が流川楓の机に彫刻をしている時、神奈川選抜は泊まっている施設の食堂で朝食をとっていた。

「よお、流川」
「ここ、いいか?」
「……うす」

翔陽の藤真と花形が流川の目の前の席に陣取る。
ホテルの朝食はバイキング形式だ。
流川も花形も藤真も、例外なく肉と炭水化物多めにこんもりと皿に載せていた。

「こういうバイキング形式のベーコンて妙にかてぇんだよなぁ。冷めてるしよ」

藤真健司は文句を言いつつベーコンを口に運ぶ。
そしてよく噛んでごくん、と飲み込んだ後、

「流川、に金蹴りされたって本当か?」

花形透が隣でパキっと音を立てながらソーセージを折って食べていた。



96.少年と少女




 そういう生意気な女は制裁しなくてはならない。
そもそも、男の大事な部分を蹴るような女は例外なくクソだ。
まるで男に対する敬意がなっていない。どうせあいつもいつかそれでヒィヒィ言わされ「藤真、食事中だ」「あ、ワリィ」。
藤真健司は昨日のの流川に対する仕打ちをくどくどと批判し始め、最終的に「そういう教育のなってねーバカ女を放置してるテメーもワリーんだぞ流川」と、流川も説教された。

「たく、あんな奴がの親戚とか信じらんねーよな」

藤真はそう言ってガツガツとサラダを食べ進める。
本当は野菜は苦くて嫌いだが、スポーツをやる上では絶対必要だから仕方なく食べてんだ、とオレンジジュースで飲み下しながら言った。

「ま、の受け売りだけどよ」

藤真は空になったコップをとん、と机においた。

「……『』って誰っすか」

流川は今日初めてまともに喋った。

「は?オマエから何も聞ーてねーのか?オレの彼女だぞ?」
「そして、の従姉妹だ」
「…………?」

流川は一瞬思考が停止した。

の、従姉妹?)

はちょっと前、昔世話になった従姉妹がいて、そいつにはもう会えなくなったとか大げさなことを言っていたような気がする……、と流川はうっすら思い出してきた。

(めちゃくちゃ近くにいるじゃねーか、どあほう)

あの女は意味がわからん。流川はそう思いながら乱暴に目玉焼きを箸で割った。
でろっとした黄身が出てくることを期待したのだが、残念ながら卵は完熟だった。

「ま、つまりだ。もいずれオレの親戚に組み込まれるわけだから、きっちり教育しとけよ。お前んち住んでんだろ?あいつ」
「……まあ」

流川は藤真の威圧的な物言いに若干居心地の悪そうに返事した。
藤真は「ああいう男を舐め腐った女は一度痛い目みねーとわかんねーんだよ」と続ける。
流川もそれには同意する。
実際、男の股間を蹴る、というのはそれくらい重罪なのである。
そして藤真は続けて、

「けど、あんな奴でも意外と誰かと付き合ったら変わるのかもな。……三井とか」

と、割と聞き捨てならないことを言った。

「……なんで、三井先輩なんすか」
「は?オマエには関係ないだろ?」

藤真はきょとん、とした顔で言う。
確かに、確かに関係ないが。

(なんだこいつ……)

なんだか藤真に無性に腹が立った流川だった。
花形は慣れているのか、藤真の言動を一切気にせず食事のお代わりに向かっていた。



 本日は女子の試合の見学だ。
神奈川選抜のメンバーは各々好きなメンバーと好きな場所で観戦をしていた。
流川は一人で、北海道選抜と愛知選抜の対決を睨みつけるようにして見ている。
国体の決勝戦だけあって、全員女子とは思えない気迫をぶつけあっている。
凄まじいシュートの応酬。ディフェンスのぶつかり合い。
でも、この中のどの選手も、流川にとって以上に気を引く者はいなかった。

(あいつにやる気がねーのは、別に『女子だから』ってりゆーじゃねーと思う)

