
こちらの学校はでも聞いたことがあった。
スタープレイヤーの多い華やかなチームだ。

「LSUは今年、こちらケンタッキー大学に敗れます」

へぇ、と黛が声を上げた。
なぜなら、ケンタッキー大学のスタメンは、体格的にLSUに一段回劣る者たちばかりだったからだ。

「なぜ、体格的に有利ではないケンタッキー大学が勝利したのか。よく見ておいてくださいね」

安西はそう言ってにっこりと女子たちに微笑みかけた。


「すごい……。センターでもバカスカスリーポイントシュート打ってる……」

ビデオ鑑賞中のの呟きに、安西はその通り、と頷いた。

「今年、NCAAに追加されたルールをご存知の方はいますか?」
「あ……。スリーポイント……。今年からでしたよね」
「さすが藤崎くん。その通りです」

このケンタッキー大学のチームは、確かに個人技も体格的のもスタープレイヤー軍団のLSUに劣る。
だが、今年から導入されたスリーポイントシュートのルールをフルに活用し、どんどん得点を積み上げていく。
更に、

「すごい、またターンオーバーです!」
「フルコートプレスってやつ?これなら確かに背が高くなくてもやれそ……あ」

黛は自分の発言に驚いた。
安西がふたたびにっこりと微笑みかける。

「そうです。キミたちが目指すべきスタイルはこれだ」
「でも先生。僕たちはちゃんを起点にしたパスランのほうが得意だよ。まゆまゆだって毎日インサイドの練習してるし……」

藤崎が不思議そうに質問する。
黛も「私のこの数カ月の努力は何だったんだ」という顔をしている。
安西は「まあまあ」と黛をなだめて「黛くんのステップは切り札としてとっておきましょう」と言った。

「それに……毎日フルコートプレスの練習をしているのは、長妻くんだって同じだ。そうですよね?」
「え!?あ、はい!そうです」

突然話題を振られた長妻は驚いたように返事をした。
そう、陵南にも、女子は大型選手はいない。
そのため、オールコートディフェンスを多用するのが現在のチームの方針である。
もっとも、長妻は練習以外でそれを実行できた試しがないが……。

「確かに、湘北はパスランを駆使するチームだ。だが、長妻くんを交えて今からセットプレーの練習をするのはあまり現実的じゃない。それよりも、体格差をあまり悩まずに済み、皆が努力すれば機能するフルコートプレスの作戦を取ったほうがいい。なぜならその方が……」

安西は、女子の顔をひとりひとり見渡して言った。

「みなさんも、楽しいでしょう?」

少女たちは、ほとばしる若さのエネルギーを笑顔に変えて、「はい!」と返事した。

「よろしい、ではビデオ鑑賞はこの辺にして、練習に移りましょう。……今は何よりも、経験がほしい」

そう言って安西は、長妻のことを女子に任せて先に体育館へ戻った。

(そうだ、今は何よりも経験がほしい)

安西の欲する経験……、それは市民大会に向けてのものではない。
冬の選抜。湘北の女子部も、全国大会へ進むために。
陵南も、一宮も倒せるほどの、経験。
それが今、とても欲しい。

(そのためには、長妻くんも使わせていただきますよ)

女子達は、ただ「仲良くやれそうだから」という理由で長妻を誘うことに決めたが、安西は違う。
全ては、湘北高校が冬の選抜を優勝するための布石だ。
だが……。

「えー!しーちゃん先輩のロッカーお菓子がいっぱいあるー!」
「そーなんだよ。しーちゃん受験生のクセにまだたまに来て部室にお菓子補充してくの。サナさんも好きに食べていーから」

ロッカーから漏れ聞こえる楽しげな女子生徒の声を聞くと、(まあ、キミたちは知らなくていいか)と思う。
仲がいいことは、いいことだ。
難しいことは、大人が考えればいい。



「なんだ三井。もうバテたのか」
「なんなんだよテメーはさっきから!オレにばっかファウル取りやがるしよー!」

意外、だった。
は頭を抱えた。

(もう!うちの信長が流川くんに突っかかることは想定の範囲内だったけど……!)

