夏休みの後半から、の様子が少し変わった。

「ねーねー、明日さ、いつもより早めに部活行ってもいい?」
「……おう」

夏休みのある日、国体の練習が終わり帰宅した流川楓に、はそんなことを言った。
そして更に、は、

「あんがと。じゃ、頼むね。今日サナさんが練習に来たんだけどさ、帰りにやっぱ4人だけの日でももっとプレスの練習したいなって話になってさ。あ、今日ね、男子と5対5で練習したんだけどねー……」

まるで、今日の出来事を親に報告する子どものように、流川にニコニコと報告した。
流川はそんなを、少し不思議な気分で見つめていた。
珍しいな、と思ったからだ。
がバスケの話題を家ですることなんて、あまりなかった。
玄関で靴を脱ぎ、リビングに向かう途中も、はちょろちょろと後ろに着いてきて今日あったことを話し続けた。
どうやらは、陵南の長妻が練習に来るようになってから、『大会へ参加』という当面の目標ができて部活が楽しいらしい。
長妻が来る前日――流川が国体の練習に参加する前日でもあった――にした会話の時は、相変わらずやる気がなさそうに見えていたが、もしかして。

(こいつも、ようやく真面目にバスケする気になったのか)

流川はの話を聞きながら少しだけ不敵な笑みを浮かべた。

(それに……前、バスケしてー相手が見つかったみてーなこと言ってたな)

そう、あれは確か、夏休みに入る前。
男子バスケ部で勉強合宿した翌日の事だった。
の様子はどこかそわそわして落ち着きがなく、聞いてみると恋だなんだと。
流川はその件を、「が惚れ込んだ他校の女子バスケ選手がいる」と解釈した。

「で、その時アサヒがカクセンパイのー……」

は流川があまり話を聞いておらず上の空なことに気がついたのか、わざわざ流川の前に回りこんで話し続けた。

だが流川は、ですら名前も知らないその選手と対決するを想像するのに忙しくて、やっぱりあんまり話を聞いていなかった。



84.ロウきゅーぶ!




 そして、夏休みも終わり、9月18日・土曜日。

「じゃ、いってきまーす」
「おー。……頑張れよ。決勝は行く」
「ん」
「行ってらっしゃいちゃん。気をつけてね」
「はーい」

妙な気分だ。
自分の家から、を送り出すのは。
流川楓はそう思いながら、自分もそろそろ出なくては、とスポーツバッグを背負った。
今日は女子の参加する大会の当日だ。
流川は国体の練習の関係で残念ながら観に行けないが、のやる気が十分な様子に、どこか満足気に口の端を釣り上げた。
やっぱり、夏休みの終わり辺りから、の様子は変わった。
今日の大会の参加を決めたのも本人であったし、今まで誘ってもあまり乗り気じゃなかった国体の試合も見に来ると言った。
この状態は、がバスケに燃えている、と解釈してもいいだろう。
表情にはあまり出さないが、流川楓の心は躍った。

(なんのために連れてきたと思ってやがる)

を、バスケ部に。
半年ほど掛かったが、ようやくは流川楓の望み通りに、バスケをするようになった。
流川は靴を履き、玄関にいる母親に「行ってくる」と簡単に挨拶をした。
今週は国体の練習があるため女子の参加している大会には行けないが、来週の決勝だけは見に行ける。

(ようやく、のバスケが見れる。久々に)

流川楓は、再び口の端をニヤリと釣り上げて、獰猛とも取れる笑みを浮かべた。

(早く明後日になりゃいい)

明後日になれば国体も始まるし、国体が終わればのバスケだ。
流川は――表情こそ変わらないが――上機嫌でリスニングの音声を聞きながら、自転車を走らせた。



「おい!アサヒこねーぞアサヒ!」
「どーせどっかで迷ってんでしょ……」

横浜駅では、顧問の鈴木と監督の安西、そして朝倉光里を除く湘北女子バスケ部と、陵南の長妻桜南が集合していた。

「どーしよ、とりあえず時間までに代表者はいなきゃヤバイらしいんだよね」

は駅前の時計を見ながら言った。
黛はため息をついて「私アサヒのバカ待ってるから、先行ってな」と言った。
結局鈴木と黛を駅に置いていったたちが体育館に着いたのは、登録受付終了5分前だった。

「こ、これ……おねがい、します……」

猛ダッシュをした後に人と話すのって割とキツイ。
はそう思いながら提出書類を渡す。

「はい。お預かりします。……ああ、すみません、参加申し込みの段階でチーム名が書かれていなかったのですが……」
「あ、そだった」

参加すると決めたのが割とギリギリだったので、はチームメンバーの名前と年齢をバババッと書いた後すぐにポストに投函してしまったのだった。
一応チーム名は当日でいいというふうに書いてあったので気にしていなかったが、気にしていなすぎて今の今まで忘れていた。

