(なんてカオしてやがる)

黛の罵声とも声援とも付かない声が耳に届き、流川はその方角を見た。
試合に夢中で気がつかなかったが、観客席のがひどくしょぼくれた顔をしているのがわかった。
伝わらない。伝わってない。
どれほど情熱を燃やしてバスケに打ち込む者たちが試合をしても、の心に火をつけることは出来ないらしかった。

(ふざけんじゃねー。オレを見ろ)

残り時間3分20秒。
流川が仙道から受け取ったパスでぶちこんだダンクシュートは、会場中を熱狂させた。
ただ一人、だけを除いて。



92.結局、最後はリバウンドだった。




 残り時間3分20秒、スコア89-93と秋田に遅れを取る中で、神奈川が最後の勝負に出た。
牧が、河田をマークした。
その変更に伴い、仙道は深津を、花形が野辺をマークする。
そのことに気がついた会場の観客たちはどよめく。

「どうなる?身長差が結構あるぞ……」
「ミスマッチだ!」

だが、そのミスマッチを狙おうと秋田の選手が河田にパスを出すことこそが、牧の狙い目だった。
牧は河田へのパスを読み、全力でカットする。
とにかく今は、河田にボールが渡りさえしなければいい。
そう思いながら。
牧のその思いを汲んだのか、はたまたチャンスがあれば何点でも取りに行こうとする男だからか。
流川楓は牧がカットしたボールを拾い、ドリブルでフロントコートへ向かう。
仙道のフォローも手伝って、流川はノーマークでレイアップを決めることに成功した。

「2点差!2点差だぁ!!」
「どうなる!?秋田か神奈川か!?」

時計はもう残り時間3分を切っていた。
だが、流川の先程からのプレイで火がついたのか、沢北栄治が黙っていなかった。
沢北は、「日本でやり残したことがある」と言って、わざわざ留学を延長してまで国体に出場したのだ。
この試合にかけている思いなら、きっと誰にも負けていない。
会場中の人間が、そう納得してしまうような鋭いドライブで流川を切り崩し、再び点が4点差に開いた。
「あいつこそが、山王の日本一を取り戻す男だ」と、観客の誰かが沢北をそう呼んだ。
だが、「日本一を目指し続ける男」である流川もやられっぱなしではいられない。
今度は流川がドリブルで沢北を抜き、2点追加した。
沢北が笑った。

「おもしれえ!」

流川がつぶやいた。

「オレが勝つ」

今日のこの2人の対決は、高校バスケ界の頂上対決の1つであったと言っても差し支え無いだろう。
少年たちは互いに火花を散らしあった。



 秋田ボールになり、深津はまず右45度にいる松本へとパスを出した。
松本は河田を伺うが、河田には牧がベッタリとマークをしていた。
ハイポストに移動した野辺が松本に合図を出し、松本は野辺へ、そして野辺は牧のいない角度から河田へパスを出すことに成功した。

(なんて綺麗なハイ&ロー。お手本にしたいくらいだわ)

ベンチにいるマネージャーのは、敵の連携に思わず感心してしまう。
牧の背後でボールを受け取る形になった河田に、すかさず花形がチェックにつく。
だが、河田は冷静に、花形が動いたことでフリーになった野辺を見逃さずにパスを出した。

「冷静や!周りがよく見えとる!」

相田彦一も、おもわず敵ながら天晴と言いたげな声を出していた。
野辺がシュートをする。
だが、

――バシイ!!

「なにぃ!?」

河田も思わず驚く。
なぜなら、完全にフリーだと思ってパスを出した野辺の背後から、流川楓がブロックショットを叩きこんだからだ。

(今日までの試合も十分凄かったけど、……今日の流川くんの気合は尋常じゃないわ。一体どうして……)

は握りしめた自分の拳が汗を掻いていることに気がついた。

(沢北くんに勝ちたいのはわかるわ。でも、今日の流川くんはそれだけじゃない気がする)

今の流川のブロックは、はっきり言って意外だった。
それは意表をついたプレイだった、という意味だけではない。
流川とはそう長い付き合いでもないが、それでもこの国体の練習を通して、には流川の強さもさることながら、と未熟な点も理解してきた。
彼にはまだ、試合で全体を見渡せるような視野の広さは十分には備わってない。
それでも今野辺をブロックできたのは、

(花形さんを、気にしてたのよね)

花形が、河田に出し抜かれることを気にしていた。
出し抜かれてもいいように、すぐにフォローに向かっていた、ように見えた。

(まさか。花形さんはともかく、流川くんがこの国体でそこまで花形さんを理解して、仲間意識を持ってたとは思えない)

が思考しているうちにも、流川は再び沢北と1on1を始める。
だが、沢北に追いつめられて手詰まりとなった流川は仙道へとパスを出した。

(あ、……若干、不満気?)

