それにしても、どうしてこうなってしまったんだろう。
は一瞬で通り過ぎていく景色を眺めながら溜息をついた。

(……るかわのばーか)

はただ、流川に褒めてもらいたかっただけなのに。



95.流川楓、に急所を蹴られる。




「それ飲んだら戻るぞ」
「え……?」

試合を抜け出し廊下のベンチで休んでいたは、流川楓に買ってきてもらったペットボトルのスポーツドリンクを飲んでいた。
流川は先ほど、観客席での腕を掴んだ後自分も立ち上がり、「すぐ戻るっす」と先輩たちに告げての手を引っ張るようにしてここまで連れて来てくれた。
気分を悪くしてしまったのことを流川なりに気を遣っているらしかったが、それでもやっぱりどこか気が立っているような印象を受けた。

「いや、いい。……流川だけ戻ってよ」

試合時間は残り3分くらい程度である。
壁一枚隔てた会場の歓声がここからでも聞こえた。

――立花!立花!立花!

熱い立花コールが轟いているのが振動のように伝わる。
あのタイムアウトのあと、立花天音が巻き返しを図ったに違いない。
でも、にはわかっていた。
きっと、立花天音が負ける、と。
だから、見に行きたくなかった。
なのに、

「……行くぞ」
「ちょっと、痛いってば……!」

流川は相変わらずの無神経さでの腕を掴み、会場に戻ろうとした。

「テメー、いつまでふざけてるつもりだ」

流川の鋭すぎる眼光が、を射抜いた。



一方会場内では、

(う~ん。ちょっと遅いな……)

残り2分30秒。
仙道彰がすっと立ち上がり魚住に声を掛けた。

「オレ、ちょっとさんたちの様子見てきます」

と。

(ま、今の試合も見てたかったけど……)

扉に向かいながら、仙道はコートを一瞥した。

――「ほんまやったら……ここに、さんもおったんやろか……」。

コートを見て、悲しげに呟いた相田彦一の言葉を思い出す。

(さあな……)

仙道彰の関心は、今目の前で行われている試合より、もう少し未来の試合へと向いていた。



「ふ、ざけてるって、なんだよ……」

その言い草に流石にカチンと来て、は流川の手を振り払った。
なぜ流川はこんなに怒っているのか。には理解できない。

(なんなんだよコイツ……。急にキレやがって)

が睨みつけているのに怯みもせず、流川はぐいっとの両肩を掴んだ。

「オマエ、あの立花って女に興味あるんじゃねーのか」
「きょ、興味って……。そりゃ、気になってはいるけど……」
「試合見てーとか思わねーのか。立花と戦って、勝ちたいんじゃねーのか」
「えっ……!?」

流川の言っている意味がよくわからず、は睨むのも忘れて流川をまじまじと見てしまう。
一体、いつからそんな話になっていたんだろうか。
一体いつ、自分が立花天音と戦いたいだなんて言っただろうか。
流川じゃないんだから、とは言いかけたが、すでに怒り心頭の流川楓はそのままの体をドンッと壁へと押し付けた。

「イッタ……なにすん……」
「じゃあ、テメーなんで今日ここに来た。何しに来たんだ、テメーは」
「はあ?」

(な、何って……)

は流川の怒りに当てられて言葉を失ってしまう。

(何って……、アンタが、来いってゆったんじゃん……)

流川に掴まれている肩が痛い。

(アンタが、流川が来いって言うから、わざわざ、来たのに……)

なぜ自分はここまで責められなければいけないんだろうか。
はなんだか泣きたくなってきた。

(ああ、やっぱり来るんじゃなかった、こんなとこ)

の心に後悔の念が押し寄せる。
思えば今日は1つもいいことがなかった。
国体ではピリピリとした怖い試合が行われて、花形も流川も負けてしまった。
せめて少しは流川に役に立つことがしたいと思って作っていた学校のノートは意味をなくし、はすっかり居場所をなくしてしまった。
夏休みの前に出会った女の子の正体がわかったかと思えば、その子もまた、敵にも味方にも追いつめられて敗北寸前。
そして自分は何故か今、流川楓に異様に怒られている。

(なんでこうなっちゃうかな……)

の目頭が熱くなる。
はただ、国体に遊びに来て、流川に「よく来たな」って言って欲しかっただけだ。
流川に、認めて欲しかっただけなのに。

「おい、聞いてんのか」
「……トモダチが、いたからだよ」
「……は?」

なおも問い詰めてくる流川には俯きながら言い返す。
きっと流川には、今自分が泣きそうになってることなんて、だから俯いてるんだって、わかってもらえないんだろうな、と思う。
そう思うと、悲しくて、悲しくて。流川って全然アタシのことわかってくんねーよなぁ、と思って。
最終的には……、

「桜木が、桜木に会えるって聞いたから来たんだよ、わざわざ!栃木まで!流川が、流川やガッちゃんが頑張ってるって言うから!!わざわざ応援に来たんだよ!こんなとこまでさあ!!なのに怒られてバッカみたいじゃん!!!」