「うーん。サキチィ、なんかイイ名前ない?」

が藤崎に尋ねると、藤崎は「あるよ」と言って勝手に書類に名前を書きだした。

「……『ロウきゅーぶ!』?」
「バスケ部ってこと?」

何でこんな書き方をするんだろ、と長妻とは首を傾げた。
一人ひとりの名前が書いてある参加証を、不在のメンバー分も受け取り達はロビーで黛たちの到着を待った。



「おっせーぞアサヒ!」
「す、すみませ~ん!乗り換えを間違えて逆方向に行ってしまって……」
「いいから早く着替えてきなよ。まゆまゆ、これ参加証だよ」

どうにか試合前に黛と鈴木が、朝倉と合流することに成功して会場にやってきた。
達は朝倉への注意をそこそこに、出場の準備を促す。

「たく、試合前から無駄に疲れたっつーの」

黛は文句を言いながら藤崎から参加証を受け取る。
長妻は朝倉のここに至るまでの苦労話に耳を傾けてあげていた。
そして、黛は自分の参加証を受け取ったことで、あることに気がついた。

(……『薫』って……誰だよ)

どうやら、書類を記入したが漢字を間違えたらしい。
文句を言おうと思ったが、

「よし、じゃ準備出来た人から体育館の自由練習に参加ね!」

最近妙に張り切って部活を仕切るキャプテンを見ていると、まあ、文句は後で言うかという気分になり、とりあえず更衣室へと向かった。



 海南大付属高校の体育館では、監督の高頭もいよいよ最後の調整だ、といわんばかりに声を張り上げ指導をしていた。
明後日からいよいよ国体が開幕し、神奈川選抜も試合が始まる。
明日の練習は午前中で終わる軽い調整メニューのため、本格的な練習をする時間が取れるのは今日までなのだ。

「次、スクエアパスだ!」

神奈川選抜のキャプテン、牧紳一の声にも気合がこもっている。
その日の練習は、5時過ぎまで続いた。



 流川楓が帰宅すると、は既に帰っており、リビングのソファでぐったりとしていた。

「おい」

朝のやる気はどうした。まさかもう負けたのか?、と不安になり、寝転がっているを軽くキックしてみた。

「てめー女蹴るなよ……」

は機嫌悪そうに顔だけをこちらに向けた。
女子は今日二試合行ったらしいが、それのせいで疲れているのだろうか。
流川がそう思って訪ねてみると、「まあそれもあるけど……」とは起き上がってソファに腰掛けた。

「いちおー今日は勝ち進んだんだけどね」

そう前置きをして、は今日の大会について報告を始めた。

「一試合目さ……ちゅーがくせーだった」
「中学生」
「そ、ちゅーがくせー」

流川は何が起こったのかをなんとなく悟り、二人の間に気まずい空気が流れた。

「も、さ?中学生がさ、オールコートプレスに対応できるわけ無いじゃん?普通の地元の中学バスケ部みたいな子たちだったし。こう……なんか……。……アタシら、めっちゃ点入れちゃうじゃん?」
「……まあ」

オールコートプレスはうまく機能すれば短時間で10点も20点も積み上げることができる。
湘北も、IHで山王工業のそれに苦しめられた。
もっとも、達のプレスなど山王の熟練したオールコートプレスの比ではないが、それでも中学生の女子たちにそれに対応しろ、というのは酷な話だっただろう。

「なんか……前半終わった時点で80点位差ぁ開いてんじゃん?」
「……おう」
「……中学生泣いてるじゃん?」
「……ああ」
「……気まずいじゃん?」
「…………」

しょうがない、予選など無い普通の市民大会なのだ。
普通の高校生同士の大会ですら、一回戦目にそれくらいの実力差があることなどままある。
だが、それでも年下相手やってしまったという事実は、だいぶ心にダメージが来るものらしい。
のぐったりした様子を見て、流川楓はそう思った。

「だからさー、安西センセーに『アタシらこれでいーんすか』って聞いたんだけど、安西センセめっちゃ目をそらして『作戦がうまく行っているので、後半もこの調子でいきましょう』とか言ってんだよー!」

鬼である。

「でさ、後半10分過ぎた辺りで点差もう100点以上開いちゃってるから、タイムアウトん時『中学生泣いてるけどどーするんすか?』って聞いたらタヌキ寝入り始めたからね!あの人!」
「……おー」

続く二回戦も似たような展開にはなったが、相手が主婦のチームだったためまだやりやすかったらしい。

「あーあ、明日もこんなチョーシかなー大会」

はだらんとソファに沈みながら不満気に言った。
流川も、決勝はせめて実力が拮抗しているチームと戦ってくれ、と思った。

(よえーやつと戦ってるとこ見たって、意味ねー)

はうぅ~んと伸びをして姿勢を少し正した後、「るかわのほーはどーだったの?」と聞いてきた。
流川はその言葉にちょっと戸惑った。

「…………」
「え、なんで黙んの?」

は訝しむ。
流川はちょっと困った。
流川は、決して黙りたくて黙ったわけではない。
ただ、改めて自分の方はどうだったか尋ねられると、言葉が出てこなかっただけだ。
流川は、のように今日一日のことをさらっと語ることは非常に不得手としている。
その結果、

「イロイロ、あった」
「いろいろ」
「……イロイロ」

としか答えられなかった。
流川楓は、バスケをすること以外にバスケを語る手段を持たない男だった。

(国体でオレ見てたらわかるだろ……多分)

流川は自分のコミュニケーション能力不足を、プレイで補おうと思った。