女子にだって、バスケに情熱を燃やす奴なんていくらでもいる。
じゃあなぜ、はいつまでたってもバスケに関心がないのだろうか、流川は疑問に思う。

(オレとあいつは、違う)

それはもうわかっている。
だが、流川には結局、その違いが許せないでいる。
に自分とおなじになってもらうには、やっぱり、どうしてもバスケに対する情熱が足りない。

(許せん)

適当にバスケをしている、が。
流川はひとりでメラメラと怒りを燃やした。

「よお、流川」
「……仙道」

気がついたら前半が終わり、休憩時間になっていたらしい。
仙道彰は「ここいいか?」とわざわざ流川の隣に座った。
仙道は周りを見ながら「平日だから流石に昨日ほど客いねーな」と世間話を始めた。
流川としては別に仙道と話したいことなどないので、とりあえず黙って聞いていることにした。
仙道はそんな流川の態度に苦笑し、

「昨日、あのあとさんと仲直りしたか?」

と聞いてきた。
どうやらこれが本題だったらしい。

「……してねー」

あいつはあの直後とっとと帰りやがったんだ。文句をいう暇もなかった。と、流川は昨日の「事件」を思い出しながら再び怒り出す。
仙道も「うん、まあ、アレはねーよなぁ……」と流川に同情を寄せた。

「でも、そもそもお前らなんで揉めてたんだ?」
「…………」

そう言えば、なぜ喧嘩になってしまったのか。
流川はちょっと頑張って原因を思い出そうとする。
そして結論が出た。

がわりー」

が、男子の試合に引き続き、女子の試合もまともに観ようとしなかったからだ。
流川は、それが癪に障った。
「オマエ、この試合観て何も思わないのか」と。
しかし問いただしてみればは「トモダチがいるから国体に来た」だのトンチンカンなことを言い出し、最終的には股間を蹴って逃げ出した。
流川の怒りがふつふつと蘇る。
仙道はそんな流川を見て「おお、こえーな」と言った。

「確かに、さんちょっと変わってるよな。勝ったりすることにあんまキョーミないのかねぇ」

仙道はのんびりとした口調でそう告げた。

「それで済まされる実力じゃねーだろ、あいつは」

流川は苛立つながらそう返した。
興味が無いからって、何だと言うんだ。
興味が無いからバスケしません。で済むような実力ではないのだ、は。

「じゃあ……なんでなのかな。さんがバスケに興味ないのは」
「……知らん」

あのどあほう女の考えてることなんて、わかるわけがない。
流川がそう言うと、仙道は再び苦笑し、こう言った。

「でも、案外誰かに聞いて欲しそうな顔してたぜ、さん」
「……テメーになにがわかる」

仙道の口調から滲みでる余裕そうな態度が気に食わなくて、流川は仙道を睨みつけた。
思えば、仙道彰は怪しいのだ。
妙にの理解者ぶるというか、なんというか。
流川には細かいことはよくわからないが、それでも今までの態度を加味するからに、「仙道にはに対して何らかの下心がある」と確信させるには十分だった。

「そもそもテメー、と何話してたんだ」
「え?あー、動物について、だな」

仙道の言葉は相変わらずぼんやりとしていて輪郭がつかめない。
嘘は言ってないが、本当のことも言ってない、……気がする。

「じゃあ、その前は何だったんだ」
「その前?」
「県予選の、女子の一回戦が終わった時のことだ」

流川が凄むと、「おー、よく覚えてんなそんなこと」とへらっと笑った。
そして、「あ、そろそろ休憩終わんな」と嘯いて席に戻っていった。
流川が時計を見ると、ハーフタイム終了までまだ5分以上残っていた。



「ありがとうございました!!」

土曜日。
『ロウきゅーぶ!』こと、湘北女子バスケ部+陵南の長妻桜南のチームは、準決勝も順調に勝ち進んでいた。
は相手チームの主婦っぽいキャプテンの女性に、「あなた達ほんとうに強いのね!」と握手を求められた。
「どもっす」と言いながらはその握手に応える。

