「結局、昨日までのメンバーとあまり変わらないな」
と、呟いた。
98.三井くんと悩める青少年
神奈川選抜のメンバーが国体から戻ってきた翌日の日曜日。
(よし、キマった)
ワックスで髪を整え、「いっ」と口の形を変えて差し歯も確認。
三井寿は、家の洗面所の鏡を占拠して身だしなみを整えていた。
「寿、アンタ最近鏡の前にいる時間長いわねぇ」
突然、にゅっと母親が洗面所に顔を出した。
思わず動揺してしまい、ワックスの容器の蓋を落としてしまう。
「な、なんだよおふくろっ」
慌てて転がるワックスの蓋を拾い、締め直す。
母親は脅かすだけ脅かしておいて、「まあ別になんでもいんだけども」と戻ってしまった。
(たく、なんなんだよ……)
心のなかで悪態をついても、母親を邪険に扱うような真似はできなかった。
こちらには色々と負い目があるし、なにより、最近出かける前に鏡を見る時間が増えたというのは事実だったからだ。
下手に反論したら、そこを指摘されるに違いない。
三井は冷や汗をかく。
(今日、……と話せるといーんだけどよ)
部屋に戻り財布を確認する三井。
その財布の中には、地元の水族館の優待券が2名分入っていた。
「さーて、お前ら今日は女子の応援だぁ!気ぃ抜くなよ!!」
キャプテン宮城の号令で、三井たち湘北高校男子バスケットボール部は女子たちの参加する市民大会の会場へと向かった。
三井は小さな声で「オメーに言われなくてもわかってんだよ」と宮城を小突いた。
そして会場の入り口で、
「あ、宮城くん!こっちこっち!」
「どもっす、椎名先輩。場所取り任せちゃってスンマセンした」
「いーよいーよ!皆久しぶりー!!」
湘北高校3年生、元・女子バスケ部キャプテンの椎名愛梨と合流した。
椎名は女子が決勝まで進出したと聞き、応援に駆けつけてくれたらしい。
本当は赤木と木暮も誘ったのだが、残念ながら2人が通っている塾は今日が模試の日らしい。
それを聞いた宮城は、「赤木のダンナそんな時なのに国体来てたのかよ……」と少しげんなりするような態度を見せていた。
椎名は「まあお客さんあんまいないから割と好きな席取れたんだけどね」と言いながら宮城に代わって先頭を歩き、顧問の鈴木と共に男子を引率した。
「晴ちゃーん!彩ちゃーん!男子連れてきたよー!」
「……あれ?」
三井の後ろにいた石井がふと、声をあげた。
三井もつられてその方向を見る。
そして、すぐに石井が声を上げた理由に気がついた。
先頭の席に、マネージャーの赤木晴子と彩子が座っている。
それはわかる。
だがなぜ、マネージャーたちの席と通路を挟んで隣側の席に、
「あー!テメーら!何でこんなとこにいんだよ!」
「よぉ。湘北も到着か」
海南の神、清田、と、陵南の仙道、福田と、恐らく陵南生だろう女子2人が座っているのだろうか。
(あの女子2人……確か国体に出てたな。陵南の村上と……小野田か。でもなんでここにいるんだ?)
湘北の男子たちが頭に疑問符を浮かべながらも席に向かう。
全員が座った後、海南の神宗一郎があたりを少し見渡し、やれやれ、と言いたそうな雰囲気で、
「結局、昨日までのメンバーとあまり変わらないな」
と、呟いた。
「オレと福田は村上に誘われて。まあ、同級生の長妻が試合に出るしな」
「そうそう、サナの晴れ舞台を見に来たんだよー!ね?エリ?」
「まあ、一応ね」
福田は3人の言葉に同意するように頷いた。
凛々しい眉が特徴の村上裕子という女が説明するには、陵南のメンバーと海南の神・の5人を誘ったのは村上裕子本人だということだった。
海南は今日、部活が休みだったらしい。
国体中にそれを聞いた村上が、神とをこの大会に誘ったらしい。
そして清田は神曰く、「オレとが2人でどこかに遊びに行くって誤解したノブが無理矢理着いてきたんだよ」とのことだった。
「へぇ?じゃあ陵南も休みだったの?」
マネージャーの彩子が尋ねる。
湘北側としては、彩子がごく普通の疑問を投げかけただけに見えたのだが、陵南の4人はなぜか揃いも揃って苦笑いを浮かべ言い淀んだ。
「あははー。……本当はねー、今日午前中は部活あるはずだったんだけどねー」
村上が何故か照れ笑いを浮かべる。
エリ、と村上に呼ばれた女は、小野田 衣梨奈(おのだ えりな)と言うらしい。
男子からも女子からも「姉御」と呼ばれてそうな雰囲気を持つ小野田は、溜息をつくように「……がね」と言った。
続けて福田が淡々と、「……昨日、監督を海に突き落として、今日の部活はナシになった」と述べた。
湘北と海南のメンバーがその話に目を丸くして驚いていると、仙道彰は「え?オレさんが監督を火にかけてバーベキューにしかけたって聞いたんだけど」と、また違う驚き方をしていた。