そう、こういう態度のほうが実に彼らしいのに、とは思った。

(じゃあ一体……誰のため?)

今度は河田が仙道をブロックした。

(さすがの仙道くんでも、高校ナンバーワンセンターの河田さんから点を奪うのは難しい、か)

相田彦一は「仙道さんがブロックされるなんて……!」と驚愕しながらもノートにペンを走らせた。
はブロックされたボールを牧が拾ったのを見て安堵する。
インサイドの牧に、すかさず秋田の選手がやってくる。
牧の本来のマークマンである深津がすでに4ファウルのため、ここは何人使ってでも牧の突進を止めなくてはならない、と判断されたのだろう。
だが、3人の選手囲まれた牧がにやり、と笑ったのを見て、は彦一に「牧さんを見ておいたほうがいいわよ」とアドバイスした。
そして、会場中の視線が牧に集まった、その瞬間。

「それから、神くんもね」

牧は、アウトサイドの神へとパスを出し、神はそのままノーマークでスリーポイントシュートを決めた。

「ああああああああ――――!!!!!!」
「スリー来たあああああああああ――――――!!!!!」
「神だ!!!!」
「そうだ!!!神がいたんだ!!!!!」
「神奈川逆転!!!!!!!!」
「ついに逆転だあああああああああああ!!!!!!」

スコアは96-95。
牧と神がハイタッチをする。
もそれを見て微笑んだ。

(牧さんはずっとこの瞬間を狙っていた。流川くんと仙道くんが暴れまわる中で、ただ虎視眈々とアウトサイドシュートを狙い続ける神くんがフリーになる瞬間を)

は口をあんぐりと開けたまま呆然とする彦一に、「これが海南のバスケよ」と言い放った。



(残り時間は1分40秒か……。逆転はしたけど……きっついなぁ)

はオロオロと、花形透を気にしたり、あえて見ないようにしていたり、どこか忙しなく観戦していた。
の心配していたとおり、逆転したのも束の間、深津と河田のコンビに神奈川は得点を許してしまい、再び1点差に逆転されてしまった。
残り時間は90秒を切った。
観客は、どちらが勝つのかまだわからないといった風に、白熱の応援を繰り広げている。

(……無理だな。負ける)

は、脳内で90秒後をシミュレートし、そして、『敗北』という二文字を意識してゾクリとした。

――ママ!見て!あたし勝ったよ!すごいでしょ、上級生のチームにも負けなかったんだよ!
――ねえママ!パパ!あたしを見て!
――せめて……勝ってる間くらい、あたしを見て……!!

(来るんじゃ、なかった)

は誰にも気づかれないように、唇を噛み締めた。



 ボールが仙道に渡り、河田との1on1になった。

(この試合、まだ誰も河田さんを止められていない……。仙道くん、やれるっていうの……!?)

を含めた会場中が、この2人の対決の行方に注目していた。
仙道は何かを狙っているようにドリブルを続ける。
24秒タイマーがカウントされていく。
仙道はまだ動かない。
河田もまた、何も仕掛けない。
残り8秒。

――ダム。

仙道がインサイドへ急発進。

(ダメ、まだ河田さんを振り切れてない!)

河田は一瞬仙道に遅れを取ったようだが、それでもまだブロックの届く範囲内だ。
だが、仙道はかまわず急停止してシュート姿勢に入る

(どうする……気!?)

そして、なんとそこからさらに一歩下がりながらシュートを放ってみせた。
河田がブロックに跳んだタイミングは完璧だったが、予想していなかった仙道のフェイダウェイに、会場中が呆然とボールを見送るしか無かった。

――ザシュ。

シュートが、入った。
「うわああああああああああああああああああああ!!!!!!!」
「おおおお――――――――――――!!!!!!決まった―――!!」
「すげええええ!!!!!ジョーダンばりのフェイダウェイだあああああ!!!」
「この時間帯でとんでもねえプレーが出たあああああああ!!!!!!!」
「あのツンツン頭!!あんなこともできるのか!!!!!!」

後ろによろめきながらガッツポーズを取る仙道に、会場中が爆発する。
相田彦一も、「アンビリーバブル!!!!!まさにアンビリーバブル!!!!これが仙道さんや!!!!!」と泣きながら叫ぶ。
も信じられない、という表情で仙道を見た。

(お、恐ろしい)

だが肝心の仙道は会場の声援もどこ吹く風で、花形に「技、借ました」などと飄々と言ってのけていた。
花形も驚愕半分呆れ半分で、「借りましたじゃないぜ…。オレのポストプレイからのフェイダウェイとお前のドリブルインからのフェイダウェイは全然違う…」と呟いていた。

(そうよ。それも、フル出場の仙道くんが、よ?信じられない……)