「明日の決勝もがんばってね。確か……、大学生のチームよ。割と上手な子たちが揃ってるみたい」

相手のキャプテンのアドバイスに、はふむふむと頷く。
そして、「誰が相手でも大丈夫っすよ。アタシら強いんで」と返事をすると、「頼もしいわね」と笑われた。
控室に戻り全員着替え始める。

「とうとう明日は決勝ですね!」
「う……ぐす、わ、私、自分が決勝の舞台に立てるなんて、夢にも思わなくて……!」
「サナさんもう泣いてる……!?」

部屋中に制汗剤の匂いが充満する。
朝倉と藤崎は早くも感極まってしまった長妻桜南のことを慌ててなだめていた。
は、このチームでバスケをするのが好きだなぁ、と思っていた。
一大会限りのメンバーとはいえ、仲がいいし、結構皆頑張ってる。
そこそこ強いし、明日の決勝戦もそう悪い結果にはならないだろうと思った。
そして自分自身、このチームで満足していた。
楽しくやれるから。
楽しくやれるなら、バスケは嫌いじゃない。
今日はこの後、一回戦でボッコボコにやっつけてしまった中学生チームと約束がある。
大会の運営の人によると、体育館は1日単位で借りているらしい。
だから先週のように1日2試合を消化していたのとは違い、午後は空くのだ。
そうしたら、中学生チームのキャプテンらしき女の子が、「教えて下さい!」とに話しかけてきたのだ。
強くなって、来年はもっといい成績を残したいのだ、と。
朝倉なんかは熱血バカだからが返事をするより早く「やりましょう!」と答えてしまった。
まあもともと断る気はなかったので良かったが……、は先程のやり取りを思い出して苦笑する。

「ほら、サナさん泣きやんで。中学生たち昼食ったらまたここ来るらしいから。とりあえずみんなでお昼食べに行こ」

の呼びかけに、全員再び身支度を進める。
はやっぱり、このチームが好きだなぁと思った。

『テメー、いつまでふざけてるつもりだ』

国体なんかより、この大会のほうがよっぽど楽しいよ。



「へー、じゃあ明日は陵南の人達も見にくるんですか!」
「そうなの!田岡先生も来てくれるって!」
「湘北も男子が応援に来てくれるそうなんです。国体組は確か今日戻ってくるんですよね?」
「そうそう。今頃決勝かなぁ……」

朝倉と長妻はファミレスで注文した料理を待ちながら、時計を確認した。

、なに書いてんの?」

ご飯が来る前に、とガリガリ書類を書き進めているを黛は不思議そうに質問する。

「これ?あ、そーだよ、言ってなかった。ほら、土曜の大会の日は公欠届出すようにって鈴木センセに言われてたじゃん?なんか公欠届ってさぁ、公欠と準公欠の2種類あるらしくてさぁ……」

今回のような、高体連が運営していない大会は準公欠扱いとなって、年に2回までしか認められていないらしい。
もそれを知らされたのは金曜日のことで、「このままじゃお前ら全員サボり扱いだぞ」と担任に公欠届を突き返されることにより初めてその仕組を知ったのだ。

「じゃあ今年は、もうこういう大会には出られないってこと?」
「まあ、そうなるね。あとは冬の選抜くらいになんのかなぁ」
「そう、もっと出たかったんだけどね」

仕方ない、と黛は髪をかきあげる。
特に書類の作成を手伝う気はないらしい。
だが、たしかに黛の指摘する通り、女子バスケ部は先週の土曜と今日で、準公欠を使い果たしてしまった。
高体連の運営する大会では、他校の生徒は使えないし、まして長妻は本来ライバル校の生徒だ。

(冬の選抜なぁ……)

今更ながら4人しかいないという事実が重くのしかかる。
それに、

(立花天音……絶対冬も出てくるよな……)