逆ギレすることにしたらしい。
は流川を突き飛ばす。
でも、当然ながら流川は微動だにしない。
だがそれでも、流川はが泣きそうになっているということにようやく気づいたらしく、「おい、てめー……」との頬に触れようとした。
「泣いてるぞ」、とか、「何泣いてんだ」とか言うつもりなんだろうとは思った。
でも、にだってプライドがある。
ここで泣いて喚いて「アンタに褒めて欲しかったの」なんて、口が裂けてもいいたくなかった。

「なんで泣い……」
「バカー!!!!」
「……!!!???」

はぐぐっと体を傾け顔を覗き込んできた流川楓に対し。
流川楓の急所に対し。
あろうことか、思いっきりキックをお見舞いしてやった。

「バカ!!流川なんて絶交だ!!!」

そして泣きながら国体の会場を後にした。



 その様子を覗き見ていた仙道彰は、身を隠していた角の壁からひょっこり姿を表し、心底気の毒そうな顔をして、

「……おーい。流川ぁ、……無事かー?」

と、うずくまっている流川楓に声を掛けた。

(コロス……!あの女ぶっ殺す……!!!)

流川楓は心の奥底からに対する殺意を漲らせ、仙道彰は(……ままならねぇなあ)と人生の歯がゆさを噛み締めていた。



(流川のバカ!流川のバカ!流川のバカ!!)

国体の会場から逃走したはひとまず宇都宮駅のマックへと逃げこんだ。
この店は全国どこでもあるのが素晴らしい。
のような非行少女だろうが赤木晴子のような品行方正の優等生だろうが、全員まんべんなく同じスマイルで受け入れてもらえる。
ただ、エグエグと泣いてる女子高生を慰めるサービスがないことだけが、この店の唯一の不満点だろうが。
は一番安いバーガーを3個頼み、更にポテトのLとバニラのシェイクを注文した。
自棄食いである。

(流川のバカぁ……。なんであんな怒ってんだよぉ……)

は、流川に褒めてもらえるなら何でもするつもりでいた。
流川が喜んでくれるなら、バスケだってちゃんとやる。
あの夏の日、男たちに襲われそうになったところを助けてもらった時、はそう決めていたのだ。
流川が母の代わりにを迎えに来てくれるのなら、は母にしてきたように、流川の言うことなら何でも聞こう、と。

(それがどうしてうまくいかないんだよぉ……)

は泣きながらちゅうちゅうとストローからシェイクを吸った。
家でがバスケの話を一生懸命しても、流川はニコリともしない。
あれ?これを求めてるんじゃなかったのか?とは軌道修正しようと思ったが、流川は言葉をしゃべらない。
ヒントがないから、とりあえず流川の役に立とうと思って、ノートを綺麗にとった。
来て欲しそうにしてるから、国体に来た。
バスケをして欲しそうにしてるから、部活だって大会だって頑張ってる。

(これ以上アタシにどうしろってんだよ……ばーか)

は机にうつ伏せになった。
でもじっとしていたら(何でアタシが落ち込まなきゃいけねーんだよ!)とふつふつと怒りが湧き上がってきて、はほとんど空になっているシェイクを無理やり吸ってむせた。



 しばらくして、

「うわ、ブスがいる」
「……まゆまゆ~~~!」

宇都宮駅のマックでを発見してくれたのは、黛繭華と赤木晴子だった。
黛は心底バカを見る目つきで、晴子はとても心配そうな目でを見ていた。
黛に「ブス」と言われてしまったのでは涙を拭き取りチーンと鼻をかむ。
晴子が「大丈夫?ちゃん。……流川くん、なんだかものすごぉく怒ってたけど……」と言ってきた。
は「知らない、知らないよぉ!アイツがわりーんだよぉ!」となおもぴーぴー喚いた。
のその様に晴子は苦笑いをしている。

「ほら、とりあえず新幹線のホーム行くわよ。桜木が見送ってくれるってさ」
「うっう……ホーム行くぅ……」
ちゃん……」



 改札に行くと、すでに湘北のバスケ部メンバーと桜木軍団は集合していた。

「おお!さん!先ほどあのキツネを成敗したという話は本当ですか!?」

桜木はの涙に気づかないのか、無神経にも先ほどの話を蒸し返してきた。
石井が慌てて「ダメだよさんに流川くんの話しちゃ!」と止めるが、は(思い返せばコイツもワリーんだよなぁ……)と石井に喧嘩の原因を転嫁してジトーっと睨んだ。
安西は桜木にリハビリの進捗を聞き、桜木はもうすぐ復帰ができる、という具合の報告をした。
「おおー!」と桜木軍団を含めた男子から歓声が上がる。
彩子も晴子も良かった、という顔で桜木を見つめている。
とりあえずは10月には学校に通う、とのことだった。
そして、新幹線がやってくる時間になった。
皆で桜木に別れを告げる。
も桜木に「バイバイ。またね」と挨拶する。