陵南勢は、「男子から聞いたか女子から聞いたかで話が若干違う」と盛り上がり、最終的に村上の「ま、あたしたちも国体があったからよく知らないんだけども、とりあえず学校は今『事件』で持ち切りなんだよ!」と言う発言でしめられた。
「陵南ってけっこーデンジャラスなんだね……」
隣に座っていた椎名が、目をしばたたかせて耳打ちしてきた。
三井も思わず頷く。
(教師燃やしてバーベキューだとか海に突き落とすとか……。鉄男ですらやんねーぞそんなこと……)
『事件』とは、いったいどんな凶悪な生徒が引き起こした事件なのだろうか。
とりあえず三井は田岡茂一に同情した。
「それで、湘北さんはなんでこの大会の応援に?」
海南のが言うと、湘北・陵南の2校が「あれ?」という顔をした。
は「何か変なこと言っただろうか」という風に若干焦りを顔に滲ませる。
それを見て、村上が笑いながら説明する。
「ごめんごめん、にまだ言ってなかったっけ?今日出場するって言ったサナだけどさー」
「うん、長妻さん。あのちっちゃい子でしょ?」
「そうそう。その子なんだけど、湘北のチームと出場するんだよ!」
村上の発言を受けて、は「えっ!?」とひどく驚いたようだった。
しばらくして、女子の選手が入場し、決勝戦が始まった。
は、観客席でその試合を観戦する。
先ほど、裕子の言った通り、長妻桜南の参加しているチームの残りのメンバーは湘北の女子であり、監督も湘北の安西が行っている。。
チームのキャプテンは、が務めていた。
(なんで……よりによってなのよ……)
は誰にも気づかれないように溜息をついた。
だが、そんな風に他人から見えないように自分の感情を処理するとは裏腹に、清田は大きな声で「なんでさんも神さんもせっかくの休みの日にの試合なんか見にきたんすか」と文句を言った。
神がすかさず清田を「うるさいよ」とぽかっと殴って注意した。
は通路を挟んで隣に座っている湘北のマネージャー2人に、「ごめんなさいね、口が悪いだけなの」と微笑んで誤魔化しておいた。
そして神と同じく清田を注意するために清田の方へ向き直った。
でも、ちょっとだけ、思ったことがそのまま口にできる清田が羨ましいと思った。
(ノブは別にさんのこと、嫌いじゃない。……だって、ノブはさんのこと何も知らないもの)
――そう、のことを嫌っているのは、あたしだ。
清田はただ、自分との関係を勘ぐって毛嫌いしているに過ぎない。
は、コートで行われている試合を見下ろす。
相手は自分たちより少し年上だろうか。
チームプレイでよくまとまっているが、恐らくたちの敵ではない。
試合が開始して7分ほど経った段階で、すでにそれはわかっていた。
スコアは拮抗しているが、たちはまだこれといった攻撃を仕掛けていない。
決勝戦ではあるが、きっと誰もには喰らいつけずに終わるだろう、とは予想した。
(そう、一応決勝戦、なのよね……)
は観客席を見渡す。
観客席にいるのはおそらく、この大会の参加者や身内がほとんどだろう。
だってそのひとりだ。
湘北にしろ、陵南にしろ、皆身内が出場しているから応援に来ているのにすぎない。
昨日までの国体とは、真剣さが違う。
そりゃ、試合している人たちは真剣だろうが。
でも、国体でが見て聞いて、感じた試合の雰囲気とは、まるで違った。
(まあ、当然か)
国体のような、熱意のある観客の声も聞こえない。
スーパープレイも見れない。
今ここで行われているのは、どこにでもありふれた、普通のバスケの試合なのだから。
(もし、私がバスケの取材の人だったら……選手じゃなくて真っ先にここに話しかけに来るわね)
はちらりと観客席のメンバーを見渡す。
湘北の三井、宮城、流川。
陵南の仙道、福田、裕子、小野田。
そして、海南の神、清田。
この人たちは全員、昨日まで国体で活躍していた選手だ。
そんじょそこらの女子高生の試合を記事にするより、彼らにインタビューしたほうがよっぽど売れる。
それでも……、
「いっけー!サナ!」
「サナ!24秒狙えるよ!!」
友人が出ている試合というのは、レベルなど関係なしに彼女らにとっては楽しいものなのだろうか。
それとも、
「お、女子がゾーンをしいたぞ?」
「いけー!ー!テメーなら出来る!」
ただ単純に、バスケが好きなだけだろうか。
とても悲しいことに、はその感覚を遠い昔に忘れてしまった。
ふと、湘北の観客席に視線を戻すと、流川楓が目に入った。
なんだか、苛立たしげな様子である。
(流川くん……?さんと喧嘩中……なんだっけ?)