は、もし、近い将来海南の牙城を崩すものが現れるとしたら、……それは仙道彰かもしれない、と予感した。
その予感を本物にしないためにも、は自分の持てる全てをバスケ部に捧げようと誓いを新たにした。

(だって、……私にはもう、それしか残されてない)



 だが、仙道のスーパープレイで逆転できたのも、ごく短い間だった。
まずは秋田のスーパーエースの沢北が3点を返した。
後半残り48秒で、98-100。
そこからの16秒は、ボールの取り合いに次ぐ取り合いだった。
流川が沢北を振りきってシュートに行こうとするも、河田のブロックが跳んでくる。
だが流川はここに来てあくまでも冷静に、シュートではなくパスを選択した。

(流川、またパス出した……)

はそんな流川を見るたびに何故か胸が痛む。
まるで、流川が全然知らない人のように感ぜられるからだ。

(あんな状況でノーマークのでこひろしにパス出すなんて、今までの流川じゃ考えられない)

の知っている流川はあくまで1on1にこだわる、極めて視野の狭い男だった。
それがどうして、の知らないうちに、流川はいつの間にか変わっていたらしい。
だが、秋田も負けてはいない。
4ファウルのはずの深津が、大胆にも仙道からスティールを奪ってみせた。

「止めろ!!!死守だ!!!」

神奈川のベンチから指示が飛ぶのが聞こえる。
タイマーはすでに30秒を切った。これ以上点差を開かせるわけにはいかない。
だが秋田も冷静に、アウトサイドのパスを使って時間をいっぱい使った攻めを見せる。
24秒タイマーが残り6秒になり、試合の時間が残り14秒になった時、沢北へとパスが出された。

「秋田はここで決めてくるはずだ」

赤木が言った。

「流川ー!死ぬ気で止めなぁ!!」

黛が声を張って流川を応援した。
ハイポスト付近までドライブした沢北が急ストップをする。
流川も共に急ストップ。
沢北がジャンプシュートを放つ。
流川もブロックに跳ぶ。

「打ったああああああああ!!!!!」
「沢北のジャンプショット―――――――!!!!!!」

ボールは、流川の頭上を超えて放物線を描いた。

「チッ!」

黛が舌打ちするのが聞こえた。
だが、

「触ったぞ!!!!!外れる!!!!!」

流川が叫んだ。
そして、流川の言葉通り、沢北のシュートは軌道が逸れてリングで跳ねた。

「な…!!??」
「でかしたぞ!!流川!!!!!」

牧が叫ぶ。
そして、神奈川の選手が、全員同じ言葉を叫んだ。

「リバウンド―――――!!!!!!」

その言葉とともに、一斉にゴール下の人間が跳ぶ。
このボールだけは、誰にも譲らないと言わんばかりに。
残り時間は8秒。
観客たちも注目する。
魚住も赤木も思わず立ち上がって、声を張り上げている。
神奈川のベンチも総立ちで、リバウンド闘いの行方を追っていた。
だが、は座ったまま。

「……あの河田って人がさ、パワーあるくせに、ポジション取りもうまいんだよ……」

が諦めたように声を出したのと、河田雅史がボールに触れるのはほとんど同時だった。
弾いたボールの先には、沢北。

「沢北!!!!!」
「沢北――――――!!!!!」

観客たちが、「お前を信じていたんだ」と言わんばかりの歓声を上げる。
その期待に応えるかのように、沢北は弾かれたボールに掴みかかった。
残り6秒。
流川も仙道も牧も沢北を囲う。
最早ファウルは覚悟の上だ。
スコアは98-100。
もしここで神奈川がボールを奪うことができたら、同点になり延長戦だ。



沢北はその時、一瞬2つの選択肢を考えた。
自分で決めるか、誰かに任せるか、である。
この3人から6秒間逃げ切る自信はあった。
仮に延長戦になっても、勝つ自信があった。
それでも、最後、自分で決めることより仲間にボールを託したのは。
王者・山王のプライドがあったからかもしれない。
沢北はこの大会の後、延長していた渡米をする。
大会終了後から肩書が少し変わり、「王者・山王の沢北」ではなくなる。
だからこそ、もっとも信頼できる人に王者としての実力を持って、神奈川に敗北を叩きつけて欲しかった。
沢北が、河田にパスを出した。



――ドガッッ!!!!

河田雅史が、渾身のダンクシュートを決める。

――ビ――――――!!!

試合終了の、タイマーが鳴る。

「うわああああああ!!!!!山王が勝った――――!!!!」
「沢北―――――!!!!沢北がやった――――!!!!」

地鳴りのような歓声が響く。
沢北が吼えながら拳を突き上げる。
河田もまた、両手を上げて吼えていた。
喜びを爆発させる秋田ベンチと対象的に、神奈川のキャプテン牧紳一は、抱えたボールを落として深く息を吐いた。

スコアは98-102。
秋田選抜が、神奈川選抜に勝利した。