さん!」
「ん?なに」

改札をくぐった時、桜木に呼び止められる。

「……あ、イヤ。またバスケ教えて下さいね!この天才、すぐに復帰してみせますから!」
「……うん!待ってる!」

桜木は腕をぶんぶん振り回しに手を振った。もつられて振り返す。
新幹線の到着するホームに向かいながら、初めて今日いいことあったな、と思うであった。



「へー。じゃあ明日は男子試合やんないの」
「そう。決勝は明後日。男子は愛知選抜と秋田選抜。女子は明日、北海道選抜と愛知選抜が戦うのよ」

女子と安西は指定席に座り、黛と晴子は国体の話題で盛り上がっているようだった。
は通路を挟んで安西・彩子・の順で3列の席の窓側に座っていた。

「ほら、ちゃん。立花天音のインタビュー載ってるわよ」

彩子がバスケ雑誌を広げて見せてくれる。

「へー……。そんな有名な子だったんだ……」
「お兄さんが元・全日本の選手だったからね。お兄さんの監督する一宮高校に入った今年、注目されてるのよ」
「ふぅん……」

彩子から借りた雑誌をペラペラめくる。
は立花天音がどんな人物かなんて、たった1ページのインタビューなんかでは理解できるとは思えなかった。

(もっと知りたいな……立花のこと)

は「ども」と言って彩子に雑誌を返す。
彩子はまた違うページを読み始めて、は特にすることもなかったので窓の景色を見ていた。
それにしても、どうしてこうなってしまったんだろう。
は一瞬で通り過ぎていく景色を眺めながら溜息をついた。

(……るかわのばーか)

はただ、流川に褒めてもらいたかっただけなのに。
流川たち神奈川選抜が戻ってくるのは土曜日の夜だ。
翌日の日曜日は、たちが順調に勝ち進めば市民バスケ大会の決勝の日である。
昨日までは(流川にいいとこ見せたいな)と頑張っていたのに、その気持もすっかり萎え気味だ。

(流川がワリーんだよ!)

は怒りに任せて口の中のアメを噛み砕いた。

くん」
「はい?」

彩子の席を1個とばして安西が話しかけてくる。
安西はほっほっほ、と笑いながら、「どうでした?国体は」と尋ねてきた。

「つまんなかったです。神奈川選抜負けちゃうし、流川と喧嘩しちゃうし。もーサイアク」

は思った通りのことを口にした。
安西は再びほっほっほ、と笑うだけだった。



 もうすぐ東京駅に着く。
生徒たちはすっかり眠ってしまったらしい。
自由席にいる男子たちは赤木がいるから大丈夫だとは思うが、こんな大人数の長距離移動はやっぱり心配なものである。
安西は誰を先に起こすのが一番得策かを考えて、とりあえず寝覚めが割と悪い彩子は最後にしようと思った。
黛繭華と赤木晴子なら他のメンバーを起こすのも手伝ってくれるだろう。
安西は窓の席で眠っているを見た。

『つまんなかったです。神奈川選抜負けちゃうし、流川と喧嘩しちゃうし。もーサイアク』

安西は、また随分と子供っぽい意見だなぁと思った。

(……くんには、まだ早かったかなぁ)

顔を掻きながら、誰に言うでもなくそう思った。



 翌日。

「お、おい……石井、ちゃんすげーブスだけど何があったんだよ……」
「い、いやぁ、それが……」
「あれだろ、どーせ流川と喧嘩したとかそのへんだろ」
「あ、その名前を出しちゃ……」

昨日に引き続き不機嫌全開のは、ふくれっ面で教室の席に座り、「流川」という単語が聞こえた瞬間ムキー!と暴れだした。

「わあ!さんが流川くんの席蹴っ飛ばしたぁ!!」
「ちょっと級長!さん止めてよー!」

女子がきゃあきゃあ悲鳴を上げるのを無視しては流川の席を蹴ってひっくり返してしまった。

さん!?とりあえず落ち着いて……」
「うっせー!これが落ち着いてられるかバカヤロー!」

昨日は散々だった。
せっかくの祝日だったのに、嫌なことばっかりだった。
は「それもこれも流川のせいじゃい!あと石井!!」と言いながら流川の席を蹴った後、石井も蹴った。
石井は「な、なんで……」と泣いた。

「きゃー!級長!さんが流川くんの席に落書きしてるー!」
「しかも彫ってるから消せないよー!?」
「ギャハハ!ちゃん超器用!」

石井の手当に追われていた級長はその報告を聞いて慌てる。
は器用にも、カッターで流川楓の机の裏に「絶交だ!」と彫っていた。



(流川くん……早く戻ってきて……)

級長は、(やっぱり僕にさんは手に負えそうにない……)とげっそりした。