ひどくギラギラした目で、食い入るようにコートにいるのことを見つめていた。
(バカな子。無駄なのに)
でも、それを直接言ってあげるほど、は親切でもなければ意地悪でもない。
からフリーの長妻にパスが渡り、長妻はシュートを放った。
「よっしゃー!いいぞぅ!サナーー!!」
裕子はまるで自分のことのように長妻の活躍を喜んだ。
その様子を見た後、はもう一度観客席全体を見渡した。
(あれ?あそこにいるのって……)
前半、終了。
前半開始10分頃から行ったゾーンプレスのおかげで、たちのチームは15点のリードを広げて終えることが出来た。
三井寿も上機嫌で観客席を出ていき、自販機に向かった。
(藤崎もシュートの精度だいぶ上がったじゃねーか。それに黛もまだ2ファウルだしよ)
やはり後輩の成長というものは、嬉しいものである。
(も体力ついたな。ゾーンプレスが出来るわけだ。朝倉もディフェンスが前よりしっかりしてきたんじゃねーか?)
三井が考え事をしながら自販機のボタンを押すと、「ゴトン」と自販機が音を立てるのと共に、女が「あ……」と話しかけてきた。
誰だ?と思い振り向くと、
「あの、湘北の三井くん、だよね?」
本当に誰かわからなかった。
派手な金髪に、サングラスを掛け、やたら胸を強調する赤のモンローワンピースを着た妙にグラマラスな女に話しかけられた。
「……あ?……誰、だ?」
三井は動揺しつつも一応逃げ出さずに尋ねる。
女は攻撃的な見た目とは裏腹におっとりとした声で「あれれ?やっぱりわからないかな?」とサングラスを外し、更に、髪をおもいっきり引っ張ってみせた。
金髪がずるり、と落ちる。
どうやらカツラだったらしい。
中から出てきた黒髪には見覚えがあった。
「私、翔陽の……です。覚えてるかな?」
「お、おお……。でもなんだってそんな格好……」
思わずをまじまじと見てしまう。
は恥ずかしがるように腕で体を隠し、「えへへ……。今日はお忍びで来たの。ちゃんには、ナイショで、ね?」と言ってきた。
三井は再び「お、おお」と間の抜けた返事をした。
しかし、変装するのはまだしも、なぜこんな派手な格好を選んだのか、と三井が呆けていると、「よ、三井」と、昨日までさんざん聞いていた声が聞こえてきた。
「藤……真!?お前なんだよそのヒゲ!?」
「は?剃らなきゃこんなもんだろ」
翔陽の藤真は昨日まではなかった無精髭を生やし、と同じようなサングラスをしていた。
藤真は「今日のテーマはアメリカ西海岸を歩く男女だ。だからにもブロンド女みてーな格好させてんだよ」とわけの分からない解説を始めた。
そして藤真は「な?」と恥ずかしげもなくの露出した肩を抱き寄せた。
は照れながらも「うん!藤真くんすっごくかっこいいよ。リーアム・ニーソンみたい!」と絶賛している。
三井は思わず(これがバカップルってやつか……)と思わず感心してしまった。
「あ?お前らがいるっつーことは?」
「ああ、もちろんオレもいる」
「はなが……た……」
三井が声の方を振り返ると、花形透がいた。
そして花形のメガネの形が変わっているのを見て、三井はとうとう脱力した。
(なんだか翔陽に一連のコントを見せつけられた気分だぜ……)
花形のメガネも、にバレないための変装のつもり、なのだろうか。
三井は念のため長谷川一志がいないことを藤真に確認する。
藤真は「ああ、一志はいないぜ。髪型は変わったけどな」と答えた。
三井は(長谷川もかよ!)と声に出して突っ込みたい衝動をどうにか抑えた。
なんとなく、突っ込んだら負けな気がしたからだ。
藤真たちは「オレらのことはには黙っとけよ」と告げた後、妙な変装を再びして会場に戻っていった。
その背中を見送ったあと、三井寿は、
(いや……花形はバレるだろ……流石に……)
と思いながら冷えたスポーツドリンクを一気に煽った。
三井にはなんだか、翔陽の3人が寄ってたかって自分に釘を差しに来たように感じられてしまったからだ。
(さすがに考えすぎ……だよな?)
財布の中の、水族館の優待券を見つめる。
(なんつーか、付き合ってる女の親に睨まれた気分だぜ……)
そこまで考えて少しげんなりした三井は、イヤ、オレにやましいことなんて1つもねぇ!と残りのドリンクを一気に飲み干した。