神奈川選抜。

「随分と力をつけてきたじゃないか、藤真。重心が低くなったな」
「お前に上から言われたくねーよ。いつか泣き言として聞いてやる」

あっちで、

「おいルカワ!テメーさっきなんでオレにパスよこさなかった!」
「テメーこそリターンパスよこさねーでブロック食らってたじゃねーか」

こっちで、

「くぅ~!さすが仙道さんや!即席チームの紅白戦でも鮮やかなパスワーク!あ、ドリンクどうぞ!」
「お、サンキュー彦一。気が利くなぁ」
(オレは……!?)

プロブレム大発生中である。
はとりあえず彦一に無視されてしまった福田に、「お疲れ様」と言ってドリンクを手渡した。

(はぁ。個性の強いメンバーが揃ったとは思ってたけど……まさかこんなに衝突が起きるとは)

今のところ誰とも問題を起こしていないのは、海南の高砂、神、そして翔陽の花形くらいである。
と言っても、1日でここまで衝突し合えるほうが異常なのだが。

(翔陽の長谷川さん……。試合では結構おとなしい人だと思ってたんだけど、三井さんにあんなに突っかかるとは……)

としては、長谷川にはぜひこの自己主張の強すぎる面々の緩衝材として機能して欲しかったのだが。

(福田くんも問題を起こさないと言えば起こさないけど……)

は水分補給をしている福田を見た。
目が合う。

「久しぶり、福田くん。裕子と最近どう?」

は、福田吉兆とは同じ中学出身である。
もちろん、福田吉兆の幼なじみであり、の親友である村上裕子も。
だが、その名を出した途端福田はブルブル震えだした。
冷や汗をかいている。

「……あ、相変わらず、みたいね」

福田の反応ではすべてを悟った。
村上裕子は、相変わらず福田の押しかけ女房をしているらしい。

「ダメだよ。フッキーにゆうこりんのこと聞いたら」

そして、もうひとり同じ中学出身の、神宗一郎が会話に入ってきた。
そう、福田もあまり主体的に問題を起こすようなタイプではないが、少しナイーブすぎる面がある。
さっき、彦一がうっかり福田の分のスポドリを渡し損ねた時も、必要以上にショックを受けていたように見えた。

(あとで彦一くんに注意しないと……)

彼だって福田と同じ学校なら、福田の性格をよく分かっているはずなのに。
選手のメンタル面のサポートをするのも、マネージャーの大切な仕事だ。

(そして……陵南といえば……)

問題の人間が、あと1人。
この人物は、他のメンバーと違って誰かにライバル心を燃やして衝突しようとしているわけじゃない。
だから、余計にタチが悪いというか、なんというか。
初日で早速ギスギスムードが始まった神奈川選抜のことを憂いて、は問題の人物である仙道彰を見た。
仙道彰はと目があったのを偶然だと思ったのか、ニコッと柔和な笑みを浮かべた。
そして、そのヘラっとした顔のまま、――喧嘩していることに気づいていないのか、気にしていないのか――清田信長と言い合いをしている流川楓に話しかけた。

「よお流川。さん元気?」

(バカ!よしなさいよ!)

夏の予選の時に、少ししかと流川楓が2人でいるところを見なかっただが、それでも流川があのを特別視していることは察していた。
その流川に対して、「さん元気?」なんて聞くのは、なんていうか地雷を踏みに行っているもんである。
案の定、

「仙道……、テメーになんの関係がある」

沸点の極めて低い流川楓の怒りに火がついた。
突っかかってきた清田を無視して流川は仙道を睨みつける。
もちろん清田はいい気がしないのでギャーギャー騒ぎ立てた。
仙道はそんな清田を見て「はは、ノブナガくんは練習後なのに元気があっていいなあ」と親戚のおじさんのような発言をして、火に油を注いでいた。

(ああ、もう。バカばっか!)

神奈川選抜。前途多難である。