は立花天音の姿を思い出して少し胸を高鳴らせて、コップに入っていた炭酸飲料をぷはーと飲み干した。



 その頃、国体では。

「山王だ!!!!!!」
「山王が勝ったあああ――――――!!!!!!」
「山王が優勝だああ――――――――!!!!!!!!!」

山王工業、こと秋田選抜の優勝を称える歓声が鳴り響いていた。
今年の夏の覇者・名朋工業を擁する愛知選抜は、山王工業の前に敗れたのだった。
観客の興奮も冷めやらぬ中、流川楓は観客席を立ち上がり会場を抜けた。
自販機で飲み物でも、と思い向かった先には。

「……お」

――ピ。ゴトン。

仙道彰がいた。
なぜこの広い会場、自販機なんていくらでもあるのにこいつと顔を合わせなきゃいけないのか、と思った流川は無視して踵を返す。
が、

「お前もなんか飲むか?おごるぞ」

と言われてしまったので、「……じゃあ、これ」とお言葉に甘える事にした。



 別に仙道彰としゃべることなど何もない。
それは向こうも同じのようで、流川と仙道はひたすら無言で缶ジュースを飲んでいた。
向こうでは山王の堂本監督がインタビューを受けているのが見えた。
飲むものも飲んだし、もう行くか、と流川が一応仙道にお礼を言って立ち上がると、仙道は「お、もう飲んだ?」と、とっくに空になっていたらしい缶をゴミ箱に捨てて立ち上がった。

「……さんのことだけど」

またその話か、と流川は仙道を睨みつける。
流川はまずその女の名前を聞きたくなかったし、仙道がの名前を呼ぶのも気に食わなかった。
廊下を歩き続けながら、仙道は続ける。

「ちょっと昔の知り合いに似てて、なーんか気になるんだよな」

(知らん)

流川はそう思いながらツカツカ歩いた。
その時だった。

「おい!?沢北、よせ!」
「やめろ!!!」

『沢北』、という単語にピクリと反応して、流川はその声が聞こえた方向に急行する。
見ると、山王工業の沢北栄治が同じチームのメンバーに取り押さえられている。
だが、沢北はそれを意に介さず、ひどく興奮した様子で――そして、泣きながら――同じく山王のメンバーに保護されている、ある少女を睨みつけていた。
少女の顔はここからではよく見えない、どうやら顔を抑えているらしかった。
状況から察するに、殴られたらしい。
おそらく、沢北栄治によって。
流川も仙道も普段の沢北をよく知らないが、それでも女に手を上げるような奴には見えなかった。
それは山王工業のメンバーも同じだったらしく、呆然としながらも沢北を取り押さえている。
しかし、それでも沢北は、一心不乱に少女を睨みつけ、

「お前っ!何、考えてっ……!なに、考えてんだよぉ!西園寺ぃ!!」

と吼えた。
西園寺と呼ばれた少女は、ひどく、憐れむような、そして羨ましがるような目で沢北を見て、「ゴメンネ、沢北くん」と言って、河田美紀男に救護室へと連れて行かれた。
沢北はなおも泣きながら、「チクショウ、……何でっ!!」と暴れている。
一体、ここで何があったというのか。
国体を優勝したというのに、とても祝福する気にはなれない、異様なチームの様子だった。

「……沢北」

河田雅史が、同情を寄せるように沢北の名を呼ぶ。
沢北は泣きながら、「河田さんだって知ってるでしょう!?アイツが……西園寺が……、どんくらい実力あるかなんて……!!」と壁を殴った。
流川楓はその様子を見ながら、そして、沢北栄治を見ながら、「オレも、ああしてやりゃあよかったのか」と呟いた。
仙道は何か思案するように目を伏せた後、たっぷり間を置いて、「………………やめとけ」と言った。
その声は、どこか遠い昔に思いを馳せているような、哀愁に満ちた響きを孕んでいた。